第44話 正義の力
赤い明かりが照らす薄暗いトンネルを歩く。
進むにつれ、湿気とかびの臭いがきつくなってきた。水の流れる音が絶え間なく流れていて、そこにおれたちの足音が響いていた。
一体ここは何の設備なのだろうか。オロガレス教団が作ったものなのか、それとも古くからこの街にあるものなのか。石壁にこびりついた苔を見ると、後者のように思える。
分かれ道はなく、扉のようなものも見当たらなかった。薄暗いせいでどこまでこの道が続いているのかも分からない。
ルナはここにいるのだろうか。
焦りとともに怒りに似た感情が沸々《ふつふつ》と体の奥に湧き起こったが、押し潰して凍らせていく。その氷塊の中で感情が凝縮していくのが分かる。
それは今にも爆発してしまいそうなほど燻っている。
だがそれでも表には出さない。
一瞬の判断がルナを危険にしてしまうかもしれないから。
歩いているおれの左腕を突然ルークさんが掴んだ。
驚いて彼を見る。
彼は口元に人差し指を当てて、静かにしろと仕草で伝えた。
ルークさんがその指を動かし、前方を指さした。
目を凝らす。
何かが通路の奥に立っているのがうっすらと見えた。
黒い影の塊が一つ。
あれは――。
ルークさんがおれに後ろを歩くように指示をした。
全身に緊張が走る。
歩みを再開する。
近づいていく。
影のうしろにも、同じ形の影がいくつか見えることに気がついた。
影が僅かに動いたように見えた。
同時にひた、ひた、と複数の足音が奥から聞こえた。裸足で歩けばこんな音が出るだろうか。
「驚いたな。まさかこんな街の地下でこいつらを見るとは」
ルークさんが声を出した。
足音がこちらに向かって駆けだした。
「クロ、おれの後ろにいろ」
影が近づいてくる。
そしてその姿が見えた。
――魔物だ。
丸太のような太い手足を使って、四つん這いでこちらに駆けてきている。
その筋肉が盛り上がった分厚い胴体には頭がなかった。赤い照明に照らされたそれは、まるで血に濡れたているように見えた。
ルークさんが何かを呟き腕を上へ振った。
足元の水路から音が聞こえた。
凄まじい勢いで走ってきたそれらは、突然、舞い上がった。
天井へ激しく体を打ちつける。
ぼたぼたと魔物から黒い液体が流れておちた。
いつの間にか、胴体には大きな穴が空いている。
よく見ると、水路から伸びた透明な水が、魔物を貫いて天井へ串刺しにしているのだと分かった。
ルークさんが振り上げていた腕を下ろした。
貫いていた水が音を立てて崩れる。五体の魔物が一斉に通路と水路へ落ちた。
あの魔物の群れを一瞬で……。
これが本物の先導士の力なのだろうか。
「……何故こんなところに魔物がいるんでしょうか」
「さあな。だが行けば分かることだろう」
ルナがもしもここにいるのなら、どうか無事でいてほしい。じりじりと炎が燃えるような感情が巻き起こったが、氷の中に閉じ込めて押し殺した。
再び歩き出した。
動かなくなった魔物の横を通り過ぎる。胴体に空いた穴から赤い煙のようなものが噴き出していた。
そこからまたしばらく歩いたところで、再び前方に影が見えた。
さっきよりも数が多いように思う。
背後からも音が聞こえてきた。虫が飛んでいるような音だ。
その羽音が幾重にも重なり、トンネルの中を不気味に響かせている。ぞっとする嫌な音だった。
「いつの間にか回り込まれたな。隠し扉でもあったのかもしれん」
その声に反応するように前方の影がこちらへ向かってきた。
「こ、こんなに……」
圧倒的な数だった。二十体はいるだろうか。恐怖よりも先に絶望が腹の底に生まれた。
振り返る。
後方からも羽音が近づいてきている。完全に包囲された――。
「クロ、壁の方へ下がっていろ」
彼は通路の前方と後方に向かい、その両手を突き出した。
「顕現せよ――ジャスティス」
ルークさんがそう呟いた瞬間――。
彼の体が黒い霧に包まれた。その黒い霧の中に、雷光のような白い輝きが煌々と放たれる。
周囲の温度が下がったような気がした。そして――。
「アクアブレス」
両腕の先から、凄まじい勢いで黒い波動が放射された。
轟音。
膨大な黒のエネルギーが螺旋を描きながら通路の奥に向かっていく。
黒い霧は何もかもを飲み込んで――。
そして沈黙が訪れた。
前方を見る。分解された魔物の肉片らしきものが壁や天井、通路の床へこびりついている。
至るところから赤い煙が立ち上っていて、ひどい悪臭がした。
後方は影こそ見えなかったが、おそらく同じ状態なのだろうとすぐに理解した。
おれは足が震えたのに気がついた。
今見たものは――。これが本当に一人の人間から放たれたものなのか。
また後方から音がした。耳を塞ぎたくなるような嫌な羽の音だ。
「埒が明かないな。クロ、ここはおれが片付けておく。おまえは先に行け」
「でも……」
「急いだ方がいい。この騒ぎを知って逃げ出そうとするかもしれないからな」
ルークさんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それともおれがいないと不安か?」
「……。行きます」
不安はある。
だがルナを早く探しに行きたい気持ちが遥かに勝っている。
おれは走り出した。魔物の残骸が長く続いていたが、やがて途切れた。前方にもう影は見えない。
「ルナ! どこにいるんだ!」
走りながら叫んだ。
ルナなら、おれの声が聞こえるかもしれない。
一体このトンネルはどこまで続いているのか。それともどこかに隠し扉があって、気がつかないうちに通り過ぎてしまったのか。
不安を押し殺しひたすら走っていく。
やがて通路の反対側に鉄扉があるのが見えた。
水路を渡って扉に駆け寄った。
ドアノブを握る。動かない。ロックが掛かっている。
そのまま握っていると手応えがすぐに変わった。
扉を開いて中を伺う。
細い廊下がある。照明は赤から白に変化している。
水路はまだ続いている。だが、この扉を無視するわけにもいかないだろう。
おれは中へ入ることを決めた。
気配を探りながら廊下を進んだ。突き当りを左に折れる。
奥にまた銀色の扉がある。先ほどと同じようにロックを外し、扉を開いた。
また廊下が続いている。一体ここは何なのだろう。
さっきのトンネルよりも新しい設備に見える。
少し先へ行った所に、鉄格子で塞がられた狭い個室がいくつか並んでいた。これは牢屋だろうか。
一番手前の部屋を覗く。
黒いシミのようなものが床に広がっていた。
廊下を曲がった先に、木製の扉が二つあった。
先に手前の扉から開いた。
薄暗くてよく分からないが、小さな部屋のようだ。
人の気配はしないが、家具が置いてある。雰囲気から、最近まで人がいたのだという感じがした。少なくとも長年放置されたものではない。
「ルナ!」
声を掛けたが返事はない。
部屋をもう一度見渡した。
本棚がある。その手前に机が置いてあって、書類や本が雑然と散らかっていた。
椅子のすぐ下に何本か注射器が落ちている。
あれは何だろう。
この部屋を調べてみるべきだろうか――。
――いや、今は先の部屋に進む方がいいだろう。
そう判断し扉を閉めた。
もう一つの扉のロックを外す。
扉をゆっくりと開きながら部屋を覗いた。
白い石に四方を囲まれた広い部屋のようだ。
物は置かれていない。
どくん、と体の奥から鼓動が聞こえた。
男が立っているのが見えた。
逆立った銀色の髪。太い眉に獣のような赤い瞳。あごの太いがっしりした骨格をしている。
黒いマントを羽織っているが、一目見て体格のいい男だと気がついた。
三十代後半くらいだろうか。男がおれを鋭い目つきで見ている。ここに来ることを知っていたようだ。
こいつが銀髪の大男か――。
凍らせた心が、ばきんと軋んだ。
そのまま部屋を見回した。
部屋の右隅にルナがいた。胸元にバックパックを抱きしめるようにして、壁にもたれて座っている。
「ルナ!」
そう言ったがルナは返事をしなかった。
恐ろしいものを見たような顔でおれを見る。
よく見ると彼女の頭にはあの白い獣の耳が生えていた。ローブの裾から尾も飛び出ている。
「先導士か。全くついてねぇ」
酒で焼けたようなしゃがれた声だった。
「ま、おれに気付いていたあのやべぇ女がいないだけ、まだましか」
「何故ルナをさらった」
「ルナ?」
男は首を回した。ごきっと鈍い音がした。
「……あぁ、ヘルのことか」
ヘル?
「さらったなんて人聞きのわりぃことを言いやがる。ヘルは自分の意志でおれについてきたんだ。なあ! そうだろ」
銀髪の男はルナを見た。
ルナは強張った表情をしている。
ルナの口元が動いた。
小さな声で何を言ったのか分からなかった。
どうしたんだろうか。何か様子がおかしい。
「どうした?」
そう聞くとルナが体が一瞬震えた。
「その男の言うとおりよ」
「え?」
「わたしは自分の意志でここへ来たの」
「ルナ。言わされているんだろ。心配するな。助けてやる」
「クロ……なんで来たの。もう帰って」
ルナの赤い瞳が揺れている。
「帰って!」
打ちのめされた気分がした。
――ルナは今、自分の意志でそう言っている。
「まあこういうわけだ。だから見逃がしちゃくれねえか」
「ふざけるな」
「ただ死ぬくらいだったら道ずれにするぜ?」
男を無視しておれは構えを取った。
「……まぁ、そうなるわな。全く、ついてねぇ」
男の気配が変わった。緊迫感が増していく。
「クロ! やめて!」
ルナの様子が気にかかる。
だが今はいい。今おれがするべきなのは、この男を倒すことだ――。
男がマントをはぎ取り後方へ投げた――。




