第49話 歩み始めた者たち
翌朝。
ルナとヴェルナリスに挟まれた状態で目が覚めた。
おかしいな。眠る前は一人だったはずなのに。
ルナの耳が消えている。
ルナは多分この為にベッドに入ってきたと思うが、何故ヴェルナリスまで。
両耳から彼女たちの吐息がかかり、体に痺れたような緊張が走った。
彼女たちの体温と柔らかさが腕にある。顔が急に熱くなったのを感じた。
起きよう……。
まだ眠いけど、狭いし、こんなんじゃ寝れないし。
彼女たちの腕を振りほどいて強引に体を起こした。
カーテンを開ける。まだ辺りは薄暗い。
屋上に向かいながら、この先のことを考えた。
今日、レビアの目が覚める。
もうこの街にいる理由もなくなる。すぐに出発するべきだろうか。このブリーズの街では結局正体をばらしてしまった。
問題になる前に移動をした方がいいかもしれない。
屋上へ到着し、準備体操をしてから型の練習を始めた。
少し経つと身体が熱を持ち始めた。速度を上げる。
――いい感じだ。
実戦で使える唯一の型。なるほど。よくできている。これもクロノが考案したものなのだろうか。おれの頭ではこんなものは考えつかないような気がするが。
扉の開く音がして、振り返った。
ヴェルナリスが二の腕をさすりながらこちらへやってきた。
「おはよう、クロ」
「うん。どうした?」
「君がいなかったから探しに来たんだ」
唇を尖らせてそう言った。
心配してくれたようだ。
「そう言えば、おまえ、おれの隣で寝てたよな」
「あぅ……」
ヴェルナリスの目線が左右に揺れて、頬が赤くなった。
「そ、それより! 聞いてくれ、クロ。わたしはついにルナのあの姿を見ても怖い気持ちがなくなったぞ」
「そうなのか?」
「うん。もう大丈夫だ」
ヴェルナリスが笑った。
「そっか。良かったな」
「頑張ったんだぞ。わたしも、ルナも」
昨日のあれか。あれは結局何だったんだろう。
それにしてもすごい姿だったな――。
「な、なんだ? 変な目でわたしを見るな……」
……やめよう、思い出すのは。
なんか朝から変な気分になってくるし。
「クロ、今日レビアの目が覚めるんだよな」
「うん」
「どうする? 今日出発するのか?」
「そうだなぁ。そうしようと思ってるけど」
ヴェルナリスが上目遣いにおれを見た。
「ラスカ様にお会いしたら、クロは記憶を取り戻せるのかな」
「そうだといいけど」
「君は、クロノ様なのかな」
どうだろう。
クロノと言われてもピンと来るものがない。だが些細な瞬間に、自分がクロノだと思う時がある。
ドロシーさんの家にいる時や、体術の修行をしている時、魔法や魔族のことを考えた時。
「わたしは君がクロノ様だったら、嬉しいな」
「そうか?」
「うん」
ヴェルナリスがおれを見つめた。
そこには尊敬の念が込められている気がした。
「そうだったとしてもおれは今まで通りに接してほしい」
「分かってる。わたしだって今さら君をクロノ様だなんて呼べない。わたしが嬉しいと思ったのは、過去に救ってくれたのがクロだったらいいなと思ったんだ」
「なんでだよ?」
ヴェルナリスはぱちぱちと瞬きをした。
「なんでだろう?」
「おれに言われても……」
ヴェルナリスは難しい顔をして何か考えていたが、ふと何か思い当たったものがあったのか、突然顔を上げた。
そして何故か耳まで赤く染まった。
「ク、クロ。わたし、も、戻ってる。ルナが寂しがるとかわいそうだから」
「あ、うん」
ヴェルナリスは駆け足で屋上から消えていった。
……何なんだ。
あまり深く考えてはいけない気がしたので、型を再開することにした。
結局昼近くまで修行をしてから部屋へ戻った。
ルナとヴェルナリスは何かカードのようなものを使って遊んでいた。
熱中しているのか、おれが来てもこちらをちっとも見なかった。
これもマジックボックスで買ってきたものなのだろうか。
思えば昨日ヴェルナリスを拘束していた縄や口枷もおれたちが持っていなかったものだ。なんであんなものを買ってきたんだろう。
しばらく待っていたら勝負が終わったらしい。
ルナが勝ったようだ。
「ま、待て。もう一回」
「だーめ。ヴェラが勝つまで続けなきゃいけないじゃない」
「でも……」
「わがまま言うとクロにあれ言っちゃうよ。あのね、クロ」
「わー! い、言うな!」
何だか騒がしかった。
「なあ、ドロシーさんの所に行かないか」
「そうね。ねえ、クロ。レビアはどうしてドロシーさんのところにいるの?」
「きっとレビアが話してくれるさ」
「うん……。わたしも言わないといけないことがあるし」
ルナは一瞬怯えた表情を見せたが、すぐに笑顔を見せた。
ルナだって、きっと心のどこかでは信じているはずだ。だからこそヴェルナリスと話をしたんだろうから。
「じゃあ行こうか」
「うん」
部屋を片付けて、一階へ降りる。
店主へ色々と迷惑をかけてしまったことを詫びた。
彼は手を左右に振って否定をした。ウイリアムさんにはこの宿のことも書いておいた。きっと何か礼をしてくれると思う。
店を出て、ドロシーさんの所へ向かう。
水路を眺めながらゆっくりと歩いた。この水路が魔法陣だったとは、来た時には全然気がつかなかった。
この結界のことを、この街の人は知っているのだろうか。普通だったら気がつかないと思う。
銀髪の男は自分のことをついてないと何度も言っていたが、今となってみると、逆におれは運がよかった。
まるで導かれるようにルナの所へ行くことができた。
この結界を知ったのも偶然だったし、ルークさんと出会えたことも大きかった。
彼がいなければ、あの魔物の群れは突破できなかっただろう。
色々と考えながら歩いているうちに、ドロシーさんのところへ着いた。
ドロシーさんはまた胸元のはだけた服を着ていた。目のやり場に困る。何故かヴェルナリスがおれの横腹をつねってきた。
部屋に入ると、レビアが座っていた。
柔らかい微笑みを浮かべている。
「レビア、目が覚めたんだな」
「はい。心配かけてごめんなさい」
レビアは立ち上がり、ルナとヴェルナリスを見た。
「ドロシー様から聞きました。ルナもヴェラも大変だったのですね。無事でよかったです」
ヴェルナリスが顔を左右に振った。
「すまない。わたしはルナを守れずに気を失っていただけなんだ」
「謝るのはわたしの方です。大事な時にいなくなっていたんですから。ルナも、ごめんなさい」
「ううん。わたしが悪いの。わたしが何も言わなかったから……。ねえ、聞いて。レビア。わたし、言わなくちゃいけないことがあるの」
「はい。聞きますよ」
ルナがレビアに近づいた。
「お願いだから、怖がらないでね。絶対レビアを傷つけないから」
ルナの声が震えていた。
きっと緊張しているのだろう。
レビアの耳元に手を当てて耳打ちをした。
レビアは目を開き一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにまた冷静な顔を見せた。
ルナがレビアから離れた。眉を寄せ、ひどく怯えた顔をしている。
今度はレビアがルナに耳打ちをした。
ルナは途端に目を潤ませた。
鼻をすする音が聞こえ、指で目元を拭いた。涙を流しているが、その顔は安心しているように見えた。レビアは優しい瞳をルナに向けた。
レビアの声は聞こえなかったが、ルナにとって嬉しい言葉だったに違いない。
「わたしもルナとヴェラに言わないといけないことがあるのです。それはわたしがドロシー様の家にいた理由です。聞いてくれますか」
レビアは深呼吸をした。
「クロがオルハルトで殺されそうになったことを二人は知っていると思います。それは――。わたしがクロの命を狙ったのです。わたしはオルハルトの暗殺者でした」
ルナとヴェルナリスは二人そろって驚いた顔を見せた。
「わたしは心を持たない人殺しでした。でも、そんなわたしをクロは救ってくれたのです。そして、わたしを縛りつけていた呪いを、ドロシー様が消してくれました」
レビアはポケットから指輪を取り出した。
ルナもヴェルナリスも、おれの指にそれがあったことは知っているだろう。
「今まで黙っていてごめんなさい。でも、もう嘘をつきたくなかったから」
レビアが俯いた。ぎゅっと拳を握っている。
ヴェルナリスがレビアに近づいた。
「レビア。言ってくれてありがとう。わたしにとってレビアもルナも初めての友達だ。レビアがどんな過去を持っていても、わたしは気にしない」
「わたしも。さっきわたしに言ってくれたこと。同じ気持ちだよ」
「ルナ、ヴェラ。――ありがとう」
三人で輪になって、お互いの手を重ねている。
「なんかいいわねぇ。若いって」
隣にいたドロシーさんが呟いた。
「あたしも変わらないといけないのかなぁ」
ドロシーさんはおれの目線に気がつくと、照れ臭そうにはにかんだ。
「あ、そうだ。ウイリアム様から手紙が来てたわよ。ちょっと待ってて」
「あ、おれも行きます」
ドロシーさんと一緒に廊下を歩く。
「おれが出した手紙の返事がもう帰ってきたんですか?」
「ううん。多分行き違いになったのね。ウイリアムさんも君に用事があったみたい」
奥の部屋に入る。レビアが眠っていたのとは違う部屋だ。
ここはドロシーさんの部屋だろうか。壁一面の本棚には分厚い本が敷き詰められている。
大きなテーブルの上にはガラスの瓶がいくつか置いてあり、その中には紫色の液体が入っていた。
部屋全体に薬草のような香りが漂っていた。
「ごめんね、片付けてなくて」
「いえ……」
ドロシーさんはテーブルの上の書類を漁るようにして、一枚の封筒を取り出した。
「あたし宛にも手紙があったんだけど、もし君に渡す機会があれば渡してほしいって書いてあったわ」
封筒を開き中から紙を取り出す。
やあ、クロ。
ハーレムを楽しんでるか?
おまえのことを知ったらスフィラの男達はみなおまえを狙うだろう。気をつけろよ。
ところで、これからザリオル領に行くことになるところだと思うけど、頼みがあるんだ。
最近、魔物の目撃例が増えていることはおまえも知っているだろ。
ここ数日で、その数がまた増えてきている。
ラスカ様なら何か分かることがあるかもしれない。
ついでに聞いておいてくれ。じゃ、頼んだぞ。
ウイリアム・エーデルランドより。
追伸
ムラムラしてもヴェラを襲うなよ。
……な、なんて緩い文章なんだ。
相変わらずふざけた人だなぁ。
おれは気持ちを引き締め直してもう一度手紙を見た。
魔物の目撃例が増えている、か。
ルナが言うには、銀髪の男は魔王が復活したようなことを言っていたようだ。
ラスカさんに会えば何か分かるということだろうか。一体どんな先導士なのだろう。
おれは手紙を懐にしまった。
このことはあの三人に伝えなくてはならない。彼女たちを危険に晒したくない。
ドロシーさんとともに部屋を出て、三人の待つ部屋へ戻る。
「君たちはこれからどうするの?」
「これからザリオル領に行く予定です」
「ザリオル領か。歩いて五日くらい掛かるわね」
五日か。
長いとは思わない。むしろあと五日しかないのか、という感想が浮かんだ。
おれは恐怖を紛らわすように拳を強く握った。
クロノの記憶を取り戻した時、おれはクロでいられるのだろうか。
情けないが、足が震えるほど怖い気持ちになる。
だが、それでも行かなくてはならない。
部屋へ戻る。
彼女たちはテーブルを囲うように座っていた。
「三人とも、聞いてくれ。ウイリアムさんから手紙が来た。最近、魔物の目撃例がまた増えたらしい」
ルナが不安そうに目を伏せた。
ヴェルナリスがルナの肩に手を置いた。
「もしかしたら、この先もまた危険なことがあるかもしれない。でも、聞いてくれ」
おれはレビアを見た。
「レビア、刻印はもう消えたけど、おれと一緒に来てくれるか?」
「そう言ってくれて嬉しいです。わたしを連れて行ってください」
「ルナも、ヴェルナリスも一緒にきてほしい」
「当たり前でしょ」
「わたしは君の護衛だからな」
三人は笑って応えてくれた。
「みんな、ありがとう」
温かい気持ちが胸に広がり、それは勇気と変わる。
彼女たちを守らなければと強く想った。
レビアが立ち上がり、ドロシーさんに近づいた。
「ドロシー様、本当にありがとうございました」
「うん。いつでもここに来てね。あたしは君たちの味方だから」
ドロシーさんはおれに目線を向けた。
「頑張りなさい、クロ」
彼女は初めておれの名前を呼んだ。
――決意を固める。
「……はい」
おれはそう答えた。
ルナもレビアもヴェルナリスも、みんな過去に立ち向かい戦っている。
そして明日を目指し歩き始めた。
「じゃ、行くか!」
――今度はおれが、新たな出発をする番だ。




