第36話 仮初の幸せ
城を発ってから三日目。
エーデルランド領最後の村で朝を迎えた。
ここまで二つの街を経由してきた。頭をフードで覆い、先導士であるということは隠している。エーデルランドの兵士も護衛してくれているが、かなり遠くにいるようなので、一見ただの旅人に見えるだろう。
朝食を終えたあと、一泊させてもらったお礼にと十年前に稼働していた結界を再度張ることになった。
ここの村でも魔物の目撃がされていたからだ。
まだ幸い犠牲者はいないようだが、皆不安を感じているとのことだった。
勿論おれにはそんなことはできるはずがなく、レビアとヴェルナリスが作業を行うことになった。
「それではわたしたちは、結界を張ってきます。そんなに時間は掛からないと思います」
「レ、レビア……。わたしから離れないでくれよ」
ヴェルナリスが怖がっていた。魔物が目撃されたと聞いてから落ち着きがなくなっている。いつの間にか彼女は、ルナやレビアに、戦うのが怖いということを隠さないことにしたみたいだった。
「はい。傍にいますよ」
「……すまない」
「大丈夫ですよ。頼りにされるのは嬉しいです。――それでは、行ってきます」
彼女たちは寄り添うようにして、向こうの方へ歩いていった。おれとルナは村長の家の縁側に腰かけて、その背中を見送った。
「ヴェラ、変わったよね。最初に会った時と全然違う」
「そうだな」
「何かあったんでしょ?」
「……まぁ。魔人に襲われたからなぁ」
ルナは心配そうに彼女たちが歩いていった方を見つめていた。
「ヴェラ、もう戦えないって言ってた」
「……そっか。でもきっと今だけさ」
「今だけ?」
「ヴェルナリスはきっといつかまた戦えるようになる。おれはそう信じてる」
ルナはおれの方を見た。
「信じてる?」
「うん」
ケルン城の中庭で剣を振っていた時の真剣な表情をおれはまだ覚えている。
あの洗練された美しい動きをまだ覚えている。恐怖に歪んでいない純粋な強さがあった。ひたむきな修練の果てにある研ぎ澄まされた強さがあった。
おれはヴェルナリスがまた立ち上がることができると、そう信じてる。
「信じてる……」
ルナがおれの方を見て何か考えているように見えた。
目が合うと彼女は慌てるような仕草で目を逸らした。
「こ、ここから先は歩いていくのよね。もうお尻が痛かったから、よかったかも」
頭に地図を思い浮かべる。
ここから歩いていくとすぐにハイライン領に入る。そこから半日も掛からずブリーズの街へ到着するはずだ。
「いい天気だね」
「そうだな」
空は晴れ、雲のない澄んだ青が広がっている。風がゆっくりと流れていて、暖かい日だった。
子供たちの元気な声が遠くから聞こえた。そちらを見ると、小さな子供が四人で駆けっこをして遊んでいた。
ルナがこちらに体を寄せてきた。
「どうした?」
彼女はおれの肩に頭をぴたりとくっつけた。
戸惑っていると、今度はおれの膝を枕にするようにして仰向けになった。
赤い瞳に見上げられる。彼女の銀色の髪が太陽の光りを反射して輝いて見えた。
「ど、どうしたんだ?」
「くっつきたいの!」
「……は?」
「いいでしょ。せっかく二人になれたんだから。ね?」
甘い声だった。
ルナがこんな声を出すと思っていなかった。
「クロ、頭なでて?」
「う、うん」
言われたとおりにすると、ルナは満足そうに目を閉じた。
細く柔らかい髪だった。
「こっちの手、握って?」
「……ど、どうしたんだよ? 急に」
「早く……お願い」
ルナはぱちっと目が開いた。その瞳を見て、おれは思わずもう片方の手でルナの手を握っていた。彼女はまた気持ちよさそうに目を閉じた。
「わたし、今、幸せかも……」
と呟いた。
「そ、そうか。よかったな」
「うん。こんな日がずっと続けばいいのに」
――え?
胸がぎゅっと締め付けられたような感覚がした。ルナのその言い方は――。
いつまでも続かないと、そう言っているようにおれには聞こえたから。
おれは何も言うことができず、そのまま頭をなで続けることにした。
しばらくすると、すうすうと音が聞こえてきた。
ルナはおれの膝の上で眠っていた。
「寝たのか……?」
陽だまりの中で、気持ち良さそうに眠っている。
こんな日が続けばいいのに。おれもそう思う。ルナは何故あんな寂しそうな声で言ったのだろうか。
いつか話してくれる日が来ればいいが――。
しばらくしてレビアたちが戻ってきた。ルナはまだおれの膝の上に眠っている。
むにゃむにゃと口が動いた。
「ルナはどうしたのですか?」
「分からん。寝てしまったみたいだ」
「可哀想ですが、起こしましょう」
レビアがルナを揺すった。
「起きてください」
「………んにゃ」
変な声を出して目を開けた。
「あ……ごめん。寝ちゃった」
「どうしてクロの上で眠っているのですか?」
「あはは。何となく」
「……ルナも…………」
レビアが不安そうな顔をして何かを呟いた。
小さな声で、おれには聞き取れなかった。
ルナは起き上がり、
「ち、違うよ」
と、何故か顔を赤くしながら、ぶんぶんと左右に手を振った。
レビアは申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」とルナに言った。
何なんだ……。
何となく聞いてはいけないような気がしたので、おれは黙っていることにした。
その後、村長に結界を張り終えたことを告げ、村をあとにした。
子供の笑い声が離れてゆく。
村から少し外れたところで、丸い大きめの石がいくつか置いてあるのを見つけた。 その石は、青白くうっすらと光を放っていた。
「結界って、あれのことか?」
「そうだ。これと同じものを村の周囲に張り巡らせてある。ちゃんと配置があるんだから、動かしちゃ駄目だぞ」
「へえ」
穴を少しだけ掘って動かないようにしているのか。
近づいて何気なく石を触ってみた。冷たい石の感触だ。
「……あれ」
輝きが消えた。
「ヴェルナリス。これ、大丈夫なのか?」
「どうした?」
ヴェルナリスが石に近づいた。
「おかしいな。やり残しがないか確認したはずなんだが」
ヴェルナリスが石に手を触れて小さく何か呟いた。
するとまた石が青白く輝きだした。
「さあ、行こう。そろそろ出発しないと到着が遅くなる」
今のって――。
多分、おれがやったんだろうな。ここまで続けばさすがに気がつく。これはオルハルト家でロックが外れたのと同じ現象だろう。
今は考えても仕方ないか。
ドロシーさんに訊けば何か分かるかもしれない。
そこから道なりに進んでいった。左右に藪が広がった細い道がうねうねと続いている。
辺りに建物はなく、舗装もほとんどされていない道だった。
「……ヴェラ。エーデルランドの兵はさっきの村でお別れしたはずですよね」
レビアが歩きながらそう言った。
「そのはずだ。もう間もなくハイライン領だからな」
「ルナ、歩きながら気配を探ることはできますか」
「……やってみる」
どうしたんだろうか。
気になったが、まずはルナの言葉を待つことにした。
「誰もいないと思う」
「そうですか……誰かに見られているような気がしたのですが……。気のせいだったみたいです」
本当にそうだろうか。
「ルナ。念のためちょくちょく気配を探ってほしい」
「うん。そうする」
幸い、嫌な予感は的中することなく、おれたちは無事ブリーズへ到着した。
もう日がほとんど沈んでいるが、街の灯りのおかげで暗くて歩けなくなることはなさそうだ。
美しい街だった。
街の中に広い川が静かに流れていて、その水面に建物の灯りが写りきらきらと輝いている。その上を小型の船がゆったりと動いていた。
町中に水路が張り巡らせられていて、その水路はうっすらと青く光っているように見えた。
水路の底に魔石を埋め込んであるらしい。不思議な光景だった。心地よいせせらぎが常に流れているのも相まって、落ちついた街だという印象があった。
「ここの街のどこかにドロシーさんがいるんだな」
ウイリアムさんは有名な人だから行けば分かると言っていたが、簡単に見つかるだろうか。
「ね、ねえ。なんだか兵士が多くない?」
ルナが言ったとおり、妙に兵士が多いように思えた。
「ルナ、これは大至急調査が必要のようだ。あそこの店に行って何があったか聞いてくるんだ」
「了解しました! 隊長!」
行こうとするルナの腕をヴェルナリスが掴んだ。
「ちょっと待て。君たち、またそうやって甘いものを買おうとしてるだろう」
ばれたか。
「ウイリアムさんからお金をもらっているが、そんなに沢山あるわけじゃないんだぞ」
「なんでよ、いいじゃない。ヴェラのケチ」
「ケチだと?」
「ひ、ひはい……」
ヴェルナリスはルナのほっぺをつまんでいた。
「ヴェルナリス。頼む」
「駄目だ……」
おれはクレープを食べてみたい。
諦めるな、おれ。
ヴェルナリスの目をじっと見る。
「頼む」
「……う。……そんなに食べないのか?」
「うん」
「どうしても?」
「うん」
ヴェルナリスはきょろきょろと目線を動かし、ルナから手を離した。
「……もう、しょうがないなぁ。今回だけだからな」
「ありがとう! ヴェルナリス」
前回買い物した時も、同じ台詞を言っていた気がするが、気のせいだということにしておこう。
「じゃあ買うついでに訊いてくるね」
「わたしも行くからな。余計なものを買うなよ」
「あ、そうだ……」
おれがそう言うと、彼女たちは行こうとした足を止めた。
「ふと思ったんだけど、エーデルランドのお金はここでも使えるのか?」
「あぁ。全ての国じゃないが共通の貨幣を使っているんだ」
「へぇ」
意外だ。ここに来る途中の道は、なんというか人が行き来しているような感じがしなかった。交流がなさそうというか。だから別の貨幣を使っているのかと思ったが。
「じゃあ行ってくる」
そう行って二人は店の方に進んでいった。
彼女たちが店の前に着くと、自然と扉が開いた。
「レビア、すごいな。あの扉近づいただけで勝手に開いたぞ」
そう言ってレビアの方を見たとき、彼女は落ち着かない様子で辺りを見ていた。
「どうかしたか?」
「……いえ。なんでもありません」
「まだ誰かに見られてる気がするのか?」
「……はい」
なんだろう。ルナは何も感じていないようだが。
「神経質になり過ぎているのかもしれません」
「色んなことがあったからな」
ルナたちが手に袋を持って戻ってきた。
念のため一人になるのはやめておこう、と小声でレビアに伝えた。
川沿いのベンチに座った。
ルナが袋から買ってきたクレープを取り出しおれたちに配りながら言った。
「先導士が来るっていう噂があるんだって。それで兵士が多いんじゃないかってお店の人が言ってた」
「……なんで噂に」
ウイリアムさんの話では、ハイラインの領主はおれの来訪に関して、正体を隠してくれればそれでいいと言っていたそうだ。
この国の目的はドロシーさんに会うことだけだ。
この国の領主もあえておれに関わることはしないだろうと、そう言っていた。
ウイリアムさんの予想が外れたということだろうか。
しかし兵士を送ってきた目的はなんだろうか。おれのことを探しているのだろうか。
とにかくそんな噂があるなら、動きづらくなったことは間違いない。なるべく目立たないようにしなくては。
ルナがくんくんと匂いを嗅いでからクレープにかぶりついた。
「おまえ、その癖やめられないのな」
「……う、ごめん」
レビアとヴェルナリスもクレープを食べ始めた。おれも同じようにかぶりつく。
甘い生クリームと冷たいアイスクリームが、まだ温かい生地の中に挟まれている。何とも言えない幸福が口の中に広がった。
「さっき話を聞きに行ったとき、隣のおばちゃんが言ってたんだけどね。ブリーズの宿屋はしっかり選んだ方がいいって言ってた」
「なんで?」
「寝ている時にベッドの下から呻き声が聞こえてくる宿屋があるんだって……」
ヴェルナリスが体を震わせた。
怪談というやつだろうか。
「せっかく忘れようとしてたのに」
ヴェルナリスが恨めしそうにルナを見ている。
「わたし……今日はレビアと一緒に寝たい……駄目か?」
「はい。一緒に寝ましょうね」
なんだか恥ずかしい会話をしていた。
「どこの宿屋なんだ?」
「一つじゃないみたい。倉庫街の方に多いって言ってたけど」
「へぇ」
この辺りじゃなさそうだ。倉庫には見えないし。
「ねえねえ。クロも怖かったらわたしと一緒に寝てもいいんだよ?」
「…………な、何を馬鹿なことを」
多分おれは赤面していただろう。
ルナは悪戯っ子のような顔をして笑った。からかわれていたようだ。
クレープを食べ終えてから、川沿いを歩いて宿を探した。怪談話よりも今気にするべきなのは兵士の方だ。
彼らはおれたちに気がついている様子はない。
落ち着かず辺りを見ている。人を探しているように見えなくもない。
そのまま歩いていくと、街路の奥がざわついているのに気がついた。
「何かあったのかな」
「行ってみますか?」
「……そうだな」
水路の上の小さな橋をいくつか超えて、そちらへ向かっていく。
すると、人が徐々に増え始めているのを感じた。
「クロ、頭が見えないように注意しろよ。夜とはいえ近くで見れば分かってしまう」
「あぁ、気をつける」
角を曲がり広い街路に出る。街路の脇に人がずらりと並んでいた。
群衆の肩の隙間から向こうを覗いたが、視界が塞がれてしまい様子が伺えなかった。
「み、見えない……」
ルナが背伸びをしていた。
「ねえ、何か見える?」
「いや……駄目だ」
また喧騒が強くなった。
遠くから歓声のような声が聞こえた。
「な、なんなんだ?」
「クロ、いったんここを離れましょう。人が増え始めました。揉みくちゃになると危険です」
人込みを離れ、逃げるように狭い路地へ入った。
「あ! ねえ、見て。あそこ」
ルナが指をさした。
そちらを見ると、路地の先に宿屋と思われる看板があった。
「丁度良かった。もうあそこでいいよな」
「そうですね。人が多いのであまり出歩かない方がいいかもしれません」
近づいて建物を見上げた。三階建ての宿屋のようだ。
おれたちは店内に入った。




