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第46話 信じる心

 しばらくそのままの体勢でいたが、やがてルナの方から離れた。


「クロ、助けに来てくれてありがとう」

「うん」

「でも、もうここでお別れしましょう」

「え――?」


 ルナはフードを外した。

 獣の耳がぴょんと立っている。


「さっき聞いたでしょ。わたしは魔人なの。もう一緒にいることはできない」

「魔人……」

「クロは記憶がないから分からないかもしれないけどね、魔人って、人に近ければ近いほど力を持っているのよ。わたしのこれを見た人は、みんな怯えてしまう」


 ルナは尻尾を持ち上げ、力のない瞳でその尾を見つめた。


「わたしはもう、大丈夫だから。たくさん思い出もできたし」

「なんでだよ。帰るぞ、ルナ」

「ヴェラはわたしのことを怖がってた」


 ヴェルナリスが気を失う前、何かを強く後悔していたことを思い出した。


「お願い。もう嫌われたくないの。このまま綺麗な記憶として終わらせてほしい」

「嫌いになんてならないよ。大丈夫だ」


 ルナがおれをじっと睨んだ。

 ふいにあの森で出会った日と、同じ目をしている。


「もう帰って」

「帰らない」

「帰ってよ!」


 ルナの声が部屋へ響いた。

 そこには強い拒絶があった。


「クロには分からないよ。魔人を見て恐怖を感じない人間なんて、この世界にはいないんだから。――もう、嫌なの。気味悪がられたり、怖がれたり、殺されかけたり。辛い思いをするのは、もう嫌」


 ひょっとしたら、これはおれのわがままな願いなのかもしれない。

 記憶のないおれにはそれが分からない。


「だから、お願い。もう帰って」


 でも、そうだとしても、おれはここでルナと離れたくない。

 それがおれの本心だ。記憶がないからこそ、おれはその心に従うべきだ。


「ルナ、おまえの見た目はたしかに魔人なのかもしれない。おれは何も感じないが、他の人には恐怖の対象として映るのかもしれない。それは否定しない」


 ルナが辛そうな顔で俯いた。


「でも、おまえは魔人じゃないだろ。心を持った人間だ。おれもレビアもヴェルナリスも、みんなそれを知ってる」

「……言ったでしょ。ヴェラはわたしを怖がってたって」

「ルナに恐怖を感じたんじゃない。おまえの姿に魔人の影を見たんだ」


 ルナは造りものめいた嗤いを浮かべた。


「同じことじゃない。この姿を見て怖がったんだから。わたしは自分が嫌われたくない以上に、レビアやヴェラを怖がらせたくないの。分かるでしょう?」

「おまえは、それでいいのかよ」


 ルナは戸惑った顔を見せたが、すぐにまた表情を作った。


「当たり前じゃない。わたしはずっと一人で生きてきたんだから。また元に戻るだけ」


 元に戻るだけだと――。


「嘘をつくな」

「嘘じゃない!」


 こんな日がずっと続けばいいのに。あの村でそう言ったルナの表情は何だったんだ。マジックボックスで幸せそうに絵を抱きしめていたあの顔は何だったんだ。


「クロ、知ってる? 人はね、一人でも生きていけるんだよ」


 ルナの瞳から涙が零れた。


「寂しくなんてないよ。今までずっとそうだったんだから」


 なら、なぜ泣いている。

 ルナはただ怯えているだけだ。

 望んだ結果を得られない未来だけを見て、ただ恐怖している。


 どうする。どうすればいい。

 考えろ。おれに何が言えるだろうか――。


 考えを巡らせた結果、辿り着いた言葉を口にした。


「信じろ、ルナ」


 ルナが瞬きを二回した。


「信じろって言ったんだ」


 ルナはまるで敵を見るような目でおれを強く見た。


「どういう意味?」

「そのままの意味だ。おれたちを信じろ」

「レビアやヴェラが、わたしを見ても怯えないし、怖がらない。そう信じろってこと? ……無理だよ、そんなの」

「違う!」


 ルナは体をびくりと動かした。


「たとえ怯えても、たとえ怖がっても。ヴェルナリスもレビアもおまえのそばにいようと努力をする。そこから逃げようとなんてしない。その心を信じろ」

「信じる……」

「おれもルナのことを信じる。嫌な思いをしても、辛い思いをしても、それでもおれたちのそばにいる努力をしてくれると、そう信じてる」


 ルナは頭を振った。


「なんでよ。なんでそんなことを信じられるの」

「理由なんかないよ。それが信じるってことだろ」

「じゃあ、もしも裏切られたら? 恐怖のあまり、ヴェラはわたしを殺すかもしれない」

「ヴェルナリスがそんなことするわけないだろう」

「分からないじゃない!」


 ルナは大声をあげた。


「今までもそうだった。わたしは、これまで何度も殺されかけたことがある。魔人の姿を見せるまで優しくしてくれた人たちにね。もしヴェラが、あんな目でわたしを見たら、きっとわたしはもう、生きていけない」


 ルナは今日まで一体どんな人生を送ってきたのだろうか。

 おれには想像もできないほど辛い日々があったのかもしれない。


「――分かったよ」


 そう言うと、ルナがおれを見た。


「なら、とりあえず、おれだけ信じろ」

「クロだけ?」

「あぁ。おれは記憶がないから、おまえのその姿を見ても、なんて思わない。それは信じられるだろう」

「……それはそうだけど」

「だから、おれがおまえのそばにずっといてやる。おまえの不安があたってしまって、ヴェルナリスやレビアがいなくなってしまっても、おれはずっとおまえのそばにいる」


 ルナは疑い深い目でおれを見た。


「そんなこと、できるわけないじゃん」

「できる」

「嘘」

「嘘じゃない。本当だ」


 ルナはまた俯いた。


「でも……」

「おれのことを信じられないか?」


 上目遣いにおれを見上げた。


「レビアとヴェルナリスはどうするの? クロの記憶は?」

「全部、後回しだ。それにさっき言ったとおり、おれはあいつらを信じてる。おまえの代わりに、おれがあいつらを信じる。そんなことにはならない」

「……もしかしたら、わたしの方が先に逃げてしまうかもしれない。やっぱり怖くなって」

「ならない。おまえが信じられなくても、おれはおまえを信じる」

「でも――」


 おれはルナの言葉を遮った。


「もしもおれが間違っていたのなら、おれはずっとおまえのそばにいる。嘘じゃない」


 ルナはしばらく何かを想い巡らすように目を閉じていた。

 そして、胸に手を当ててゆっくりと目を開いた。


「ほんと?」

「あぁ」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃない」


 そして。


「……分かった。クロのこと、信じてみる」


 そうルナは言った。

 大丈夫。きっと素晴らしい未来が待っている。


 ――あれ。

 まずい。頭がくらくらする。安心したせいか。


 これは倒れる前の前兆だ。

 でも、もう少し頑張らなければ。


「じゃあ、帰るか」

「うん。でも、その姿で帰るの?」

「これか……」


 血まみれで目立つよな。

 夜中だから人もいないと思うけど。


「わたしもこれがあるし」


 ルナが獣の耳を引っ張った。


「クロ、わたしのこれ。消して。もしも街の人がこれを見たら大騒ぎになっちゃう」

「消す?」

「うん。クロが触ると、消えるんだよ」


 そうだよな。

 さっき戦ってた時に、気がついていたけど。


「マナ切れは起こさないのか?」

「うん。力を使ってないから大丈夫だよ」

「分かった」


 おれはその耳を両手で触れた。

 するとルナがびくりと動き、そのまま床へ座り込んだ。


「どうした?」

「ご、ごめん。なんかくすぐったくて」


 ルナは膝を立て、足を広げた。

 足の隙間から白い尾がぴょんと飛び出てる。


「尻尾の方にして?」

「うん」


 ルナの白い尻尾の先を優しく握った。

 びくびくと体を震わせながら、「くすぐったい」と言った。


「もっと優しくして」

「う、うん」


 握る力を弱め、でるようにした。


「クロ……」


 吐息混じりの声で小さく喘いだ。

 ほおが赤くなっているし、瞳から力が抜けている。


「あっ……ん……」

「変な声出すなよ……」

「だってこんな所触られたことないし……。……なんかじんじんして、頭がぼおっとする」


 ルナが足を更に開いた。

 腰をこちらに突き出すように動かしながら、小さくよがり声を出した。


 いかん、くらくらする。

 倒れそうだ。


「もっと奥まで触って……」


 尻尾をでる手を、だんだん体の方へ近づけていく。

 ……太ももが近い。そう思った時、つい強く握ってしまった。


「……っ!」


 ルナの体がのけ反るようにしてびくんと跳ねた。

 膝ががくがくと痙攣けいれんしているように震えている。


「す、すまん。大丈夫か?」


 はぁはぁと息を荒げ、口からよだれを垂らし、光悦した目でおれを見つめている。


「耳も一緒に触って」


 何かいけないことをしている気がしながらも、言われたとおり獣の耳を触った。


 ルナは口元を手で抑えた。


 恥ずかしがってるような、痛がってるような、嬉しがってるような。

 ふだんとは全然違う表情で、喘ぎ声をあげている。


 ルナがおれの体へ抱きついた。

 至近距離で見つめられる。彼女の熱い吐息がおれのほおをくすぐった。


「もっと、いじめて……」

「ルナ……」


 尻尾を握るたびに、喘ぎ声とともに表情が小刻みに変化する。

 ま、まずい。理性が……。


「クロ、名前を呼んで」

「ルナ……」


 ルナは一際大きい声でいやらしい声を出した。


「も、もう一回……」

「ルナ」


 もう隠すこともせず、その嬌声を上げる。


「激しくして……クロ」


 ルナがよがりながら声を大きく出した。


「ルナ」


 耳元で囁くように言うと、またルナの体がびくんと大きくのけ反った。

 全身をびくびくと動かし、おれに強く抱きつく。


 そして――。


 耳と尾が消失した。

 赤い煙が舞った。


 ルナが激しく呼吸をしながらおれを見つめている。


「ル、ルナ? 大丈夫か?」

「うん。……なんか、すごかった」


 徐々に呼吸が落ち着いてきた。

 ルナがおれから離れた。


「な、なんかあれだったね。ちょっとえっちなことしちゃったね」


 ……やめろよ。


「じゃ、じゃあ行くか? そ、そろそろ」

「う、うん。ちょっと待ってて」


 ルナは立ち上がり、部屋に落ちていたバックパックを拾った。

 それから、破り捨てられたマジックボックスの絵をかき集めた。


 入念に周囲を確認したあとバックパックを背負い、またこちらに戻ってきた。


 ルナがおれの手を取った。


「クロ。帰ろう」


 彼女はまだ赤い頬をしながら、おれを見て微笑んだ。

 今までのルナと、何かが変わった気がした。






 来た道を引き返す。

 水路には魔物の死骸が大量に落ちていた。

 これは全てルークさん一人でやったことだ。

 おれはすごい人に助けてもらったんだと改めて思う。


「結局、こいつらは何だったのかな」

「多分ね、わたしと一緒で、あいつらに何かされたんだよ」

「え?」

「元々、人間だったんだと思う」


 これが元々人間……。


「わたしもねー―」


 ルナが言った。

 震えた声をしていた。


「元々は普通の人間だったの。ちゃんと記憶もある。でも小さい頃にさわわれて、気がついたら髪と目の色が変わって、耳と尻尾が生えてた」


 そうだったのか。


「それが、銀髪の男が言ってた人造の魔人ってやつなのか?」

「うん……」


 怒りが再燃する。

 何かルナを助ける方法はないだろうか。おれの異能が役に立てばいいが。


「あいつはね。世界の全ての人間が、わたしみたいな魔人になることを望んでた。魔族は敵じゃない。恐れるのではなく憧れるべき存在だって」

「憧れるべき存在か」


 奴にも奴なりの信念があったということだろうか。


「それにね、気になることも言ってた」

「気になること?」

「最近、魔族がまた活動を始めたのは魔王が復活したからだって。オロガレス教団は再び力を取り戻すだろう。そう言ってた」


 魔王――。


 クロノに討伐された――すなわちおれが倒したはずの魔王。

 このタイミングだ。

 おれの目覚めと関係がないとは思えない。また一つ目的ができたかもしれない。


 入口まで戻った。


 壁のハンドルを回す。隙間から水が流れてきた。

 どぼどぼと水が中へ落ちていく。


 どうにかルナを連れて外へ出た。

 念のため、外のハンドルも回して閉めておく。

 入ってきた時と違って水があるせいで、何度も息継ぎをしないといけなかった。


 人気のなさそうな路地を歩く。


 歩きながら、レビアがドロシーさんの家に三日ほどいることになったことと、ヴェルナリスが治療を受けて眠っていることを説明した。


「わたしのせいでヴェラが……」

「おまえのせいじゃない。あの男が悪いんだろ」

「うん……でも」


 おれはルナの手を握る力を強めた。


「とにかく、早く戻ろう」


 宿屋に到着する。

 おれが護衛を頼んだ兵が待機していた。


「そ、そのお姿は……」

「大丈夫です。問題ありません。あの、ヴェルナリスは?」

「はい、中におられます。この建物には一切誰も入れておりません」

「ありがとうございました」


 ルナを連れて中へ入る。

 宿屋の店主が深く頭を下げた。


「これは先導士様……、よくぞお戻りに」


 彼もおれが先導士だということに気がついたらしい。

 ロビーには兵士が三人と、白衣を着た男が一人いた。彼らはこちらを向き、膝をついていた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ヴェルナリスはどこで眠っていますか?」

「ロビーで眠っておられます」


 ソファの上でヴェルナリスが眠っている。

 毛布が掛けられていた。


「ヴェラ……」


 ルナが膝をついてヴェルナリスの傍らに座った。


「個室では窓があり危険だと思いましたので、申し訳ありませんがこちらでそのまま眠っていただきました」


 兵士の一人が言った。

 続けて白衣の男が、


「どうやら頭を打っていたようですが、心配はありません。明日の夕方までには目も覚めるでしょう」


 と言った。


 そうか。本当によかった。

 これでレビアが戻ってくれば、全て元通りだ。


「そうですか。皆さん、申し訳ありませんでした。この御礼はエーデルランドの領主を通じて、必ずお伝えするようにいたします」

「め、滅相もございません」

「もう護衛の必要はなくなりました。どうかお休みになってください」


 兵士たちは揃って威勢のいい返事をした。


 店の外まで彼らを見送り、もう一度感謝の言葉を口にした。

 彼らは尊敬を込めた眼差しでおれを見ていた。


 店へ戻り、ヴェルナリスを抱えて、二階へ上がった。

 おれたちの部屋はあの時のままだ。窓が開いていたせいか、部屋は冷え切っていた。


 ルナが窓とカーテンを閉めた。

 おれはヴェルナリスをベッドへ下ろし、毛布をかけた。


 頭が後ろへ引っ張られるような感覚がした。


 ――まずい。ずっと耐えていたが、もうそろそろ限界だ。


 だが、もういいだろう。もう危機は去った。


「ルナ、おれも寝るよ」

「……うん」


 おれは血塗れの服のままベッドへ倒れた。

 きっと汚れてしまうだろう。だがもう着替える余力も残っていない。


 店主に謝らなければ――。


「ありがとう。クロ」


 ルナの声がした。

 どこかへ落ちていくような感覚がして、意識が深く沈んでいくのを感じた――。

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