第57話 三つ巴
急降下しながら接近する。
ルークの体の周囲が黒く染まるのが見えた。
「ペコ! 急げ!」
ドロシーさんが疲弊した顔でルークを睨みつけている。
その後ろにルナが座り込んでいる。白い球体は輝きを失いかけていた。
「よし! 離せ!」
ルークと彼女たちの間に、おれは着地した。
後ろから彼女たちがおれを呼ぶ声が聞こえた。
「ほう、間に合ったか」
にいっと笑う。
彼は黒い瘴気に包まれている。
「記憶を取り戻したか?」
「――あぁ」
「それで? おまえはどういう結論を出した」
「変わらないよ。あんたを倒す。ルナを殺させてたまるか」
その時、足音が二つ聞こえてきた。
「クロ!」
ヴェルナリスの声だ。
「これは、どういうことですか?」
こっちはレビアの声。
よかった。彼女たちも無事だった。
これで、もうおれは――。
「おれと戦うという意味が分かっているのか? おれは今、人類の希望としてここに立っているのだという自負がある。それに立ち向かうならば、おまえは悪だ」
「あんたにはあんたの正義があるように、おれにはおれの正義がある」
戦おう。
心の思うままに。
「レビア! ヴェルナリス! おれの後ろにいろ!」
構えを取る。左足を前に、右足を後ろに、腰を落とす。
遠山を《えんざん》望むが如く、全体を視野に捉える。
ルークもまた構えを取った。
両手を突き出し指をこちら向ける。その中心に黒いエネルギーが集約されていく。その球体の中を白い閃光が駆け巡っていた。
ルークは不敵に笑った。
「アクアブレス」
黒い波動が螺旋を描きながら爆発する。
おれは正拳を突き出した。
――退魔の力。
黒い波動が切り裂かれる。
そして、霧が晴れるように、黒い瘴気は拡散し消えた。
「これは――!」
ルークが驚愕している。
おれは身を低くしたまま接近し、脇腹を目掛けて拳を突き出した。
決まる。そう思った。
しかし拳は弾き飛ばされる。
鮮血が舞い、痛みが走った。
何が起きた。
一歩引く。状況を確認する。
弾かれた指が不自然に折れ曲がっている。
無数の切り傷がついていて、そこから血が流れていた。
攻撃を防がれた。だがどうやって?
確実に打ち込めると思った。だが腹部へ触れるその瞬間、異様な感覚がしたのだ。
「おまえが触れたのはこれだ」
ルークが人差し指を立てた。
その上に拳の大きさ程度の水の球体が突如浮かび上がった。その球体は微かに振動して見えた。
――いや、振動じゃない。
あれは、回転しているのか。
同じ球体がルークの周囲に浮かび上がった。
指の上のものも含めて、全部で九つある。
それらがルークの体の周りをゆっくりと旋回し始めた。
「貪れ」
ルークが右腕を振り下ろす。
旋回していた球体が、おれを目掛けて飛んできた。
咄嗟に左へ避ける。
だが。球体は追従するように軌道を変えた。
躱すことができず、全身に球体がめり込む。
その衝撃に吹き飛ばされる。
地面を転がりながら、再びこちらを目掛けて球体が飛んできたのが一瞬見えた。
倒れながらも頭と腹部を防御する。喰らうのを覚悟した。
めきり、と体の中から音がした。
全身のあらゆる方向からとてつもない力が襲ったのを感じ取る。球体がおれの体を抉るように食い込んだ。
退魔の力を込める。
水しぶきの音とともに、球体が消えた。
体を起こし立ち上がる。
口からこぼれた血を腕で拭った。
――瞬間回復。
肉体は修復する。
激痛の余韻はあるが、問題ない。
「ほう、それがもう一つの異能か」
ルークを見る。またあの球体が旋回している。
数は減っていない。いくらでも作り出すことができるのか。
ならば――。
攻撃を喰らう覚悟で、突っ込めばいい。
おれの身体などいくらでも治すことができる。
ルークに近づくと、旋回していた球体がおれの腹部を抉った。
だが構わない。そのまま退魔の念を込め、水球を消す。
正拳を放つ。顔面に当たる直前で、別の球体がおれの腕を弾き飛ばした。
その勢いに、肩の間接がごき、と外れる。
体勢を崩したおれの体に、次々と球体が襲いかかった。
強く吹き飛ばされる。
どこかの建物の壁にぶつかり、壁をぶち破って室内に落下した。
――強い。ただ、その一言に尽きる。
先導士が常識を超えた存在なのだと改めて思い知らされた。
肉体が損傷している。
回復するイメージを強く思い浮かべる。熱が全身を駆け巡った。
立ち上がり、壊れた壁から外を見た。
ここは二階らしい。ルークがこちらを見上げている。
「記憶が蘇ったわりには変化がないな」
「クロのままあんたを倒したいだけさ」
言ってみて、その難易度に絶望した。
おれはおれのまま、ルークを倒せるだろうか――。
ルークの眉がぴくりと動いた。
なんだろう、と思ってよく観察すると、おれの後ろに視線を投げているのだと分かった。
後ろから足音がした。
振り返る。
――こいつは。
樹皮のような茶色い皮膚の化け物。
足があり、胴体があり、腕があり、頭がある。
が、目玉がない。黒い穴がそこに二つあるだけだ。髪の毛の代わりに、細い木の根が大量に生え、地面へ垂れ落ちている。
魔物、いや――人の姿に近い。
魔人だ。
魔人はぼおっと口を丸く広げた。暗黒が広がっている。
そして、その口から、茶色い蛾が大量に飛び出した。
その異様さに一瞬、全身が硬直した。
――魔人。
――こんな時に。
魔人はおれの体を掴み、地面に叩きつけた。
地面が割れ、そのまま落ちていく。
一階の地面に落下した衝撃で、背中に痛みが走る。
仰向けになったおれの顔に、魔人が顔を近づけた。
足がたくさん生えた虫が、目の窪みから這い出てきた。
そのおぞましさに、おれは思わず悲鳴をあげた。
勇気を奮い立たせる。
――退け!
そう念じると、魔人が俊敏な動きでおれから離れた。
上半身を起こす。
周囲には大量の虫が飛び交っている。
あの魔人の体に、虫が住み着いているのかもしれない。
魔人がこちらに近づいてくる。
おれが構えを取った次の瞬間、魔人の体が急に折れ曲がり、そして右方向へ激しく吹き飛んだ。
反対側から、黒い人影が現れた。
「もう一匹いたか。ちょうどいい。殺してやる」
ルークは冷徹な目で魔人の吹き飛んだ方向を見ていた。
「運がよかったな。もうしばらくおまえは生かしておいてやる」
ルークが魔人を追っていった。
――どうする。逃げるか?
――いや、駄目だ。
先導士の権力があれば、どこにいても見つかってしまう。
それにあの男はドロシーさんやレビア、ヴェルナリスも殺すだろう。
ルナを守ろうとする人間は全て悪なのだ。
ここで今ルークを倒さなければ、おれは彼女たちを失うことになる。
あの魔人がいる今ならば、隙があるかもしれない。
おれは魔人とルークの後を追って、建物を抜けた。
左の方から大きな音がした。
向こうで戦闘が行われているようだ。
そちらへ走っていくと、広い街路に出た。
魔人。仰向けに倒れている。胸元に風穴があいている。その中から虫が飛び出していた。
ルークがその近くに立っていた。スーツの裾を手で払っている。
この状況で、あまりにも落ち着いた目をしていた。
――もう倒してしまったのか、と思ったとき、魔人の頭がわずかに動いた。
髪の毛のような無数の木の根が、ルークの方へ伸びた。
まるで鞭のようにしなりながら、ルークを襲う。しかしその攻撃は、すべて水の球が防いでいた。
たぶん、あれは自動的に防御しているのだ。
操作してかわせる速度ではなかった。
魔人がさらに木の根を伸ばす。ルークがいくらその根を千切っても、攻撃が収まることはなかった。
新しいものが魔人の頭から生えているのだ。
やがて耐えられなかったようにルークは左にかわした。
ルークを木の根が追従する。腕と足に絡みついた。
――勝機。
――おれは走りだしていた。
ルークへ近づく。
ルークの体には、まだ根が絡みついている。
おれは腕を回転させながら正拳を放つ。身動きの取れないルークの脇腹に拳がめり込んだ。
あばら骨を砕いた感覚が、拳を通じて伝わってきた。
続けて蹴りを放つ。
――いや、放とうとした。だがそれは叶わなかった。
魔人の木の根がおれの足に絡みついた。
おれはバランスを失い地面に倒れた。
退魔の力を込める。
木の根がいっせいにおれの体から離れた。
――自由になったのはいいが、木の根はルークの体も開放している。
まずい、離れなければ――。
そう思ったが、もう遅かった。
ルークが腕を振り上げた。すると、おれの胸部を水流が貫いた。
水流に突き上げられ、おれは宙を飛んだ。
空中で、ルークと一瞬、目が合った。
まるで世界が制止したような錯覚を覚える。不思議な瞬間だった。
ルークが両手の指をこちらへ向けた。
黒いエネルギーが集約される。
またあれを放つ気か――。
そう何度も防げるものじゃない。
死が脳裏を過る。
が、ルークへ魔人が突進し、ルークの身体を突き飛ばした。
どうやら魔人に助けられたようだ。
地面に着地する。
魔人とルークが戦闘を行っている。
どちらもおれの相手をしている余裕はなさそうだ。
いまのうちに回復しなくては。
胸元へ手を当て、治れ、とそう念じた。みるみるうちに痛みがひいていく。
くらりと平衡感覚が消失した感じがした。
意識が遠のく。おれは爪を立て、右腕を強く握った。
痛みがある。痛みに意識を集中させる。今倒れるわけにはいかない。
もう残り時間がない。
早く倒さなければ。
その時、ふと視界の隅に何かが見えた。
――あの場所は。
何かが、脳裏を横切った。
それはたった数日前の、ある瞬間の出来事だった。
水の飛沫のような音がした。
はっとしてそちらを見る。
魔人の頭が転がっている。
ルークがそれを蹴り飛ばした。
どうやら決着がついたようだ。
ルークがおれを睨みつけた。
おれは走りだしていた。
先ほど見た、あの場所へ向かって。




