第33話 二度目の夢
目の前に広い荒野が広がっている。
黒色と鈍色の絵具をぐちゃぐちゃに掻き混ぜて塗りたくったような重たい空が遠くまで続いていた。
砂を含んだ鬱陶しい風が吹いた。
おれの黒い髪がなびいたのが見えた。
――これは夢か、と気がついた。
そう気がつくと、前にも似た夢を見たことを思い出した。
青年と男が戦って、男が負ける夢。
この夢は、あの夢の直前の出来事だ。そう不思議と分かった。
おれは振り返っていた。
街が見える。
地面には瓦礫が落ちていて、亀裂がいくつも走っていた。どの建物も崩れかけ、その至る所から黒い煙が立ち上っている。火の弾ける音とともに人の悲鳴や泣く声が渦を巻くように鳴り響いていた。
視線を奥へ向けた。
体の欠けた死体がいくつも横たわっている。
壁から腕が生えたり、地面に足が突き刺さったりしていた。二人の人間が絡んで一つになっていて、その隣に子供の頭が転がっていた。
おれは街に背を向け、歩き出した。
どこに向かっているのかは分からない。向かう場所などないのかもしれない。だが何か大事な目的があることだけは分かった。
前方に何かが立っているのが見えた。
おれと同じようでいて全く違う生物。
似て非なる存在。
それに向かって歩いていく。
何故、奴らは殺そうとするのか。
分からない。理解ができない。
分からない。納得ができない。
分からない。だが戦わなくてはならない。
何故なら。おれはそういう存在なのだから――。
うっすらと目を開く。
何か夢を見た気がする。
それが恐ろしい夢だったということは覚えているが、内容までは思い出せなかった。
おれは上半身を起こした。ここはどこだろうかと一瞬思ったが、すぐにシエナの屋敷だと気がついた。
何があったんだっけ。
頭をかきながらベッドから降りた。
カーテンを開け外を見た。夕方の空が見える。
ドアがノックされた。
返事をすると勢いよく扉が開いた。レビアが目を潤ませこちらを見ていた。
「クロ、目が覚めたのですね」
「レビア……」
彼女の顔を見ると胸にじんと温かいものを感じた。
無事でよかった。
レビアがこちらへ近づいた。
「どこか痛む場所はありますか? 気分が悪かったり、ふらふらしたりしませんか?」
「大丈夫みたいだ」
レビアはおれの胸に勢いよく飛び込んだ。
それから強く体を抱きしめられた。彼女の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「本当に心配しました」
「……ごめん」
――この指輪も早くなんとかしなければ。
もうこんな心配はかけたくない。
しばらく待っていると、やがてレビアがゆっくりと体を離した。
指で涙を拭きとった。そして強い瞳で見つめられた。レビアがまだ何か言おうとしているのが分かったが、先におれが言葉を出した。
「ルナやヴェルナリスは無事か?」
「彼女たちは大丈夫ですよ。今は眠っています」
その言葉を聞いてほっと安心した。
よく分からないがあの場所から戻ってこれたわけだ。全員無事で。
「おれはどれくらい寝てた? どうやってここに?」
彼女は少し考える素振りを見せてから
「ニック様も交えて話をしましょう」
と言った。
レビアに手を引かれて部屋を出る。
この屋敷へ来た時に案内された客間へ入る。
するとニックさんが背中を丸めて座っているのが見えた。
「ニック様。クロが目覚めました」
彼は座ったままこちらを見た。
疲れ切った顔をしていたが、おれの顔を見て表情を一変させた。
「これはクロ様、よくぞお目覚めに……。あぁ、よかった」
彼は安心した顔で笑うと、ハンカチで額を拭いた。
「さあ、どうぞお掛けください」
「はい」
ニックさんの正面に座った。
すると隣にレビアが座った。彼女はようやくおれの手を離した。
「……あの、おれはどうやってここに?」
「そうですね。順を追って話をしましょう」
ニックさんが説明を始めた。
その途中で何度かレビアが補足した。
昨日の夕方、レビアとルナはおれたちとはぐれてから、遺跡の入り口に戻ったようだ。兵士の一人が報告の為に屋敷へ戻り、残りの兵士はレビアたちとともに遺跡へ入った。
だがおれたちを見つけることができず暗くなり、更には雨が降ってきた。
危険と判断し、応援の兵が来てから再度捜索をすることになった。
捜索を再開したのはもう夜遅くになってからだった。雨のせいもあり、ルナの力も働かなかったようだ。
そしてある兵士が魔人の死体を発見した。
その先で気を失っているおれと、パニックに陥っていたヴェルナリスを発見した。
それは夜が明けるほんの少し前のことだったらしい。
おれたちは屋敷へ運ばれた。
ニックさんは話を終えると真剣な顔でおれを見た。
「シエナの領民を代表して御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。クロ様に我々は救われたのです」
おれはどう返していいか分からず曖昧に笑った。
ニックさんを大げさだとも思わなかった。あの化け物を見てしまったから。
ニックさんが立ち上がった。
「私はウイリアム様へ一報を入れてまいります。……すみません、まだ仕事がかなり残ってまして、戻れないかもしれません」
「いえ……ニックさんもどうかお休みになってください」
ニックさんは深く礼をすると部屋を出ていった。
「……相当混乱があったみたいだな」
彼の話しぶりからそれが分かった。
「この十年、魔人が領土内にいるなんて、どこの国にもないことでしたから。無理もありません」
十年、か。
クロノ・リュートが魔人を討ち取って以来、ということだろう。
「ヴェルナリスからクロノのことを聞いた。何故クロノが魔人を倒したことで、他の魔族が活動を止めたんだ?」
「魔族はより強い力へ惹かれるように移動するという説があります。クロノ様の倒した魔人が他の全ての魔族を引き寄せていたのではないかと現在では考えられています」
「ふぅん」
――あれ、と疑問が湧いた。
そういえばナレードさんは魔人を追っていたと言っていなかっただろうか。
そのことをレビアに聞こうとした時、扉のノックの音が鳴った。
返事をする間もなく扉が開き、ルナが眠たそうな目をしながら入ってきた。すごい寝ぐせだ……。銀髪が爆発している。
「……クロ?」
ルナは驚いた顔をしてから、次に泣いたような顔をして笑った。
「目が覚めたのね」
「うん。心配かけたな」
「本当よ。死んじゃったかと思ったんだから」
今度は少し怒ったような顔を見せた。
その時またノックの音が鳴った。
扉が開く。
暗がりに進むような足つきでヴェルナリスがゆっくりと入ってきた。いつもの服ではなく、白いシャツを着ていた。彼女の右腕がないことがはっきりと見て分かるようなシルエットだった。
おれの顔を見ると、彼女は一瞬だけ安堵した顔を見せた。
が、すぐにまた俯いた。
重たい空気が部屋に満ちたのが分かった。
ルナが険しい顔でヴェルナリスを見ている。ヴェルナリスは床を見つめたまま眉をぎゅっと寄せていた。
ヴェルナリスが小さな声で「あの……」と言った。
だがそのあとの言葉を出ないようだった。彼女が何を言おうとしているのか、おれにはなんとなく分かった。
おれは先に彼女へ伝えることにした。
「ヴェルナリス。おれたちがエーデルランドへ来なければ、おまえも魔人に襲われることはなかったかもしれない」
言うと、ヴェルナリスが顔を上げた。
「だから謝る。ごめんな」
ヴェルナリスは辛そうな顔で視線を下げたが、やがてレビアとルナへ真剣な表情を向けた。
「……忠告を無視して魔人を追った。わたしの方こそ足手まといだった」
それから頭を深く下げた。
「彼を危険にさせてしまった。すまなかった」
静かな時間が流れた。
ヴェルナリスは頭を下げたままだった。
「わたし、今ひどいことを言いそうになった」
そうルナが言った。
ルナは憐憫を瞳に浮かべ、ヴェルナリスを見つめた。
「あんただって、襲われたのよね。……ごめん」
次にレビアが言った。
「貴女のせいじゃありません。だから大丈夫ですよ」
ヴェルナリスはゆっくりと頭を上げた。
「許してくれるのか」
「うん……」
「はい」
ヴェルナリスが安心したように見えたのは、おれの気のせいじゃないだろう。
「ありがとう」
ルナとレビアは微笑んで応えた。
「よし! じゃあこれで仲直りだ! 雨降って地固まるって言うし、よかったよかった」
わざと明るい声を出した。せっかく助かったんだ。
もう重苦しいのはいいだろう。
「何よ、それ」
ルナが唇を尖らせて言った。
あれ、伝わらなかったか。
「でもさぁ? なんか変じゃない?」
ルナが言うとヴェルナリスは首を傾げた。
「何か雰囲気が違うっていうか。しおらしいっていうか。さっきからクロをちらちら見てるし」
「な、何を言うか君はぁ! わたしは別に、その、あ、あれだ。その、ク、クク、ク」
「何? 変な笑い方して……」
「ち、違うわ!」
「……なんか匂うわね」
ルナがヴェルナリスの胸元へ顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。
そう言えばこいつ鼻がいいんだっけ。
「こ、こら!」
ヴェルナリスは顔を赤らめてルナを離そうとしていた。
おれはレビアと顔を見合わせてから笑った。
ノックの音が鳴った。
年老いた使用人の女性が入ってきた。彼女は深く頭を下げ、食事の用意ができたことをおれたちに告げた。
ここへ初めてきた時よりも更に恭しい態度だった。




