第37話 手紙
ロビーへ進んだ。カウンターに中年の男が座っている。
おれたちに気がつくと愛想のいい顔で笑った。ロビーには他の客はいないようだった。
ヴェルナリスが男と話をしている。おれはソファに腰かけて手続きが終わるのを待っていた。人に近づけないのも困ったものだ。ここまでの道中も彼女たちに任せっぱなしだった。
おまけに魔石も使えないから何もかも頼りっぱなしだし。
なんだか申し訳ない気持ちになる。
天井にぶら下がった丸い明かりを見ながらぼおっと待っていると、ヴェルナリスが戻ってきた。
「わたしたちの部屋は二階みたいだ」
「階段は……あっちか」
二階に上がる。年季のある建物で狭い廊下だったが、さっぱりした印象があった。清掃も行き届いている。
周りから音がしない。どうやらおれたちの他に客はいないようだ。
「ええっと、あぁ。ここみたいだな」
ヴェルナリスが扉を開けた。
よかった。四つあるベッドはまあまあ離れて設置されている。これなら眠れるだろうか。一昨日の宿屋はベッドがくっつけて並べてあったから、緊張してしまって眠れなかった。おまけに寝ぼけたルナがベッドに入りこんできたし。
フードを外すと開放感を感じた。ずっと被っていたせいか、頭に汗をかいている。
窓の近くに、荷物をまとめて置いた。そのあと靴を脱いでベッドに座った。足の裏がじんじんと熱を持っているのが分かった。
「疲れたぁー」
ルナがベッドに飛び込んだ。靴下をぽいぽいっと床へ投げてから、足をばたばたさせた。おれもベッドに座った。
窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっていた。
「クロ……足揉んで」
ルナが上半身を起こして足をこちらに延ばしながら言った。
「は? なんでおれが……」
「足が痛いんだもん」
白いローブの裾を持ち上げて膝まで捲し上げた。
彼女の素足が露わになる。おれは思わず目を逸らした。
「レビアかヴェルナリスにやってもらえ」
「何よ? 恥ずかしいの」
くすくすとルナが笑ったのが聞こえた。
「ねえ、見てクロ」
「何だよ……」
もう一度ルナを見る。
「見ててね」
すると彼女はまた服の裾を持って、ゆっくりと持ち上げていった。するすると服がめくれていく。
「ほら、マッサージしたい気持ちになってきたでしょ? クロだったら触っていいんだよ」
「ば、ば、馬鹿。何をやってるんだ」
と言いながら目を離せない。
そうか。これは魔法かもしれない。
「あは。照れてる。可愛いー」
太ももがちらりと見えたところで、視界が真っ暗になった。
「……ま、まさか? これも魔法なのか?」
「クロがおかしくなってしまいました。ルナのせいです」
後ろから声がした。
レビアがおれを手で目隠ししたんだと分かった。
「……ルナ。クロを誘惑するのはやめておけ。こいつはこう見えてムッツリスケベの変態だぞ。興奮して襲われたらどうするんだ。同じ部屋で寝るのに……」
ひどい言われようだった。
「そういえばお腹すいたね」
「この宿屋は食事が出ないそうです。わたしが何か買ってきましょう」
「ならわたしも一緒に行こう。さっきの人だかりが何だったのか気になるしな」
その時扉がノックされた。
「この宿の店主です。すみませんが、よろしいでしょうか」
ぱっと目の前が明るくなった。
レビアがおれから離れて扉へ近づいた。こちらを向いて目配せする。おれはフードを被り直してから、開けてもよいことを頷いて伝えた。
レビアが扉を開く。
カウンターに立っていた男が廊下に立っていた。
「あぁ、すみません。すっかりお伝えすることがあったのを忘れていまして。お客様はエーデルランドから来られたということで間違いないでしょうか」
「はい。仰るとおりです」
レビアがそう答えると、店主は懐から封筒を取り出した。
「エーデルランドから来られたお客様がいたら渡すようにと上からお達しがありまして」
店主はレビアにその封筒を渡した。
「上から?」
そうおれが訊くと、店主は頭を人差し指でかいた。
「はぁ。二日ほど前に兵士がやってきて、この封筒をいくつか置いていきました。私もよく分からないのですが、エーデルランドから来たお客様がいたら必ず渡すようにと」
レビアがこちらに封筒を持ってきた。差出人は書いてないようだ。兵士が渡したということはこの街の代官だろうか。あるいは領主かもしれない。しかし何故おれがここに来ると分かったのだろう。
「分かりました。見てみます」
「すみませんですな。それでは私はこれで」
店主はぺこりと頭を下げると扉を閉めた。
封筒をかざしてみた。
「何だろうな……」
「開けてみますか?」
「うん」
レビアが封筒を止めていた紐をぐるぐると外す。
そして中から三つ折りの紙を取り出した。
レビアは紙をおれに手渡した。
「わたしにも見せろ」
ヴェルナリスがおれの後ろに回った。
おれは紙を開く。
親愛なるエーデルランドの御客様へ。
この度は――。
……文字が霞んで見える。
目をこすった。すると霞んで見えた文字が元に戻った。
「お、おい。クロ……。何か変だぞ。その手紙」
「え?」
彼女は驚いた顔をして手紙を見つめていた。
「文章が変わった」
ヴェルナリスの言葉の意味が分からず、もう一度手紙を見た。
親愛なるエーデルランドの英雄よ。
君は突然この手紙を読むことになり、大変不安を感じていることだろうと思う。 だがまずはこの手紙を最後まで読んでほしい。
さて、突然だが私は君が黒いものを持っていることを偶然に近い形で知ることになった。エーデルランドの出来事や、君があるものを失くしてしまったことも知っている。
是非会って話がしたい。この手紙の最後に住所を記してある。
そこへ来てもらいたい。
私が何者であるのかは、この手紙に記すことはできないが、その代わりにハイラインの魔法印をこの手紙に施してある。マナを込めれば浮かび上がるはずだ。少なくとも君の敵ではないと理解してほしい。
それでは君が来てくれることを祈っている。拝具。
一番最後に住所と思われるものが書いてある。
ここに来いということだろうか。
文字が変わったことは気になるが、今はこの手紙をどうするかを先に考えよう。
「なあ、魔法印というのは何のことだ?」
「貸してみろ」
ヴェルナリスが紙を持ち上げた。
それからすぐにまたその紙をおれに返した。
紙にうっすらと模様が浮かび上がっている。
「これが魔法印だ。マナを込めると反応する特殊なインクで書かれている。これが書かれているということはハイラインの領主が認めた公的なものということだ」
「偽物の可能性はないのか? ほら、オロガレス教団とかいうのがいただろ。これを店主に渡した兵士だって偽物かもしれないし」
「偽物の心配はないな。簡単に照合できるから偽物を作る意味がない。不安ならあとでこの宿屋の店主に道具を借りてこよう」
「……そうか」
先導士であることや記憶を失っていることも知っているようだ。
となると、やはり領主だろうか。
「クロ、どうしますか?」
「うん……。行くよ。気になるし」
「ね、ねえ。今から行くの?」
ルナが不安げな顔でこちらを見ていた。
「そうだな。まだ寝るのには早いだろ」
「そう……」
ルナが不安そうな顔で俯いた。
「ルナはここにいてもいいんだぞ」
「ううん。一緒に行く」
ルナの様子が気になる。何か不安があるのだろうか。二人になるタイミングがあれば訊いてみるか。
「よし。じゃあ行くか」
ヴェルナリスが店主に水晶玉のようなものを借りて、それを通して手紙を覗いていた。おれにはよく分からないが、やはり偽物ではないらしい。
その後ロビーに掛けられていたこの街の地図を見ながら、手紙に書いてあった住所がどこなのかを確認した。
ついでに噂の倉庫街がどこなのかも見ておいた。どうやら街の北側がそのエリアのようだ。
店主に外出を告げてから外に出た。
この路地からでは、先ほどの人だかりがどうなっているのか分からなかった。ルナによると、まだ結構な人が残っているようだった。
人の少ない路地を通りながら、目的地へ進んでいく。
途中で弁当を売っている売店があるのを見つけた。
長くなるかもしれないから先に食べていこう、ということになった。
おれたちは休めそうな場所を見つけて、そこで弁当を食べた。周りを気にしながら食事をしたせいか、あまり味はよく分からなかった。
食事を終えて、更に裏通りを進んだ。
もう間もなく目的地だが、辺りの雰囲気が少し変わってきた。
強い明かりを放つ看板がいくつも置かれている。この辺りは酒場が多いようだ。賑やかな声や音楽が店の中から聞こえてきている。表通りの上品な雰囲気に比べると、どこか雑多な印象があった。
そこから更に進んだ所で、手紙に書いてあった住所の場所に建物が見えた。
「本当にここなのか?」
紙に書き写した地図を何度も見る。
間違いはないようだ。
赤煉瓦の四角い建物の中央に分厚そうな木の扉があり、その前に白く光る看板が設置されている。
そこには【スマグラー】とあった。
扉の真ん中辺りに、船の舵のようなものが飾られていた。
一階建てのようだ。奥行きはここから見えないが、小さな店に見える。
窓はなく中の様子は分からない。音も聞こえない。
ハイラインの魔法印があったということは、この国の関係者であることは間違いない。
この店はただのバーのように見えるが……。本当にここでいいのだろうか。
「ルナ。中から何か聞こえないか?」
「ううん。何も」
「……ここで合ってるしなぁ。とりあえず入ってみるか」
「ではわたしが先頭になりましょう」
レビアが扉をゆっくりと開けた。
レビアが店内を覗き、それから足を踏み入れた。
おれ、ルナ、ヴェルナリスの順でそこに続く。
さほど広くない、落ち着いた雰囲気のバーだ。
他に客はいない。
カウンターに白いシャツを着た若い男が立っている。彼はグラスを拭いていた。
「四名様でしょうか?」
「そうですが……」
「招待状はお持ちですか?」
「招待状?」
「ええ。持っていませんか? 手紙」
あの手紙のことを言っているのだと分かった。
この男が差出人だろうか。
「これのことですか?」
おれは手紙をその男に見せる。
すると彼はおれたち――いや、おれの顔をしばらくの間じっと見た。
「フードを外すことはできますか? 一瞬で構いません」
おれは言われたとおりに、少しだけフードを外した。
彼は頭を深く下げた。
「お待ちしておりました」
彼は店の入り口に行くと、扉に手をかざし何かを呟いた。
「入口をロックしました。もう少々お待ちください」
今度は店の奥に向かっていく。壁に手を当てたと思ったら、ガコンと低い音がした。壁に縦の線が入り、それが広がっていく。
隠し扉だ。
その向こうは下りの階段が続いているようだった。
「どうぞ、こちらへ」
「あの……ここは?」
「……申し訳ありません。まだここでお話することはできません。どこから漏れているか分かりませんから」
「分かりました」
「クロ、わたしがまた先頭になります」
レビアに続き階段を下っていく。
中は薄暗かったが、足元が見えないほどではない。
先ほどの男は一階に留まるようだ。
しばらく歩いたところでまた音がした。どうやら隠し扉を閉めたようだ。
階段を降りると、一階と同じような内装の部屋に出た。こっちの方が少し広い。
部屋の中央にテーブルがある。その前の椅子に男が座っているのが見えた。黒いスーツを着ている。
――あの人がおれを呼んだのか。
彼は立ち上がってこちらに近づいてきた。
コツコツと足音が静かな部屋に響いた。彼の姿が照明の真下に入ると、その姿がよく見えた。
「う、嘘!」
ルナが言った。
おれも思わず目をこすった。
「突然呼び出してすまなかったな」
彼はおれの前に立ち、右手を差し出した。
「ルーク・オルストーンだ」
おれよりも少しだけ背が高い。二十代半ばに見える。
目つきの鋭い端整な顔の男。
そして――。
その男は黒髪だった。




