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第58話 月光

 背後から、ざああ、と波の音のようなものが聞こえた。

 ルークが波に乗っておれを追ってきているのだ。


 間に合え――。


 もう目的地はすぐそこに見えている。


 雄叫びを上げながら走る。

 音の接近はすさまじく速かったが、それでもおれの方が一歩速かった。


 そこはロキがいるはずの建物だった。

 ドロシーさんが作った魔法障壁に触れる。退魔の力を込める。

 すると泡が弾けるように球体が消えた。


 おれは建物に入り込んでから、振り返った。


 ルークがその場に立ったままこちらを睨んでいる。

 足元に水が染み込んでいく瞬間だった。


「どういうつもりだ」

「あんたは嘘をついている」

「嘘だと?」

「なぜ、そこに立ち止った? 決まってる。あのまま波に乗っておれを襲えば、この建物が壊れてしまうからだ」


 ルークは憎しみの表情をおれにぶつけた。


「おまえの考えが分からず、攻撃を止めただけの話だ」

「いいや、違う。あんたはロキを想った! おれには分かるよ。分かるんだ。ルークさん」


 数日前の、ある光景をおれは覚えている。

 オルガレス教団のアジトへ乗り込もうというとき、ついてくるなとルークさんはロキに怒鳴っていた。


 あれが平等を口にする男の顔だったか?


 否。

 ルークさんにとって、ロキは大切な存在なのだ。


 その時、背後から物音がした。


「マスター!」


 声がした。

 ロキが近づいてくる。

 彼女はおれのことをちらりと見て、すぐにルークの方を見た。


「マスター、心配しました……」


 彼の顔がひどく歪む。

 眉間にしわをよせ、ほお痙攣けいれんしていた。


「ロキ、そこをどけ」

「何故ですか?」

「そいつを殺すからだ」


 ロキが驚いた顔でおれを見た。


「クロ様……。どういうことですか?」


 おれは彼女の肩へ手を伸ばし、そして後ろから抱きしめるようにロキを掴んだ。

「ク、クロ様?」


 彼女はまだ状況を飲み込めていない。

 あどけない目をおれに向けた。まさか自分が――人質(、、)になっているなどと夢にも思わないだろう。


 おれはロキを盾にすると、そのままじりじりとルークへ近づいていった。


「おまえは根本的におれを勘違いしている。おれはロキを救うことよりも、あの魔人を殺すことを優先したんだぞ」

「そうかもな。でも貴方はひどく急いでいた。おれを説得しようとしたにも関わらず、ルナもろともおれを殺そうとした」


 さらに近づいていく。

 ルークの周囲にあの水の球が出現した。ぐるぐると旋回している。


「貴方の力なら、おれを殺さずにルナだけを殺すこともできたはずだ」

「こう見えても気が短い方なんでな」

「だったら、今のこの状況はなんだ? 何故、おれを殺すことを優先する? おれなんかを追わずにルナを襲えばいい。そうだろ? でもあんたにはそれができない。何故ならルナの傍にはドロシーさんがいるからだ。ドロシーさんと戦うことになれば、ロキを守る魔法障壁も消えてしまう。だからあんたはおれを追うことを優先した」


 ルークは鼻で笑った。

 そして、


「おれは平気でロキを殺すぞ」


 そう言った。


「おれは先導士だ。誰か一人の為に己の義務を放棄するわけがない。一人を殺し世界が平和になるならば、おれは殺す方を選択する」


 ルークは歪んだ笑みを見せた。

 何故だろう。おれはルナやレビアやヴェルナリスと、初めて出会った日のことを思い出した。


「そうかよ――」


 もう自分でも止められないだな、貴方は。

 なら、おれが止めてやる!


 じりじりと近づく。

 ルークは動かない。攻撃をしてくる気配はない。おれは確信する。


 やはりこの男は、嘘つきだ――。


 おれはロキを突き飛ばした。ルークに向けて。


 同時に距離を詰める。

 ロキがルークの身体に近づいた瞬間に、周囲を旋回していた水の球が消えた。

 自動防御は、ロキをも傷つけてしまう。


 ルークはロキを突き飛ばした。

 その僅かな時間が、おれに攻撃の機会を与えてくれた。


 貫手を腹へ打ち込む。

 ルークの体が折れた。掌底しょうていを下から浴びせる。ルークの顔がのけ反った。続けて下段蹴りを打つ。ルークが態勢を崩す。おれは左拳を突き出した。


 が、水が絡みつき攻撃の軌道を変えられていた。


 強烈な衝撃が腹を貫いた。

 後方へ吹き飛ばされる。水流が腹を貫通したようだ。


 肉体を修復する――。


 立ち上がる。正面にルークを見据える。

 ルークの体が黒く染まっていた。


 ルークが両手をかざした。


「アクアブレス」と呟いたのが聞こえた。


「マスター!」


 ロキがおれの正面に立った。両手を広げ、おれを守るように。


 黒い閃光が瞬いた。そして――。


 螺旋を描きながら、黒い龍が空へ昇って行った。

 ルークが青ざめたまま天を仰いでいた。ルークの両手は、空を向いていた。


 おれはルークへ近づいた。


 手刀、上段突き、中段突き、裏打ち、貫手、両手突き、添え突き、上段足刀、中段足刀、前蹴り、外回し蹴り、頭突、猿臂、掌底、内回し蹴り、関節蹴り、弧拳、鉄槌――。


 ルークの体へ無数の打撃を打ちこむ。


 これらの技を六つ組み合わせた一連の動きを繰り返す。

 指南書には三通りの動きが載っていた。おれはそれを型なのだと思っていが、それは間違いだった。


 あれはただの例にすぎない。

 組み合わせ方は自由、そして体の軸をあえて曲げることで、それは無限のバリエーションを生み出してゆく。


 十八の技には全て名前がついていた。


 新月、二日月、三日月、上弦、十日夜、十三夜、待宵月、十五夜、望、十六夜、立待月、居待月、寝待月、二十日月、下弦、二十三夜、二十六夜、晦日。


 重い打撃音が、豪雨のように激しく鳴っている。


 月が形を変えながら満ち欠けを繰り返すように、この型は終わらない――。


 ――新矢戸流空手道、月光。






 やがて打撃音が鳴り止んだ。

 おれの拳が宙を切った――。


 ルークが仰向けに倒れていた。

 大の字になり天を仰いでいる。

 服は破れ、紫色に腫れた皮膚がむき出している。顔は腫れあがり、口元から血を流していた。


 おれは止めていた呼吸を再開した。


 ロキがルークへ駈け寄った。

 涙を流しながら名前を呼んでいる。マスターではなく、ルーク様と。

 それからおれを強く睨んだ。この瞳は見たことがある。おれのよく知っている瞳だ。誰かを守ろうとする、強い瞳――。


 少し後れてから、やっと彼を止めることができたのだと認識した――。


「ロキ、重たい。そこをどけ」


 ルークの声が聞こえた。

 ロキは泣きながら、


「はい」


 と答え、体を離した。


「クロ、おれは負けたんだな」


 その声は不思議な温かみがあった。


「はい」


 しばらく間があった。


「クロ、おれはおまえと違って、大切な人を守れなかったことがある」


 ロキがびくりと揺れた。


「おまえの時とは違う。傷つけたのはただの弱い心を持った人間だ」

「マスター、もういいのです。わたしは貴方の傍にいれるだけで――」


 ルークさんがまぶたの腫れた目をロキに向けた。

 それからゆっくりと手を伸ばした。たぶん、目が見えていないのだ。ロキはルークの手を両手で包むように握った。


「おれはその人間を殺したほど憎んだが、結局何もできなかったよ。何故だか分かるか? それはおれが先導士だからだ」

「ルークさん……」

「その時、おれは覚悟した。覚悟したつもりだった。おれは先導士としての運命から逃れることはできないと。でも、結局、おまえの言うとおりだったな」


 ロキがルークの手を握り、額を触れるようにした。

 彼女は声を殺すように泣いていた。その涙はルークさんの手につたり、ぽたりと落ちた。


 その時になって、おれはようやくシドさんの言った言葉を理解した。

 強くなることが後悔に繋がることもある。強くなるということは、可能性を広げるということだ。選べる未来が増えることで、捨てる未来もまた増えてゆく。


 あまりにも強い力を持つこの人は、ずっとそれで苦しんできたのだ。


「おれは世界の誰よりも、たった一人を優先した。アクアブレスを天に向けた瞬間、おれはもうおまえに負けていたのだと気付かされたよ」


 その時、冷たいものが頬に触れた。

 見上げてみる。雪だ。


「おれは運がよかったな、クロ」


 もう一度彼を見る。

 雪が目尻に落ち、それは涙のようにすうっと流れた。


「もう少し雪が早く降っていれば、おまえを殺してしまうところだった」


 彼は優しい微笑みを浮かべていた。


「クロ!」


 二人の声が後ろからした。

 振り返る。


 ヴェルナリスとレビアがこちらに走ってきていた。

 その後ろにはドロシーさんとルナがいる。


 彼女たちの顔を見た瞬間、頭が後ろへ引っ張られるような感覚がした。

 同時に強烈な睡魔が訪れた。


 まだだ。まだ眠るわけにはいかない。

 おれにはまだ、やることがあるから。


 おれはルナに近づいた。


「クロ……」


 ルナが涙を浮かべている。


 おれは彼女のフードを外し、その耳に触れた。

 瞬間。獣の耳が消え、赤い煙が上がった。


 ありったけの退魔の力を込めた。

 クロノの残した力を、全て。

 今なら分かる。ルナが自分で魔人の姿になろうとしなければ、きっと死ぬまで人の姿でいられるだろう。


 ルナが倒れた。マナ切れを起こしたのだ。

 それをヴェルナリスが受け止めた。


「クロ?」


 ヴェルナリスが不思議そうにおれを見ている。

 何も言わずにルナの耳を消したからだろう。


「どうしたのですか?」


 レビアが言った。おれは目を反らした。

 おれがこれからしようとすることを思うと、その瞳を見ていることができなかった。


 ドロシーさんを見る。

 彼女は悲しそうな顔をしていた。きっと彼女はもう気がついているだろう。いつか、謝らなければ。


「もう、おれのことは忘れろ。――オブリビオン(忘却せよ)」


 彼女たちの目から光が消えた。

 魂を抜かれたように、ぼうっとそこを突っ立っている。


 同時に、全身の骨にうずくような感触を覚えた。


 骨の中を虫がうごめいているような、不快な感触。


 うずきはかゆみになり、痒みは熱となった。


 肉体に蓄積された熱が背中から抜けてゆく。


「クロ、おまえ……」


 ルークさんが言った。

 先導士であるこの人だけは、おれの魔法が効かなかったようだ。


「ヒール(癒せ)」


 ルークさんの体が癒えていく。

 この人ならきっと副作用で眠ることもない。きっとマナ切れを起こしたルナも救ってくれる。


 もう間もなく、目も見えるようになるだろう。


 物音がした。

 魔物どもが近づいてきたようだ。


 風が吹いて、おれの黒い髪がなびいた。


「フォース・ジ・ワー(光りの障壁)」


 辺りを白い球が包んだ。

 これで魔物どもが、彼らを襲うことはないだろう。


 深呼吸をする。

 それから三人の少女たちの顔を見た。


「さよなら、ルナ、レビア、ヴェルナリス――」


 おれは背中の翼を広げた。


 黒い――。

 魔族の翼だ。


 その場に飛ぶ。

 地面に着地することはなく上昇していく。

 翼を動かす必要はない。翼は大気のマナと波長を合わせる為の調整器だ。


 雪の降る白い空を飛んだ。

 寒さは感じなかった。大切なものがぼろぼろと剥がれ落ちてゆくような気がした。

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