第47話 三度目の夢
おれは街を歩いている。左右を見る。
細い路地を、倒れた建物の瓦礫が塞いでいる。
――あぁ、そうか。
――これは前回の夢の少し前の出来事だ。
周囲から人の叫び声が絶えず聞こえている。
女の子の泣き叫ぶ声、老人の呻き声、男の怒号――。
何かが崩れる音がそこに重なり、そして火の猛る音がした。
歩いているうちに、前方に座り込んでいる女性が見えた。
髪の毛の赤い綺麗な顔の少女だった。
――あぁ、あれは。
若い時のドロシーさんだ。やはりこの記憶は――。
こちらに気がつき、彼女は顔をはっと上げた。
彼女は疲弊しきった顔でおれを見上げた。
その顔は絶望に染まっていた。
「助けて――クロノ」
彼女は小さくそう呟いた。
何か夢を見た気がする。
だが夢の内容は忘れてしまった。
上半身を起こし、首の辺りを指でかいた。
あくびをする。頭がぼおっとしてる。
「クロ、起きたのか」
半開きの目で声のした方を向いた。
ヴェルナリスが心配そうにおれの顔を見ていた。
そうだ。
ヴェルナリスは目覚めたのか。よかった。
「クロ、ルナを助けてくれてありがとう」
「うん。……ルナは?」
「ルナは買い物に出かけた」
「買い物?」
ヴェルナリスは辛そうに俯いた。
「わたしと一緒にいたくないのかもしれない。わたしが起きてすぐ出てってしまった」
「そうか。でも違うぞ、ヴェルナリス」
ヴェルナリスが顔を上げた。
不安そうな表情をしている。
「ルナはおまえたちと一緒にいたいから戻ってきたんだ」
「……うん」
窓の外を見る。
日が高く昇っている。おれはまた長時間眠っていたようだ。
「わたし、どうしたらいいのかな?」
ヴェルナリスは眉を寄せ、甘えた顔でおれに近づいた。
「ルナに許してもらいたい」
「何を?」
「ルナが連れていかれそうになった時、あの耳を見て、わたしは思わず悲鳴を出してしまった」
そうか。これだったのか。
ルナが言っていたのは。ヴェルナリスが後悔していたのは。
「ヴェルナリスはどうしたいんだ?」
「わたしは――。謝りたい。守れなかったこと。驚いてしまったこと」
「そっか。それで? そのあとはどうするんだ?」
「そのあと?」
ヴェルナリスはしばらく顔を伏せていたが、またおれの顔を見つめた。
「一緒にいたい」
「なら、それを伝えればいい」
「うん。許してくれるかな」
「大丈夫だよ」
「うん……」
心配することはない。杞憂に終わる。
おれは笑いながらヴェルナリスの頭をぽんぽんと叩いた。
とりあえずシャワーを浴びたい。
血塗れの服も着替えたいし。
「ヴェルナリス、シャワーのお湯を出してくれないか?」
「あ、うん」
ヴェルナリスが立ち上がり、この部屋のシャワールームへ入っていった。
すぐに湯の出る音が聞こえてきた。
全身がベタベタしていて気持ちが悪い。
おれは服を脱ぎ上半身だけ裸になった。
体を見下ろす。血の跡がこびりついているが、目立つような傷跡は増えていない。 あばらの辺りを触ってみる。問題ない。完璧に治っているようだ。
ヴェルナリスが戻ってきた。
顔を赤くしながら目を背けている。
「ク、クロ……。なんで裸に」
「あ、あぁ。ごめん」
その時、入口の扉が開いた。
ルナが戻ってきたようだ。手に紙袋を持っている。
ルナは戻ってくると、裸のおれと顔を赤くしているヴェルナリスを交互に見た。
それから眉を寄せ唇をわなわなと震わせた。
「クロ、さいてー」
「誤解だ!」
冷たい目でじろじろと見られる。
……もういいや。シャワーを浴びよう。
おれは逃げるようにシャワー室へ入った。
シャワーを浴び、服を着てから部屋へ戻る。
二つ並んだベッドに腰かけて、向かい合うように座っていた。
ヴェルナリスが涙を拭いたのが一瞬見えた。
ルナが遅れてこちらを振り向いた。ルナの目も少し赤くなっていた。
二人は大事な話をしていたようだ。
何となくおれはこの場にいない方がいい気がした。
「おれ、ちょっと屋上に行って修行してくるよ」
「……うん。クロ、お腹空いてない?」
「空いてる」
ルナが部屋の隅のテーブルを指さした。
「さっきパンを買ってきたの。それクロの分だから」
「ありがとう」
紙袋を持って部屋を出ていこうとした時、
「クロ!」
とヴェルナリスに呼び止められた。振り返る。
ヴェルナリスは笑みを浮かべていた。
涙で潤んでいたが、強い目をしていた。久々にヴェルナリスのこういう目を見た。
「わたし、次はルナを守るから。約束する」
「うん」
おれは笑って返事をしてから、部屋を出た。
屋上に上がった。
冷たい風が吹いていたが、シャワーで火照った体を冷ましてくれて、気持ちがいいくらいだった。
フェンスに腕を乗せ、街を眺めた。
レビアは今頃どうしているだろうか。
夜なら儀式も終わっているだろう。一度会いに行きたい。
紙袋の中を見る。パンが三つと紙パックのミルクが入っていた。
パンを一つ取り出すとまだ温かった。おれが好きな砂糖をまぶしてある甘いパンのようだ。街を眺めながら、おれはパンにかぶりついた。
食べながら今後のことを考える。
ウイリアムさんにもどうにかしてこの件を伝える必要がある。
ドロシーさんに方法を教えてもらえるだろうか。
それにルークさんにもう一度お礼がしたい。それに、あの銀髪の男のことも気になる。
この街でも、もう少しだけやることがありそうだ。
だがそれもすぐに終わるだろう。
レビアが戻ってきたら、次の街へ出発することになる。
ザリオル領。そしてラスカという先導士に会いにいく。
おれはそこで記憶を取り戻すことができるのだろうか。
何故おれが十年前から歳を取っていないのか。記憶が消えてしまっているのか。マナが使えなくなっているのか。異能が変わっているのか。
その謎が解ければいいが――。
パンを食べ終えてから、準備体操をした。
少し型を練習してから戻ろう。
今までおれが修行していた型は、抜光というものだ。
だがこの型はもう極めている。
それでもおれがこの型を続けていたのは、次の型――つまりそれは最後の型になるわけだが、そのイメージが掴めずに断念していたせいだ。
最後の型、実践で使える唯一の型。
六つの技を組み合わせた一連の動きが、三回続く。つまり十八の技が組み込まれている。最終の型としては短すぎるくらいシンプルな型だ。
他の型と違うのは、動作の始まりと終わりが同じ構えを取っている点だろうか。一体どこが実戦で使えるのか分からず、どうもしっくりこなかったが――。
昨日の銀髪の男との戦いで、そのイメージを掴むことができた。
おれは構えを取った――。
昨日の戦いをイメージする。流れるように体を動かし、打撃を叩きこんでゆく。
いつの間にか日が暮れ始めていた。
肌寒さを感じて、一度部屋へ戻ることにした。
ルナとヴェルナリスは何をしているだろうか。
部屋の前に着きドアをノックした。
「はーい」
とルナの声がした。明るい声だ。
「おれだけど」
言うと、扉が開き中からルナが顔を覗かせた。
妙に頬が赤くなっていて、何故か部屋の中にいるのにフードを被っていた。
「おまえ、もしかして……」
「うん」
ルナは入口をロックしてからフードを外した。
「出しちゃった」
白い耳がぴょこんと飛び出ている。
そして部屋の中から妙な声が聞こえてきた。
「な、なんの声だ?」
「こっち来て」
ルナに案内され部屋へ入る。
部屋の中央でヴェルナリスが椅子に縛り付けられ、うーうーと唸っている。
「ヴェラ。クロが来たよ」
ルナと一緒に、正面に回り込んだ。
ヴェルナリスが口に赤い玉の口枷を咥えている。
おまけに黒い布で目隠しをされていた。
ヴェルナリスが動こうとするたびに、椅子が軋んで音が鳴った。
「こ、これは?」
「ヴェラがこうしてほしいって言うから」
…………なんで?
ヴェルナリスをもう一度見る。
頬を赤く染めながら唸り声を出している。
「見て、クロ」
ルナがヴェルナリスに近づいて、胸の先をつんつんと突いた。
ヴェルナリスがびくりと体を動かした。体に縄が食い込んでいて、妙に胸が強調されている。一言でいえば、めちゃくちゃエロい姿だった。
「お、おまえたち……一体何を」
「クロがヴェラの体を見てるよ。恥ずかしいね」
……やめろよ。
「うわぁ。ヴェラ、やらしい。またえっちに匂いが強くなったよ。クロに見られて嬉しいの?」
ヴェルナリスが声を出しながら首を振った。
桃色の髪が激しく左右に揺れた。
動こうとしているのか、椅子が激しく揺れている。太ももを寄せるようにして、よがっているようにも見えた。
ルナが尻尾を動かして、ヴェルナリスの首元に近づけくすぐるように動かした。
ヴェルナリスが息を荒げながら頭をのけ反るようにした。口枷からヴェルナリスの涎が垂れ落ちた。
「可愛いでしょ」
ルナはヴェルナリスの頭をなでた。
ふーふーとヴェルナリスの息が聞こえた。
「クロも触ってみる? 今なら触りたい放題だよ」
「ば、馬鹿! んなことできるか! ていうか何だ? これは」
「何って……。これがわたしたちの出した答えなの。見て分かるでしょ」
「わ、分かるか!」
何故こうなったんだ……。
「と、とりあえず、おれ、また出るから」
「え、ま、待ってよ。こっからが本番なのに」
顔が熱くなっているのが分かった。
とりあえず出なければ。ここは男が入ってはいけない空間だ。
「す、すごい光景を見てしまったかもしれない」
思わず独り言を呟いていた。
しかし出たはいいがどうしようか。
うろうろと廊下を歩いた挙句、結局もう一度部屋をノックをした。
またルナの声が聞こえた。
「おれ、ドロシーさんのところに行ってくるけど、大丈夫か?」
「あ、うん。部屋から出ないから大丈夫」
遅くならないうちに戻ることを告げて、今度こそ本当に部屋を離れた。
外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
おれはフードを深く被り直し、ドロシーさんの家へ向けて歩き始めた。




