第45話 光
男の背後にマントが舞う。
「――――なっ!」
男がこちらへ跳んだ。
硬直していたおれの腹部を異形の拳が下から打ち抜いた。
べきべきと鈍い音が体の中から聞こえ、同時に強く吹き飛ばされた。
天井に背中を討って落下する。
受け身も取れずにおれは床へ転がった。
強い眩暈を感じながら、おれは顔を上げた。
あの腕はなんだ――。
銀髪の男の両腕は、明らかに人間のそれではなかった。
黒い服を着ているが、肩から先に異形の腕がついている。
異常に隆起した筋肉は、黒と紫色が混じった色をしていた。
その腕の表面に、白い骨のような筋が走っている。
男が首を鳴らしながらこちらへ近づいた。
男が足を振りあげた。
おれは顔面を蹴り飛ばされ地面を転がった。そのまま壁にぶつかる。
男がこちらへ走ってきた。
まずい、立たなければ――。
男がその太い腕を振りかぶった。
異形の拳が再びおれを襲う。おれは両腕を交差して防御をした。
が、両腕の上から殴られた。壁に叩きつけられる。
口から血が零れ落ちる。ぐるんと視界が揺れ、天井が見えた。
おれは床へ倒れていた。
「おまえ、本当に先導士か?」
――呼吸ができない。
とめどなく血液が口から零れている。肺を破壊されたようだ。
体が、冷たい――。
ルナが泣き叫んでいる声がした。
その声がおれの意識を呼び戻した。
いつの間にかルナがおれを庇うようにして重なっていた。
「もう止めて……!」
「そりゃあ無理だな。先導士はおれたちの敵だ」
「止めないなら、舌を噛んでわたしは死ぬ」
「は! またそれか!」
銀髪の男が首をごきりと鳴らした。
「それなら顎を砕いて死ねないようにしてやる」
くそ――。
早く。早く治れ。
男がルナに迫っている。
治れ。治れ。治れ――!
すっと痛みが引くのを感じる。
呼吸が、出来る。
おれはルナを突き飛ばした。
銀髪の男が目を見開いている。
おれは起き上がると同時に、低い体勢のまま男の懐へ入った。
拳を回転させながら突き出す。男の鳩尾へ拳がめり込んだ。
まるで巨大な岩を殴ったような衝撃が肩から突き抜けた。男の体が後方へ吹き飛んだ。
おれは止めていた息を吐き出した。
手応えがあった。仰向けに倒れている男を見る。
男はぐっと首だけ起こしこちらを見た。
禍々しい腕を床について立ち上がる。ダメージは見受けられない。
「ほう。致命傷だと思ったがな。それがおまえの異能か」
ルナがおれの前に立ち、守るように両手を左右へ広げた。
「クロ、逃げて」
「ルナ、どけ」
「……いや! 早く逃げてよ!」
大男はこちらに近づくと不快な笑みを浮かべた。
「笑わせやがる。魔人と先導士が互いに守りあうとはな」
――魔人?
「やめて!」
「あぁ、そうか。どうやってか知らんが、おまえ、人間のふりをしていたんだったな」
男はおれを見た。
「おい、先導士。おまえは知らないようだから教えてやる」
「クロ、聞かないで! お願い――」
「こいつは――」
ルナが叫んだ。
だが男の声を掻き消すには至らなかった。
「――おれたちが作った、人造の魔人だ」
ルナがその場に崩れ落ちた。
彼女の泣き声が部屋へ響いた。
「人造の魔人だと?」
「そうだ」
男が自身の異形の手を、見つめるようにした。
「おれのような出来損ないとは違う。完全な魔人だ」
ルナが泣きながら「違う」と言った。
「ふん。耳と尻尾のある人間が世界のどこにいる。おまえは立派な魔人だ」
「違う……わたしは魔人なんかじゃ……」
「いいや、おまえは魔人だ。人類の敵であり、おれたちオロガレス教団の光だ。ヘル、おまえも知ってるはずだろう。あいつらがどんな目でおれたちを見ていたのか。おまえは人間じゃねぇんだよ」
魔人が傍らに置いてあったルナのバックパックを持ち上げた。
巨大な指を器用に動かし、中から何かを取り出した。
「こんなものを持っているから勘違いするんだな」
「やめて!」
銀髪の男が一枚の紙を持っている。
――あれは。
マジックボックスで作った、四人の絵だ。
男が紙を破り捨てた。
ひらひらと紙切れが舞う。
――ルナが泣いている。
その声を聞いた時、おれの中で凍っていたものが、音を立てて溶けていくのを感じた。
「そういうわけだ。先導士。もう一度言おう。見逃がしちゃくれねえか。こいつを助ける意味なんかねえと分かっただろう。こいつは人間のふりをしておまえを騙していたのさ」
記憶もなく知識も乏しいおれだが、これだけは分かる。
ルナの居場所はこいつらの所などではない。こんな涙を流させるような連中の傍では。
おれは男に近づいた。
座り込んでいるルナの隣に立つ。
「そうかい。てめえはおれを――いや、おれたちをどうしても殺したいんだな」
「黙れ」
男が眉を動かした。
「ルナはおれの光だ。おまえたちなどに渡してたまるか」
「おいおい。正気かよ」
再び構えを取る。
「ったく。ついてねぇ。だがヘルは渡さねえ。例え死んでもおまえを殺してやる」
「ヘルだと?」
これまで氷の中に閉じ込めていた感情が、ついに爆発した。
「その子の名前は、ルナだ」
ほぼ同時に動いた。
お互いに前進し距離を詰める。
男が右手を振りかざした。黒い爪が襲い掛かる。
左腕の手甲で受け、受け流す。
すごい威力だ。まともに喰らえば簡単に切断されるだろう。
男が左腕を振った。頭を低くして攻撃を躱す。
おれは水平に蹴りを出した。くるぶしへ強烈な一撃を叩き込んだが、男はびくともしなかった。
男が右腕を振りあげた。
――まずい。逃げ場が――。
巨大な拳が振り下ろされる。
両腕で咄嗟に防御をする。が――。
先ほどと同様、防御の上から叩き潰された。
みしり、と耳の中に嫌な音がした。
「パズ・ジ・ロス(破壊の振動)」
歪んだ声がした。
そして。頭の中で何かが破裂したような爆音があった。
そして全身に割れるような強烈な痛みが走り、目の前が赤く染まる。
――なんだ。何をされた。
強烈な吐き気を催した。
今すぐこの世から消えてしまいたくなるほどの激痛が全身にある。
まるで全身が分解されてしまったようだ。
おれは何故こんな思いをしているんだったか。
おれは――。
意識を保て――。
ルナの顔を強い浮かべる。
助けたい。涙を見たくない。笑っていてほしい。
全身に、熱を感じた。
熱は体を内側から貪るように駆け巡る。
徐々に視界が戻ってきた。痛みも薄れてゆく。
耳鳴りも止み、やがてルナの叫ぶ声が聞こえた。
――待っていてくれ、ルナ。
おれは転がるようにして男から距離を取って、そして立ち上がった。
男は何故か自身の両手を凝視している。
「貴様……おれに何をした」
男は頬を痙攣させながら、おれを睨んでいる。
何だ。何のことだ。
「クロ! 腕を狙って!」
ルナが言った。
「わたしと出会った時のことを思い出して」
ルナと出会った時のこと――。
「クロが何をして、わたしがどうなったのか」
ルナと森の中で出会って、名前をつけあった。
それからルナは、マナ切れを起こして――。
男がこちらへ走ってくる。
その表情に先ほどまでの余裕はなかった。
男が前蹴りを放った。
右腕で防御する。異形の両腕の攻撃のそれに比べれば、驚くほど軽い。
おれは回し蹴りを繰り出した。男は腕でその蹴りを防いだ。
男の顔が歪んだ。
なぜ、そんな顔をする。
触られたくないのか、その腕を。
瞬間、頭に浮かんだものがあった。
ルナはどうして何度もおれのベッドに入ってきたのか。過剰なほど、おれに触れようとしてきたいたのか――。
おれは戦闘スタイルを変えることにした。
男の肩を目掛けて右拳を突き出す。
振り抜かずに、触れた瞬間に手元へ引く。
次に左へ跳ぶように移動して膝のばねだけで蹴りつける。速度のみに重点を置いた威力のないものだ。
「て、てめぇ――」
男が蹴りを放った。今度は右へ跳びそれを躱す。
おれは上段、中段、下段へ三連蹴りを撃つ。威力はない。だが代わりに速度を得た。
相手の周囲を旋回する。突く、叩く、蹴る――。
男が腕を使い始めた。だがおれには当たらない。この男の動きが鈍くなっているのだ。
爆竹のような打撃音が部屋へ響く。
小さく、細かく、疾く。雨のような打撃を叩き込む。
そして、おれの放った裏拳が、異形の右腕を叩いたその時、ぱん、と破裂するような音がした。
男の両腕が消失した。
代わりに赤い煙の塊が出現し、それはすぐに拡散した。
「…………ふざけやがって。なんなんだ、てめえは」
銀髪の男が後ろへのけ反った。
焦点の合わない目で天井を見ている。
「ついてねぇ…………」
そしてゆっくりと、床へ倒れ込んだ。
「クロ!」
ルナがおれを呼ぶ声がした。
その声のした方へ振り向いた瞬間に、彼女はおれの胸へ飛び込んだ。
子供のような泣き声を上げながら、おれを強く抱きしめていた。
「ルナ、無事でよかった」
彼女は答えずしばらく泣いていたが、やがて強い目でおれを見上げた。
「死んじゃったかと思った」
「うん」
「なんで来たのよ」
「なんでって……」
「ヴェラから聞かなかったの? 探しに来ないでって言ったのに」
そうだったのか。
でも何故そんなことを――。
その時、後ろから扉を開く音が聞こえた。
振り返る。
ルークさんが立っていた。
倒れている男を見ている。次にひび割れた天井や床を見て、おれへ視線へ移した。
「大丈夫なのか?」
「え?」
自分の体を見る。
自分の血でひどく汚れていた。
「大丈夫です。おれ、怪我が一瞬で治る力もあるんです」
「そうか。その子も無事だったようだな」
ルナがおれの後ろへ隠れるようにした。
ルナを見る。彼女はいつの間にかフードを被っていた。尻尾も服の中へ隠してあるようだ。
ルナはおれの体に隠れながら、ルークさんの方を伺っている。
「ルナ。ルークさんがおれと一緒におまえを探してくれたんだ」
「……ルーク様。ありがとうございました」
ルークさんが鋭い目でルナへ目線を向けた。
「何故隠れる?」
ルナの姿をルークさんに見せても大丈夫だろうか。
見せないほうがいいかもしれない。
「すみません。ルナは今助かったばかりで、混乱しているのです」
おれはルナを抱きしめるようにして、その体を隠した。
「そうか。それもそうだろうな」
ルークさんが銀髪の男のそばに近づいた。
彼は銀髪の男の目を無理やり開き、瞳孔を見ていた。
「マナ切れを起こしているな。一体何があったんだ?」
「……無我夢中でよく分からなかったですが、多分、おれの異能が関係しているのだと思います。そいつには魔物の腕のようなものがありました」
「魔物の腕だと?」
「はい。戦ってるうちに、腕が消えました」
「そうか」
ルークさんが立ち上がる。
「起きたら調べてみよう。さっきの魔物の群れも気になるからな」
「もしかしたらその腕は復活するかもしれません」
「分かった、注意しよう。――遅れてすまなかったな。だがその代わりに、この水路にいた魔物は皆殺しにしておいた。もう心配する必要はない」
「ルークさん、ありがとうございました」
「礼などいらん。結果的におれの目的でもあったわけだからな。おれは色々と処理をする必要があるからもう戻るが、おまえたちは好きにしろ」
ルークさんの手から液体が零れ落ち、その液体は大男に絡みついた。
男の体をずるずるとひきずって、ルークさんが扉へ向かう。
あの男を連れていくようだ。
ルークさんが入口の前で一度立ち止まった。
こちらを見ずに、
「クロ、よかったな」
と言った。
その声に不思議な感情が込められているように感じた。
ルークさんは扉を開けて、部屋を出ていった。




