第54話 襲来
上空に鳥のような影がいくつも舞っている。
よく見るとそれは鳥ではなかった。蛇に羽の生えたようなシルエットの影が、まるで海を泳ぐように空を旋回している。
街へ近づいてゆく。
異様な音が渦を巻いている。
火の燃える音、爆発する音、何かが崩れる音、誰かの悲鳴――。
街は赤い煙と黒い煤が舞っている。
建物は壊れ、瓦礫が道を塞いでいた。
そのひどい有様は、腹の奥にずしりと嫌な感覚がまとわりつかせた。
――閃光のように、脳裏に何かがよぎった。
おれはどこかで、似た光景を見たことがある――。
おれは頭を振った。
今はそんなことはどうでもいい。
巨大樹を目指そう。
ルークさんは、あそこにラスカさんがいると教えてくれた。クロノの記憶を取り戻せば、おれにもできることが増えるかもしれない。
街の中を走ってゆく。
人や魔物の姿は見えない。ただ無残に壊れた建物が並んでいる。
「クロ! あそこ!」
ルナが指をさした。
遠くの方で、金髪の少女が見えた。
今まさに魔物に襲われようとしている。
あれは――。
「ロキ?」
彼女もここに来ていたのか。
しかし、ルークさんが見えない。
まさか、一人でいるのか?
その時、道の脇の建物から大きな音がした。
建物の壁に亀裂が入り、崩れ落ちる。
砂埃とともに瓦礫が積もってゆく。ロキの姿が隠される。
その崩れた建物の中から何かが飛び出した。
体を黒い鱗で覆った猿のような顔の化け物。その生物には目が一つしなかった。
前屈みに二本足で立っている。
異様な目玉がぎょろりと動きおれを見た。
魔物――。
その表情から感情らしきものは読み取れない。
ただ何かの意思を持っていることだけが分かった。
一つ目の化け物が彷徨した。
拳を握り恐怖を押し殺す。
恐れている場合ではない。
――ロキを助けなければ。
物音がした。
似た魔物が左右からもう二対現れた。一つ目を動かしながら、ゆっくりとこちらに近づいてきている。
最悪だ。
急がなくてはならないのに。
おれの正面にレビアが立った。
「危険だ! 下がれ!」
「クロ、この魔物はわたしが倒します。先に行ってください」
「レビア、駄目だ」
レビアは振り返った。
「安心してください。わたし、結構強いんですよ」
にこりと笑う。
その後ろ。魔物が駆け出しのが見えた。
レビアがまたこちらに背中を向けた。そして。
人指し指と中指を立てる。そして中空を裂くように、斜め、左、右、縦へ素早く振った。
「呪術――緊、伍鳴帯牢」
こちらに駆け出していた三体の魔物の動きが突如止まった。
黒い帯が魔物の足元に絡み付いていた。
「クロ。この呪われた力にかつてわたしは絶望しました。でも貴方達の為ならば、わたしはいくらでも力を使います」
「レビア……」
「約束します。わたしには夢ができました。それを叶えるまで絶対に死にません。それに――まだデートをしていませんから」
――眩暈にも似た確信があった。
絶対に、レビアは大丈夫だ。
「分かった」
レビアを信じよう。この強い少女を――。
「ルナとヴェラはクロに付いて行ってください。わたしは一人の方が戦いやすいのです」
「行こう。ロキを助けるんだ」
返事を待たず走り出した。
ロキのいた場所へ迂回するため、路地を抜け、大通りに出た。
左を見る。ロキはいない。
右を見る。――こいつらは。
巨大な魔物が数体立っていた。
蜥蜴の頭を持った魔物だった。
首から下を灰色の毛が覆っている。鋭く黒い爪に日光を反射して、ぎらりと妖しく光った。
爬虫類のような目が、おれ《おれ》を見た。
魔物はごきごきと太い首を鳴らしながら、こちらに一歩近づいた。
「クロ、今度はわたしの番だな」
ヴェルナリスが前に出た。
腰の刀の柄に手を触れている。
「ヴェルナリス……」
魔物が近づいてくる。
「クロ、わたしは今も怖いよ。それはあの日からちっとも変わっていない。でもな――わたしは戦える」
ヴェルナリスが魔物の群れに向かい跳んだ。
残像を作りながら魔物の間をすり抜けていく。こんな状況なのに、それは美しいと思えるほど洗練された動きだった。
黒い血しぶきが舞って、三体の魔物が同時に倒れた。魔物の傷口から黒と赤の煙がもうもうと立ち上っている。
ヴェルナリスが刀を鞘へ納める。ちん、と高い音が鳴った。
強い――。圧倒的だ。
声を掛けようとした時、ぱらぱらと小石の落ちるような音がした。
魔物が左右の路地からまた現れた。不気味な顔でこちらを見ている。長く細い舌がちろちろと動いていた。
一体どれだけいるんだ――。
「行け!」
ヴェルナリスが笑った。
「分かったよ、クロ。わたしは今この瞬間の為に、途方もない時間を、剣に費やしてきたんだな」
その顔は自信に満ち溢れている。
憎しみに顔を歪めていた少女はもういない。
「恐怖は消えなくとも、もっと強い想いがある。大丈夫。わたしはもう何者にも負けない。魔物にも、自分にも」
――ヴェルナリスが再び動き始めた。
「ルナ、行こう!」
ヴェルナリスを、エーデルランド最強の剣士を信じよう。
大丈夫、今のヴェルナリスは絶対に負けやしない。
魔物のいない方向へ走り、路地へ入った。
瓦礫が塞いでいるが、ここなら乗り越えられそうだ。
よじ登り、ルナの手を引っ張る。
そこから飛び降り、また走り始めた。
ロキはどこにいるのか。
広い道へ出た。
左右を見る。人の姿はない。
――闇雲に探して見つかるのか?
じわりと嫌な汗が背中を流れた。
「クロ、右だよ」
振り返る。
ルナが力強い瞳を浮かべていた。
「大丈夫、あの子は無事みたい。建物に隠れてる」
「ルナ……おまえ」
「うん。この姿じゃないと聴こえなかったら……」
ルナがフードを被って、獣の耳を隠した。
「こっち。ついてきて」
ルナがおれの前を走り出した。
――速い。ルナの足はこんなに速くなかったはずだ。
運動能力も向上している。
広い道の中央を走ってゆく。
「あそこ!」
ルナが建物を指差した。
他の建物に比べれば、そこまで崩れていない。
ルナの後を追い、建物の入り口を目指して走る。
あともう少しというところで、女の悲鳴のような音が上空から聞こえた。
見上げる。
蛇のような魔物がこちらを目掛けて降下してきている。
魔物は淀んだ目玉をおれに向けた。
「ルナ! 引け!」
前を走っていたルナの腕を掴む。
だが魔物の動きは速かった。すさまじい勢いでこちらに突進してきている。
まずい、躱しきれない――。
その時。
突然、魔物が左方向に吹き飛んだ。
「クロ、危なかったな」
後ろから声がした。振り返る。
ルークさんが立っていた。
「ルークさん。ロキがいる! そこの建物にいるんだ」
「そこをどけ、クロ」
――え?
何故だ。何故そんな顔でおれを見る。
ルークさんが鋭い視線をぶつけている。
これは、この目は――。
「どけと言ったんだ」
――敵意だ。
ルークさんはおれではなく、ルナを睨んでいる。
「クロ……」
震えた声でルナが呟いた。
そちらを見る。ルナのフードが外れていた。白い耳が露わになっている。
「おまえがヘルだな」
ルークさんが片頬を吊り上げて笑った。




