第35話 旅立ちの日
あくる日、ニックさんに別れを告げケルン城に戻った。
シドさんは深く頭を下げた。おれは彼と同じくらい頭を下げ、逆にお礼を言った。
魔人に勝てたのはシドさんの特訓があったおかげだ。
そう言うと、シドさんは穏やかな顔で笑ってくれた。
ウイリアムさんはいつもと違う態度でおれに感謝の言葉を言った。格式ばっていて、なんだかくすぐったくなるような気分だった。
眠る前に部屋に来て、今度は普段と同じ態度で、もう一度ありがとうと照れ臭そうに言っていた。少しは恩返しができた気がして、嬉しかった。
それから三日が経った。
レビアとルナは使用人として過ごし、ヴェルナリスは用心棒として過ごした。
おれはというと、ウイリアムさんからの指示で、ある文字の翻訳をしていた。ガクー遺跡の古代文字だ。石板の文字を正確に模写したものが用意されていて、それを別の紙に訳していった。
これは日記のようなものに近いかもしれない。主に当時の生活や魔物との戦いが書かれているようだ。時折、妙に詩的な書き方がされていて不思議に思ったくらいで、特に驚くような内容はなかった。訳したものは専門家に研究させるらしい。
この文字を理解できる感覚は魔法を見た時とよく似ていた。
魔法を放つ時のあれは理解できない言葉だが、不思議と意味は分かる。レビアのときも、ヴェルナリスの魔法を見た時もそうだった。
それと同じような感覚だ。
扉の向こうからルナが何か言っているのが聞こえてきた。
そして勢いよく扉が開き彼女が入ってきた。
「か、かくまって!」
と言っておれの足元、つまり机の下に潜りこんできた。
もぞもぞと動いておれの足に挟まれるようにして隠れた。
「な、なんだ?」
続けてヴェルナリスがノックもせずおれの部屋に入ってきた。
息を荒げている。
「ル、ルナは!?」
「ここにいるけど」
といっておれは立ちあがった。
「うわぁん! クロの甲斐性なし!」
ヴェルナリスはルナに近づき腕を持って「観念しろ」と引っ張りだした。
「おまえら、朝から何やってんだよ……」
「ルナがわたしの服を無理やり洗濯しようとした」
「は? 別にいいだろ、それくらい」
「洗うだけならいいんだ。洗うだけなら……」
ヴェルナリスは顔を赤らめた。
「クロ、聞いて? ヴェラの服ってね、すごくえっちな匂いが――」
「わ! わああ! 聞くな、クロ!」
ヴェルナリスが真っ赤な顔でルナの口を抑えた。
そのままずるずると引っ張るようにして部屋を出ていった。
……何だったんだ。
そういえばこの城に戻ってきてから、ルナと追いかけっこをしているのを何度か見た。
修行をやめたから暇になったのだろうか。
翻訳を続ける気にもなれず、椅子に座ったままぼうっとしていると、扉がノックされた。
今度はレビアが入ってきた。
「クロ、ウイリアム様が呼んでいます。来れますか?」
「うん。分かった」
「わたしはルナとヴェラを探してきます。先に客室へ向かっていてください」
ルナとヴェルナリスもか。
とするとシエナの一件のことだろうか。
客室へ行くと、ウイリアムさんとシドさんが待っていた。
ウイリアムさんはカップを持ったまま「やあ」と言った。相変わらず気の抜けた表情だ。
「座ってくれ」
返事をして正面に座る。
シドさんがハーブティーを出してくれた。
「ありがとうございます」
「とんでもございません」
ハーブティーを一口飲んでから、ウイリアムさんへ視線を投げた。
「何の話ですか?」
「うん。じゃあシエナのことから報告をしようか。これは君一人に言えばいいだろう」
ウイリアムさんは少しだけ真面目な顔をした。
「シエナで殺された者たちの首、見つかったよ。君たちが見つけたあの木の下だ。もう誰だか判別はできなかったが、それでも遺族たちは救われただろう」
「……そうですか」
「あの木に彫られていた顔も、被害者たちのものだったようだ」
魔人にはなんの目的があったのだろうか。理解はできないが想像することはできる。死の直前の人間の顔に執着があったのだろう。
「それからオルハルトのことだけど、これももう心配しなくていい」
「本当ですか?」
「うん。詳しい説明は省くけど、エーデルランドの領主として、君たちがあの国に狙われることはもうないと保証しよう」
よかった。
ウイリアムさんがそう言うなら安心だ。
「そしてこれからのことだけど、……あー、これは揃ったら話そうか」
しばらく待っていると、扉がノックされた。
彼女たち三人が入ってきた。ウイリアムさんに促され、ルナとレビアはおれの隣に座った。ヴェルナリスはウイリアムさんの後ろに立っていた。
「揃ったね。じゃあ話をしよう。うん、どう話そうかな」
ウイリアムさんはカップに口をつけた。目を閉じ考えを巡らせているようだった。
静かに息を吐き、冷静な目をおれたちを見つめた。
「ハイライン領のブリーズという街に、ドロシーという魔導士がいる。彼女に会いに行け」
「ド、ドロシー様ですか?」
そう言ったのはヴェルナリスだ。
驚いた顔をしていた。
「知ってるのか?」
そう聞くと、代わりにレビアが、
「クロノ様と共に旅をしたお方です。有名ですよ」
と言った。
「魔法の扱いにおいて、彼女の隣に出るものはいない。君の記憶や異能についても、何か分かるかもしれない。他にも気になることがあれば訊いてみるといい」
ウイリアムさんがおれの手に目線を向けているのに気がついた。指輪のことを言ってるのだと気がついた。
「んで、そのあとなんだけど。ブリーズから北へ更に向かっていき、今度はザリオルという領土に入る。その国の先導士であるラスカ様にお会いしろ」
「先導士、ですか」
「あぁ。記憶を取り戻す手助けをしてくれるだろう」
ウイリアムがさらりと言った。
記憶を取り戻す。
期待と不安が半分づつ交じった強い感情が胸に迫った。
「まあでも。最終的に決めるのは君だ。ここに残る選択をしてもいい。君が決めろ」
レビアの刻印だけは必ずなんとかしたい。
行かないという選択肢はない――。
――だがこのことだけは聞いておこう。
「……ウイリアムさん、オロガレス教団というのは一体何なんですか?」
「オロガレス教団? なんでまた」
「ニックさんが心配してました」
「あいつも中々の心配性だな。……うーん。シド、代わりに説明してくれ」
この人って面倒くさがりだなぁ。
「……かしこまりました。簡単に言えば、魔の神を崇めている組織です」
「魔の神?」
「魔物や魔人を生み出したとされる神です。ほとんどが魔族と戦いたくないばかりに入信した信徒ですが、中には人間は魔族に淘汰されるべきと信じる狂信者もいます」
「その狂信者が、先導士を排除しようと考えているということですか?」
「……そうですな。まあそこまでの過激派は今は存在していませんし、いたとしても先導士を襲う力はないかと思います。それはつまり、一国に戦争を売る行為に等しいですからな」
オロガレス教団か。おれがこの姿をしている限り、それは一生付きまとうのだろう。不安はあるが、行動をすべきだ。立ち止まっていても何も変わらないのだから。
「おれ、行きます」
「……うん、君ならそう言うと思ってた」
ウイリアムさんはカップを置いた。受け皿がかちゃりと鳴った。
「ま、そこまで過敏に心配しなくてもいい。さっきシドが言ったようにオロガレス教団は力を無くしている」
おれはウイリアムさんのその様子を見て、少しだけ安心した。
「もう先方へはある程度話を通してある。記憶がないことも説明した。オルハルト領の一件みたいな事は起きないだろう」
「……ウイリアムさん、ありがとうございます」
「はは。まあ領主としてこれくらいのことはしないと。あとから領民から色々言われると面倒だからね」
ウイリアムさんはやる気のない顔で笑っていた。照れ隠しでそう言っているのだとすぐに分かった。
ウイリアムさんが頭の後ろに手を組みのけ反った。
「……あ、そうだ。ヴェラも支度をするように」
ヴェルナリスはぱちぱちと二回瞬きをした。
「ヴェラも彼らについていけ」
「な、何故ですか?」
「身元不明の三人では色々と苦労するし」
「し、しかし……」
「まあぶっちゃけると、ここに残らせても用心棒として使い物にならなそうだし」
「う……」
ヴェルナリスは困った顔をしておれをちらりと見た。
「でも……わたしは足を引っ張りたくない」
彼女は顔に出やすいな、と思った。
「ヴェルナリス。おれと一緒に来てくれ」
そう言うと、ヴェルナリスは明らかに喜んでいた。そしてその顔を隠すようにして、
「ク、クロがそう言うなら……、仕方ないな」
と続けた。
「んじゃあ、昼から出発でいいかな」
「……え? 昼って、今日のですか?」
「そうだ。翻訳もほとんど終わってるだろ」
急だなぁ。
「いやあ、君はどうでもいいけど、少女たち三人がいなくなると城が大変なことになりそうだなぁ。シド、心のケアが必要な者はしばらく休ませてやってくれ」
どういう意味だろうと思って「心のケア?」と訊いてみた。
「可愛い女の子が三人もいなくなるんだぞ。心に傷を負う男が必ずいるはずだ」
「んな大げさな……。ヴェルナリスはともかく、おれたちが来てからたった数日しか経ってないのに」
「馬鹿者! 時間なんて関係あるか。何年も変わらなかった心が、たった一瞬でがらりと変わることもある。恋というのはそういうものだ。なあ、ヴェラ?」
「な、何故わたしに言うのですか……」
シドさんは髭を撫でながら笑っていた。
ふとルナの様子が妙なことに気がついた。
不安そうにしてテーブルを見つめている。
「ルナ、どうかしたか?」
「う、ううん……」
どうしたんだろうか。
何か先ほどの会話の中に、ルナを不安にさせるものがあったのだろうか。
ウイリアムさんが手を叩いた。
「それじゃあ一度解散して、各自準備を進めてくれ」
もう少し具体的な説明を受けてから部屋に戻り、残る翻訳をした。
ちょうど終わったタイミングでシドさんがやってきた。
「クロ様。これをどうぞ」
シドさんは黒い手甲を手に持っていた。
「以前お渡ししたものより、遥かに強固なものです」
「いいんですか?」
シドさんは笑ってから「当然です」と言った。
受け取り、一度手に装着してみた。つけた感覚は前のものとほとんど変わらなかった。問題なく動けそうだ。
体を軽く動かしていると、シドさんが言った。
「ひょっとしたら、ウイリアム様はこうなることを予想していたのかもしれませんな」
「……え?」
「ヴェルナリスが何か問題を抱えていることは我々も分かっておりました。ですが我々は彼女の心を開くことはできなかったのです」
「おれが彼女の心を開いたわけではありません」
心を開いたのではない。心に穴が開いた時に、たまたまおれが傍にいただけだ。
シドさんは笑った。
「ですが彼女は変わりました。それはクロ様のおかげだと思うのですよ」
おれは頷いた。たまたま傍にいただけでも、彼女が変わったというならそれはおれの責任だ。
「クロ様、ヴェルナリスをどうかよろしくお願いします」
「……はい」
強くならなければ。そう思った。
「……あ、そうだ。シドさん。この本、持って行ってもいいですか?」
おれは新矢戸流空手道の指南書を持ち上げた。
「えぇ。どうぞ持って行ってください」
「ありがとうございます」
「あぁ、そういえば」
シドさんは顔を上げた。
「その体術の考案者はクロノ様ですよ」
「そうなんですか?」
「はい。ドロシー様はその体術を近くで見ておられます。お会いになった時、お話されてもよいかもしれませんな」
クロノ・リュートか。
黒髪の青年――。
そう思った時、何か脳裏に一瞬だけ映像が瞬いた。
――広い荒野。そこで対峙する二人。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ」
おれは頭を振った。
「クロ様の支度は代わりにわたしがしておきました。準備がよろしければ、広間へ向かいましょう」
シドさんとともに広間へ行く。
既に彼女たちは用意ができていたようだ。ウイリアムさんもいる。
「レビア、おまえ……それで行くのか?」
「はい」
「なんでメイド服を……」
「クロは嫌ですか?」
そういって短いスカートをちょこんと持ち上げた。
おれは目を逸らした。
「い、嫌じゃない」
そう反射的に答えていた。
「準備ができたみたいだね。それじゃあ行ってらっしゃい。三日もあればブリーズへ到着するだろう」
ウイリアムさんがおれに近づいた。
「そんなに気負うことはない。ブリーズは綺麗な街だ。あそこは何故か昔から魔族の被害がほとんどなかったからね。観光も兼ねて行ってくるといい」
「はぁ、努力します」
そんなお気楽な気分にはさすがになれないと思うけど。
だがどうせ行くのだから、色々な景色を楽しみたいと思う。
「クロ、終わったら……いや、旅の途中だっていい。いつでも帰っておいで」
肩をぽんと叩かれた。
「……ありがとうございます」
ちょっと泣きそうになった。
おれは誤魔化すように「行ってきます」と明るく告げた。
シドさんに案内され城を出る。
いつかと同じように城壁沿いを歩き、厩舎に向かった。シドさんが馬を二頭連れてくる。シエナを往復した時と同じ馬のようだ。
ヴェルナリスがおれの腕を掴んで引っ張った。
するとその時レビアがおれたちの前に出てぉた。真っ直ぐにヴェルナリスを見ている。どうしたんだろう。
「ヴェラ。お願いです。今日はわたしとクロの組み合わせにしてください」
レビアは潤んだ瞳でヴェルナリスを見ていた。
めちゃくちゃ真剣な表情をしていた。
「わ、分かったよ。そんな目でわたしを見るな。だいたいわたしは別にクロと乗りたいなんて思ってないし……」
「でも……。でもでもっ! そう言いながらシエナから帰ってくるときは、クロと同じ馬に乗ってました」
「あ、あれは別に……」
「なに? どうしたの?」
ルナがこちらへ近づいた。不思議そうにレビアとヴェルナリスを見ていた。
「わがまま言ってごめんなさい」
「あ、謝る必要なんてないっ。だ、だって、その、わたしはクロと乗りたくないわけだし?」
ヴェルナリスはおれから手を離し、代わりにルナの手を引っ張っていった。
レビアは目線を横へ逸らしながら「ごめんなさい」と今度はおれに言った。
頬がほんのりと赤い。
「あ、いや……」
何と言っていいか分からず、おれはしどろもどろに返事をした。おれと一緒に馬に乗りたいというくらいで、あんな真剣に言わなくたっていいのに。
「でもクロが悪いんですよ」
レビアに手を繋がれた。そして紅潮した顔でじっと見つめられた。
「わたし、もう何日も触ってもらってないんですから……」
「え……」
何日も触ってもらってないって……。
――じいっと見つめられてる。
なんか今までのレビアと少し違うような……。
…………。
深く考えるのはやめよう。
シドさんは終始呆れたような顔でおれたちを見ていたが、最後にまた背筋を伸ばしておれたちを見送ってくれた。
おれたちは無事にケルン城を出発した。




