第53話 異変
冷たい朝の風が吹いている。
コートの裾を持ち上げて、顔を隠すようにした。
ハイライン領を発ってから、三日が経った。
おれたちはザリオル領に入っていた。
ハイライン領より随分と寒い。
見渡す限りの荒野の真ん中に道がまっすぐに続いている。
視線を道の先に向ける。
遠くの方に薄っすらと巨大な木が見える。
あの木の下にザリオルという名前の街があるそうだ。そこに先導士ラスカがいるらしい。
おれは恐れている。
それが偽らざる自分の心だ。
だが足を止めてはならない。ドロシーさんの為にも、自分の為にも、そして三人の為にも。
自分が何者かを知らなければ、いつしかそれが彼女たちを傷つけてしまう日がくるのかもしれないから。
荒野を歩いていくうちに、大木の足元に建物が並んでいるのが見えてきた。
ベージュの石を使った四角い建物。どこかガクー遺跡を思い出すデザインだった。
「止まって!」
振り返る。
ルナが周囲を伺っていた。
異変。
何かが起きたとすぐに分かった。
「どうした?」
「前の方に何かいるわ」
――魔物だろうか。
ぞわりと首筋に嫌な悪寒が走った。
「ルナ、どれくらいいるか分かるか?」
「ちょっと待ってて――。相当な数がいる。それに誰かがいるみたい」
「誰か?」
「……誰かが一人で魔物と戦ってる」
一人で?
そんなことができる人間がいるのか?
――ふと一人の人物に思い当たった。
先導士ラスカ。
「クロ、どうしますか?」
「行こう」
道を走り出した。
三人がおれの後に続く。
誰かが立っているのが、ようやくおれにも見えた。
その周りを、黒い影が旋回している。
黒い影は次々と落下していた。
――あの人は。
おれは更に足を速めた。
その人物を視認できるところまで近づいた時、全ての影が叩き落とされた。
巨大な虫のようなフォルムの魔物が複数落ちている。みな赤い煙を噴き出していた。
彼はフードを外した。
黒い髪が露わになる。
「クロ、おまえもここへ来ていたのか」
鷹のような鋭い目で、彼はおれたちを見た。
「ルークさん……」
――何故、この人がここに?
「おまえもザリオルが襲われたのを知って来たのか?」
どくり、と心臓が鳴った。
唐突に放たれた言葉に衝撃を受ける。
「襲われた?」
「そうか、知らないのか」
ルークさんは周囲に落ちている魔物の死骸を見た。
冷たい目つきだった。
「ザリオルが魔物に襲われている」
ルナが「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
「おまえはどうしてここへ?」
「おれは、ラスカさんに会いに来ました。記憶を取り戻す為に」
「そうか。それなら急げ。記憶を取り戻せば、戦い方も思いだせるかもしれない」
ルークさんがこちらに背を向けた。
「おれは先に行く」
ごぼごぼと音が聞こえた。
ルークさんの足元から液体が湧き出てくる。
「ラスカ様は巨大樹にいらっしゃる。急げよ、クロ」
液体が一気に膨れ上がった。
まるで巨内な波に乗るように、ルークさんは街の方へ移動していった。
――街が襲われている。
魔族の脅威が、恐ろしさが、圧倒的な現実感を持っておれの心と身を震わせた。
今ならまだ、逃げることもできる――。
おれは振り返って、三人の顔を見た。
「クロ、わたしは貴方についていきますよ」
「わたしも!」
「心配しないでいい。それに、こうなったらどこにいたって同じことだ」
――行こう。
そうすべきだと、直感した。
「危険だと思ったら、絶対に逃げてくれ」
三人は頷いた。
「急ごう」
ルークさんの姿はもう見えない。
おれたちは街へ向かって走りはじめた。




