第51話 ハイライン領の夜、二
あくる日、次の街を目指して出発をした。
まだしばらくハイライン領が続く。それまでは魔物の心配もそこまでしなくていいだろう。
ハイライン領を抜けてからしばらく、どこの領土にも属していない場所を通る必要がある。その時まで、つかの間の平穏なのだ。
街を歩き続け、また夜が来た。
日が暮れると一気に冷え込む。昨日防寒具を買っておいてよかった。
夕食のあと、眠るには少し早かったので、宿屋の地下にある多目的ルームに降りた。
この広さがあれば型も練習できるだろうか。ちょうどいいことに大きめの鏡も設置されている。
少し型を練習してから、指南書をもう一度読んでみる。
もう動きは完璧に近いと思う。あとはイメージの問題だけだろう。
扉の開く音がした。
ヴェルナリスが入ってきたようだ。
「あ、クロ。ここにいたのか」
「うん。どうした?」
「久しぶりに体を動かそうと思ってな」
ヴェルナリスは腰に挿してあった刀を手に取った。
鞘に入れたまま、抜けないように紐で縛り付けている。
ヴェルナリスが部屋の中央に立ち、刀を振った。
おれはその動作に目を奪われた。今なら分かる。ヴェルナリスはやはりすごい剣士だった。
「み、見るな。恥ずかしい……」
「ご、ごめん」
と言いつつもついつい見てしまう。
流れるような動きで刀を振る。
どう表せばいいのか。例えるならそれは、水が流れていく様に近い。
無駄のが一切ない自然な動き。それでいて、とてつもなく速い。
――おれもよくヴェルナリスと戦おうとしたもんだなぁ。
彼女をちらちらと眺めているうちに、あっという間に時間が経った。
ヴェルナリスは腰に刀を戻し、額の汗を拭った。
「クロはまだ練習をするのか?」
「うーん、そろそろ戻ろうかなと思ってたけど」
ヴェルナリスが何か企んだように笑った。
「ちょっと待っててくれ」
一度部屋を出ていったと思ったら、すぐに戻ってきた。
ヴェルナリスはボトルとグラス、それから氷を持ってきていた。
ヴェルナリスは丸いテーブルの上にそれらを置いた。
どうやらあれは酒のようだ。中は茶色い液体で満たされている。
「飲もう」
ヴェルナリスは嬉しそうな声で言った。
ここで飲むつもりらしい。グラスが二つということは、おれもということだろう。
グラスに氷を入れ、その上から酒を注いだ。
氷が解けてゆく音が聞こえた。すぐ後に、からん、と氷が滑り落ちる音がした。
「ちょっと待っててくれ」
ヴェルナリスが一度席を立ち、入口の方へ行った。
何かと思っていたら、部屋がふっと薄暗くなった。
「明るいと雰囲気が出ないからな」
「それもそうだな」
グラスを二人で持って、テーブルの上で触れ合わせた。
ちん、と高い音が鳴った。
一口含む。
芳醇な匂いが鼻から抜けた。大分強い酒のようだ。
ヴェルナリスが一気にグラスを飲み干した。
「どうしたんだ? 酒なんて」
「ん。もう少ししたらハイライン領を出るからな」
ヴェルナリスの顔がもう赤くなっている。
顔に出やすいようだ。ヴェルナリスは二杯目をついだ。
「まさか君と飲む日が来るなんてなぁ」
「そうだな。初対面でボコボコにされたし」
「……う。君が弱かったのがいけないんだ」
頬を膨らませ、グラスをまた呷った。
またグラスが空になる。
「大丈夫か? そんなペースで」
「いいんだ。これくらいじゃないと酔えない」
ひっくとしゃっくりをしながら、グラスに酒を注いだ。
大丈夫だろうか。
「記憶が取り戻せたあとは、君はどうするんだ?」
「その後か……。とりあえずルナのことは何とかしたいなぁ」
「じゃあ、そのあとは?」
そういえばクロノは異世界から来たんだったな。
この世界に帰る場所はあるのだろうか。
「君は、どこかに行ってしまうのかな」
潤んだ瞳でヴェルナリスがおれを見つめた。
「わたしは、ずっと一緒にいたいな」
「よ、酔ってるのか?」
「酔ってない」
彼女はまた酒を一気に飲み干すと、椅子を動かしておれの隣に来た。
ち、近い。
少しだけ椅子を動かす。
だがヴェルナリスも同じように少しだけ動いて、おれに近づいた。
もう一度椅子を動かす。やっぱり同じくヴェルナリスがついてきた。
「もう少し離れてくれよ」
「いいじゃないかあ。きょーくらい」
またヴェルナリスがグラスを空にした。
ちなみにそれはおれのグラスだ。
「本当に大丈夫か?」
「らいじょうぶだ」
大丈夫じゃないと思う。
ヴェルナリスが右肩をおれにくっつけるようにした。
「お、おい」
「きみはひきょーものだ。甘えていいと言ったくせに、ちっとも触ってくれらい」
「触ってって……」
思わず横顔を見る。あらためて見ると、ヴェルナリスの横顔はとても綺麗だった。
赤らんだ頬が妙に色っぽく見えた。
「それとも、わたしのこと、きらいなのか?」
「き、嫌いじゃない」
「じゃあ、好き?」
「え?」
「こら、ちゃんとこっちを見なさい」
ヴェルナリスがおれの顎をつかんで、ぐいっと向きを変えた。
正面に向かい合うようになる。
「好き?」
「う、うん」
「えへ」
にんまりと頬が緩んだ。
「わたしも」
「う、うん。ありがとう」
ヴェルナリスが抱きついてきた。
どくん、と鼓動が高鳴った。これは酒のせいか、それとも――。
「ん?」
ぐうぐうと寝息が聞こえてきた。
おれはため息をついた。
なんだか翻弄されてるなぁ、おれ。
長い夜が更けていった。




