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第43話 新月

 夜の街を走った。暗い夜だった。

 走りながら、夜空のどこにも月が見えないことに気がついた。


 まるで悪夢を見ているような最低の気分だった。

 全身が冷たくて、生きた心地がしない。色んな感情が渦巻いていて、自分でもよく分からない。なのにどこか頭は冷静で。それが何よりも恐ろしい。


 スマグラーの店の前に到着する。看板の明かりは消えていた。

 膝に手をついて息を整えてから、ドアを強くノックした。中から返事はなかった。


 扉に触れる。閉まっているようだ。おれはその扉に両手をついて、ゆっくりと力を込めた。すると感触が変わった。扉が開いた。


 店内に入る。

 昨日いた人物が立っていた。


「ど、どうされたのですか?」

「ルークさんに会えますか」


 男は慌てた仕草で頷いた。

 よかった。この店にいるようだ。


 彼は昨日と同じように入口のロックをしてから隠し扉を開いた。

 礼を言ってから階段を急いで下った。


 テーブルにルークさんとロキが座っているのが見えた。

 どうやら食事中だったみたいだ。彼は立ち上がった。驚いた顔をしておれを見ている。

 ルークさんの後ろでロキが心配そうにしているのが見えた。


「何かあったんだな」

「ルークさん」


 おれは頭を深く下げた。


「おれを助けてください」


「言ってみろ」


 おれは頭を上げた。


「ルナがさらわれました」

「ルナ?」

「おれと一緒にいた髪の白い子です。今日の夕方に銀髪の大男に襲われました」

「銀髪の大男か。もっと詳しく分からないのか?」

「すみません。手がかりはそれしかないのです」


 おれはもう一度頭を下げた。


「お願いします。頼れるのは貴方しかいません」


 しばし間があった。


「クロ。先導士が無闇に頭を下げるな」


 おれは頭を上げる。

 彼は鋭い眼光をこちらに向けていた。


「先導士が頭を下げてばかりいたら領民は不安になる。おれたちは誰かに頼っていい存在じゃないんだ。それに、情に流される人間ばかりじゃない。例えばおれのようにな」


 彼はおれの肩に手をおいた。


「だが君のことは助けよう。困ったことがあったら来いと言ったのはおれだからな」


 彼は頬を吊り上げて不敵に笑った。


「ルークさん……、ありがとうございます」

「礼などいらん。君の為に君を助けるわけじゃない。君を助けるのは将来おれの益になるからだ。だから来いと言った。ただそれだけだ」

「でも。ありがとうございます」


 彼は呆れたような顔をして、


「記憶がないとはいえ、君は変わった先導士だな」


 そう言った。


「何があったんだ。詳しく話せ」


 ルークさんが椅子を引く、ロキが食べかけの食事を片付けた。

 テーブルへ向かい合うように座ってから詳細を説明した。


 説明を終えると、ルークさんは少しの間考え込むような仕草を見せた。


「倒れていた少女はヴェルナリスと言ったか」

「はい」

「そうか。彼女がヴェルナリス・デイズウォーカ―か」

「知っていたのですか?」

「あぁ。名前だけはな。彼女を倒せる人間は数えるほどしかいないはずだ。その銀髪の大男は相当な腕なのだろう。少なくとも偶然強盗が襲ったわけではあるまい」


 おれは曖昧に頷いた。彼女は戦うことを恐れている。だがルークさんの言うとおり、そこら辺の連中に簡単に倒されてしまうとも思えなかった。


「それに店主が眠らされたのも偶然ではないだろう。計画性がある。つまり先導士の同行者だと知っての犯行だ。そんなことをやってのけるのは、あの連中しかいない」


 ルークさんはテーブルの上で左の拳を握った。

 関節の鳴る音がした。


「オロガレス教団だ」


 熱くねっとりとした感情が腹の奥にわいた。

 これは怒りだろうか。それとも不安だろうか。


「そんな顔をするな。彼女は無事だ。先導士と交渉するつもりなら人質は貴重に扱うはずだろう。そんなことも考えられない連中なら、ヴェルナリスは殺されている」

「……すみません」


 おれは口元を拭いた。血が流れていた。

 無意識に下唇を噛んでいたようだ。


「……でも、彼らはもう力を失っていると聞きました」

「そうだな。だが水面下でどうやってか力を蓄えているらしいという情報をおれは知っている。実を言うと、おれはその調査も兼ねてこの街へ来たんだ」


 そうだったのか。


「だが今のところ連中の居場所は突き止められていない。全ての権限を使って街中を当たってみたが、信徒一人見つけることができなかった」


 ルナ。

 おまえは一体どこへ連れていかれてしまったんだ。


 何かないのか。手がかりは。


「ルークさんがこの街に来ることになった情報というのは? どこから得たものなんですか?」

「あぁ。おれの国に潜んでいた信徒に吐かせた情報だ。複数人が証言しているから間違いない」

「力を蓄えつつと言いながらも、重要なその場所の情報は言わなかったということですか?」

「そういうことになるな。――もしかしたら人ではなく物、つまり武器や魔石を集めているような、そんな場所があるのかもしれない。それなら場所の情報は秘蔵しやすい。連中が知らなかったということも頷ける」

「それがこの街のどこかに?」

「ああ。街中を探しても見つからなかったんだ。思いもよらない場所にあるのかもしれないな」

「思いもよらない場所……」


 この美しい街のどこかに、そんなものがあるというのだろうか。

 おれはこの街の光景を思い浮かべた。美しい川、街の明かり、街路、橋、幾何学的に描かれた青く輝く水路。


 その時、何かが脳裏をよぎった。

 重大な何かが。


 そうだ。

 おれはこの街を空から見た時、何か違和感を覚えたのではなかっただろうか。


「ルークさん。この街の地図はありますか?」


 彼は振り返り、部屋の隅に立っていたロキを見た。


「ロキ、地図を持ってこい」

「はい」


 彼女は扉を開け中へ入り、すぐに戻ってきた。手に地図を持っている。

 こちらに持ってくるとテーブルの上に広げた。


 道と建物と川は書かれているが、そこに細かい水路はない。そんなものは地図に不要だからだろう。


 ここがおれたちがいた宿か。

 それでここがマジックボックス。ここがドロシーさんの家。


 おれは地図を回転させた。

 頭に浮かぶ景色を地図へ落とし込む。ここだ。


 ――あれ、ここって。


「ルークさん。この辺の水路だけ、魔石が埋め込まれてなかったようなのです」

「魔石が?」


 おれは頷いた。


「この街の水路は、それ全体で文字のようになっていました。でも、その文字は完全じゃなかった。この辺の水路の部分だけ消えているようになっていました。……おれがブリーズに来てから、唯一感じた違和感です」

「なるほどな。文字か。どのような文字だったんだ?」

「説明が難しいのですが、結界の意味を持つような文字でした」

「結界だと?」


 ルークさんの眉がぴくりと動いた。


「ありえない話ではないな。魔石を埋め込んだ水路で巨大な魔法陣を作っている、か」


 ルークさんは再び地図へ目を落とした。

 険しい顔をして両手の指を組んだ。


「それに、ここには噂があるのです」

「噂?」

「この辺りの宿屋は、夜な夜なベッドの下から呻き声が聞こえてくると」


 偶然とは思えない。

 きっと何かある。


「オルガレス教団にとって結界は忌み嫌うべきものだ。連中がその魔法陣の一部を破壊したということも考えられる。――他に手がかりもない。行ってみるか?」


 ここにじっとしていても、何も解決しない。

 おれは力強く「はい」と答えた。


「ロキ、おれのコートを持ってきてくれないか」

「はい。マスター」


 彼女は一度部屋へ行き、今度は黒いロングコートを持ってきた。

 とことことやってきてルークさんにそれを手渡すと、ロキは上目遣いに彼を見た。


「マスター。わたしも――」

「駄目だ」

「うぅ……」


 ロキは落ち込んだ顔をして俯いた。


「でも一緒に――」

「ロキ!」


 ルークさんは彼女の言葉を遮るようにして言った。

 直接言われていないおれでも一瞬震えるほど強い語気だった。


 驚いて彼の顔を見る。

 まるで憎むような顔で彼女を睨みつけていた。


「おまえはここにいろ。いいな」

「はぃ…………」


 ロキはがくりと肩を落とし、そのまま部屋の奥へ消えていった。


「すまなかったな。あれくらい言わないと付いてくるんだ」


 冷静そうなルークさんがあんな風に声を上げるとは。

 それにあの顔は一体――。


「さて、行こう。ここからなら走ればすぐに着く」


 彼は立ち上がりコートを羽織った。頭を隠せるフードがついている。

 おれは頭を振って思考を切り替えた。






 ルークさんとともに夜の街を走る。

 この人と一緒にいるだけで勇気が湧いてくる。きっとルナは大丈夫だと自信が湧いてくる。


 これが本物の先導士なのだろうか。シエナの彼らが希望に満ちた瞳を見せた気持ちが少しだけ分かった気がした。


 目的地付近へ到着してから、魔石の輝いていない水路を探した。たしかこの辺りだったはずだ。時折地図を見ながら歩いていく。


 徐々に人気が少なくなっていった。それに明かりのついていない倉庫のような建物が増えてきた。やがて民家もないような薄暗い路地へ出た時、やけに暗い水路があるのが見えた。


 小さな橋の上に立ってその辺りを眺めた。

 やはりここだけ光っていない。


「ルークさん、多分ここだと思います」

「あぁ。いかにも何かが潜んでいそうな場所だ」


 奴らはこの辺りをアジトにしているのだろうか。

 そして忌まわしき結界をそのまましておけないため、この辺りに何らかの細工をした。


 おれは立ち並ぶ倉庫を眺めた。

 このどこかにルナがいるのだろうか。


「クロ、そっちじゃない」

「え?」

「目に見える場所なら、おれがとっくに見つけてる」


 ルークさんが水路の脇に立ち、水面を強く見ていた。


「おまえと話していて閃くものがあった。この辺りなら人も少ないし大丈夫だろう」

「ルークさん。一体何を――」


 ルークさんがてのひれを水路へかざした。

 すると――。ざああ、と豪雨のような凄まじい音が水路全体から鳴りだした。


 水位が上がっている。


「こ、これは……」


 おれは目を疑った。水位が上昇していき、やがて水路の淵を飛び超えた。

 だが水は零れることはなかった。

 そのまま固定された状態で、水そのものが上へ持ち上がっているのだ。


「これがおれの異能だ。おれは液体を操ることができる」

「水を……」


 空中を水が流れている。

 異様な光景だった。


 ルークさんは水の消えた水路の底に飛び降りた。

 おれも隣へ降り立つ。


 ルークさんはポケットから懐中電灯を取り出した。

 通路を照らす。


「そういえばまだ探していない場所があったと思ってな。それはこの水路の中だ」

「こんな所に?」

「どうやら当たりかもしれんぞ。見ろ」


 ルークさんが通路の先の壁を照らしている。

 大きめのハンドルのようなものがついていた。


 近づいていく。

 うっすらと壁に切れ目があるのが分かった。


「これってもしかして……」

「隠し扉のようだな」


 ルークさんがハンドルを握った。


「ロックが掛かっている。多少音が出てしまうが破壊するか?」

「いえ……」


 おれはルークさんに代わりハンドルを握った。

 そのまま力を込める。少し時間を置いたあと、ハンドルが回り始めた。石の擦れるような音がした。


「どういうことだ?」

「これがおれの異能です」


 ハンドルを回していく。やがて人が通れそうな隙間が開いた。


 中を覗く。トンネルのような広い空間がある。下を見るとそこにはまた水路があった。この隙間から本来流れるはずの水は、この水路に落ちて合流するようだ。その両脇に人の歩けそうな通路が見える。


 視線を奥へ向ける。


 水路と通路は奥まで真っ直ぐに伸びている。

 赤い照明が等間隔に天井へぶら下がっていた。薄暗いがおそらく歩けるだろう。


「どうする? 入るか?」

「もちろんです」

「だろうな」


 ルークさんが隙間から中へ飛び降りる。

 ばしゃりと水へ落ちる音がした。その水路は彼の膝くらいの深さのようだった。


 ウイリアムさんに続きおれも水路へ飛び降りた。彼の隣へ着地する。

 奥に向かって水が流れている。


 外と同様のハンドルが壁に設置されている。これは中から扉を開閉するためのものだろうか。

 そちら側の通路へ上がる。


「これ、どうしますか?」


 小声で言ったつもりだが声が響いた。


「閉めておけ。外の水を元に戻すと流れ込んでくる。音を立てない方がいい」

「分かりました」


 扉を締め切ってすぐ、外からざああと重たい音がした。

 ルークさんが持ち上げた水流を元に戻したのだろう。


「さて、行くか」


 おれたちは暗いトンネルを歩き始めた。

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