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第25話 努力の意味

 翌朝。

 少し早く目が覚めてしまったようで、窓の外はまだ薄暗かった。

 何となくもう一度眠る気になれず、服を羽織り靴を履いて部屋を出た。


 用をたし顔を洗ってから、散歩がてら城を散策してみることにした。


 塔と塔を繋いでいる回廊を歩く。

 通路から中庭を見下ろすことができた。芝生の上に模様を描くように花壇や植木が敷き詰められている。


 どこかから降りれないだろうかときょろきょろと見ていたら、階段があるのが見えた。そちらの方向に向かい歩いていく。


 階段を下り中庭に出た。城の上だということを忘れてしまいそうな景色だ。この芝生の下は石でできているのだろうか。


 風を切る短い音が聞こえてきて、そちらの方を見てみた。遠くの方に人影が見えた。

 誰かがいるようだ。ゆっくりと近づいていく。


 ヴェルナリスだ。模擬刀を持って構えている。

 集中しているのか、おれには気づいていないようだった。


 彼女が一歩前に動き刀を振った。

 振り終わったところでぴたりと静止する。残像を見えるほど速い動きだった。


 また一歩前に出て刀を振った。風を切る短い音がひゅっと鳴った。彼女の髪が後ろの方へなびき、少し遅れてふわりと落ちた。

 洗練されたその動作は自然にも似た美しさがあった。

 額に汗を流した彼女の顔をとても真剣で、あの歪んだ表情を見せた彼女とは別人のように思えた。


 彼女はおれの方を見た。


「おはよう」


 右手を上げてなるべく笑顔で言ってみた。

 少し緊張する。まだ怒ってるだろうか。


 彼女は冷たい顔でおれを見た。

 まだ怒っているらしい。


「ヴェルナリスってやっぱ凄いんだな」


 きっと強く睨まれた。

 何だよ……。


「いつもこんな朝早くから特訓してるのか?」

不埒ふらちな覗き魔の記憶を奪うのには必要な訓練だからな」


 まだ誤解は解けていないらしい。

 やはり防御の練習をした方がよさそうだ。


「そんなに怒るなよ。ウイリアムさんに訊いてみろ。あの人が全部悪いんだ」


 彼女は不機嫌そうにぷいっと顔を背けた。


「大体どうして君はこの城に残っているんだ? よく考えると、それがまずおかしい」

「あれ? 聞いてないのか? ウイリアムさんがもう一度勝負をしろと言ったんだ」

「それは知ってる。わたしが言いたいのはそうじゃない。可能性がないのに何故残ってるんだ? まさか勝てるとでも?」


 ああ、そういうことか。


「正直に言うと、勝てるとは思っていない」


 少し驚いた顔を見せたあと、またおれを鋭く見た。


「ならどうして」

「やりもせずに諦めたくないと思ったからだ」


 ヴェルナリスの肩が少しだけ揺れたように見えた。


「君は勝てると思っていないと言ったな。それは諦めているんじゃないのか?」

「やりもせずってところが重要なんだ。確かにおれは勝てないのかもしれない。ただその瞬間が来るまで努力をし続けるつもりだ」


 昨日の夜、もう一度自分の心に向き合ってみた。

 そうしてある結論を出した。


「おれには過去がない。自分のことさえも証明できない。だから、今なんだ。今できることを、精一杯努力したい。今できることをやらずに諦めてしまったら、おれという存在が無意味なものになってしまう気がする。やりもせず次へ進むことなんておれにはできない」


 ヴェルナリスはつかつかとおれに近づいた。

 彼女は強い眼差しをおれにぶつける。その瞳は何か大きなものが潜んでいるように思った。


「無意味だと思わないのか?」


 ――あれ。なんだこの感じ。

 前にもどこかで聞いたことがあるような。


「たった数日では結果は変わらない。意味のない努力だ」

「やってみないと無意味かどうかなんて分からないだろ」

「いや、無意味だ。努力してもどうにもならないことだってある」


 彼女はおれの横をすり抜け、そのまま中庭の奥へ進む。


「ヴェルナリス!」


 言うと彼女はぴたりと止まった。

 くるりとこちらへ振り返る。


 その顔は怒っているようにも見えたし、それ以外の何かを含んでいるようにも思えた。

 触れてはいけないものに触れてしまったような感覚がある。だがこれは言わなくては。


「努力することは無意味なんかじゃない。例え結果が出ずとも、そこに意味は必ずあるはずなんだ」


 言ってから気がついた。おれは自分に言い聞かせているんだ。努力しなければ、おれには何もないのだから。


「わたしは君が嫌いだ」


 また反転し、向こうの方へ消えていった。


 一体彼女は何なのだろうか。

 おれの心を刺激する――。


 しばらく呆然としていたが、肌寒さを感じて部屋に戻ることにした。






 部屋では試せないことがあって、おれは屋上に出てきた。シドさんには一人で特訓すると伝えてある。


 後ろ脚に体重を乗せる。前足は地面に触れるだけだ。

 この状態で地面を蹴るようにして、一気に飛ぶ――いや、滑るといった方が近いかもしれない。

 頭の高さを変えずに、足の幅も変えずに、地面をするようにして移動する。これが移動術らしい。


 前後左右に何度も動き、時折、間違いがないか本を読む。

 体が動く感触に違和感はない。おそらくこれが正解なのだろうという不思議な直感があった。


 午前中は移動術を練習して終わってしまった。

 何か一つ足りないような感じがして試行錯誤しているうちに、何故か裸足になった方がイメージ通りに体が動くという結論に辿りついた。足の指の力が重要だということかもしれない。


 昼食を終え午後になってから、かたというものを初めてやってみた。

 これを終えれば一通りの基本は全てやってみたことになる。


 型にも名前がついているようだったが、やはり意味は分からなかった。

 ちなみにこれから練習する型は参光さんこうという名前がついている。今まで練習した構えや技を組み合わせたようなものだった。

 決められた動きがあるらしく、それに従い身体を動かす。型は色々種類があったが、少し長めのものを選んだ。


 特訓を続ける。


 動きを覚えるまでに結構時間が掛かってしまったが、一度覚えてしまえば流暢りゅうちょうに動けるようにはなったと思う。


 恐らくこれが正しい動きだ。それは直感としてある。

 だが、これが実戦にどう繋がるのだろうか。


 頭にヴェルナリスを思い浮かべ戦ってみる。

 彼女の動きは速く、おれが昨日と今日で身につけたものはどこで繰り出せばよいのか分からなかった。

 頭の中で何度もおれは敗北する。


 ――イメージが足りないのだろうか。


 ヴェルナリスの姿を強く思い浮かべる。

 彼女の柔らかそうな体を――。


「はっ! おれは今いったい何を?」


 ……戻るか。汗が冷えて寒くなってきたし。

 いつの間にかかなり時間が経過していた。もう日が傾いてきている。


 部屋へ戻るとき、レビアが廊下の向こうにいるのが見えた。


 手に花束を持っている。

 レビアはおれに気がついたのか、とことこと近づいてきた。


「休憩ですか?」

「うん。どうしたんだ? その花」

「よく分からないのですが、一緒に働いていた使用人の方がくれました」

「へぇ」


 待てよ。もしかして。


「その使用人って男か?」

「はい、そうです」


 熱烈なアプローチをされているレビアが頭に浮かんだ。

 まあレビアくらい可愛い子がいたらアタックをしたくもなるだろう。多分この様子では彼女は気がついていないと思うけど。


「よかったな」

「はい。お部屋に飾ります」


 レビアは少し微笑むと「待っててください」と言って廊下を進んでいった。


 しばらく待っているとレビアが戻ってきた。手から花束がなくなっていた。一度部屋に戻ったのだろう。


「修行は順調ですか?」

「うん、まあな。でもおれの練習しているものが実戦でどう役に立つのかよく分からない」

「何を練習しているのですか?」

「型っていうらしい。決められた動きがあるんだ」

「型、ですか。見てみてもいいですか?」

「うん、でもいいのか?」

「休憩中だから大丈夫ですよ」


 レビアが見てくれるなら心強い。


 もう一度レビアとともに屋上に出る。


 日が沈みかけているが、まだ姿は見えるだろう。


 おれは練習した型、参光さんこうを実演した。

 動き一つ一つに意味があるのだろう。それが分かる時もあれば、分からない時もあった。


 演武を終え「どうだった?」とレビアに訊いた。


「素晴らしい動きです。とても二日で身につけたものとは思えません。クロは過去にこの体術を学んでいたのだと思います」


 おれはどこかでこの型をやっていたのだ。もう間違いない。一体おれはどこでこの体術を学んだのだろうか。

 落ち着いたら詳しく調べることにしよう。


「しかしこれがどう実践で活かされるのかが分からないんだ。何かの役に立つのか?」

「型は基本の全てが詰め込まれています。技というよりは動きを学ぶ為のものだと考えてください。修練を積み続ければ、いずれ実戦となった時自然と身体は動くでしょう。心配ないと思いますよ」

「そうか、良かった。自信がついた」

「お役に立てて良かったです」


 レビアはくすりと笑った。


「あとはシド様にお願いして実際に戦ってみてもよいかもしれません」


 なるほど。防御を覚えたいというのもあるし、そろそろ一人で特訓するのも限界だろう。シドさんに頼んでみるか。


「わたしはそろそろ戻らなくてはいけません。クロはどうしますか?」

「そっか。付き合ってくれてありがとう。おれはもう少し練習してから戻るよ」

「分かりました。頑張ってください」


 レビアは名残惜しそうにして屋上を出ていった。

 おれは足元が見えなくなるまで型を練習した。いつかこの動きが役に立つことを信じよう。意味のない努力などあるはずないのだから。






 練習を終え、近くにいた使用人にお願いをしてシャワーを借りた。

 そのあと部屋へ戻る最中、廊下の奥にルナがいるのが見えた。


「あ、クロ! 見て見て」


 ルナがこちらに近づいてきた。

 何か手に持っている。


「げ! なんだよそいつ」


 手にカエルを持っている。

 ゲコっと低い声で鳴いた。


「クロは知らないのね。これはね、カエルって言うのよ」


 いや、そうじゃなくて。


 待てよ。もしかして。


「男の使用人に貰ったとか?」

「は? なんでよ。そんなわけないでしょ」


 そりゃそうか。


「中庭で捕まえてきたの。いいでしょ」

「なんでまた」

「教えてあげる。カエルって食べられるのよ」

「そ、そうなのか?」

「うん、食べられないのもいるけど」


 ルナは背伸びをしておれの頭をなでてきた。


「これでまた一つお利口になったね、クロ」


 というかカエルを触った手でおれの頭を撫でるなよ。


「コックの所に持ってくから、またね」


 ルナは嬉しそうに鼻歌を歌いながら廊下の向こうに行ってしまった。


 ……なんだったんだ。


 部屋へ戻り涼んでいると、ルナがやってきてノックもせず部屋に入ってきた。

 何かと思い見てみると夕食を載せたトレイを持っていた。


 危なっかしい手つきでそれをテーブルへ置くと、額を拭うような仕草をして大げさにため息をついた。


「ご主人様、夕食を持ってまいりました」

「あ、ありがとう」

「下のお盆はそのままでいいよね。また使うんだし」

「うん」


 夕食を見る。

 今日はパスタのようだ。スープやサラダも用意されている。


「カエルはどうした?」

「逃がしちゃった……。カエルなんて食べられるかって追い返されちゃったし」


 そりゃそうだろ。

 やっぱりおれの感覚は正しかったんだな。この中に入ってなくて正直よかった。


 夕食を食べながらルナに訊いてみた。


「仕事は順調か?」

「順調、なのかな?」


 いやおれに聞かれても。


「レビアはね、凄いのよ。このままずっと働いてほしいって色んな人に言われてる」

「へぇ」


 さすが元使用人だ。


「ルナは?」

「わたしは……レビアより休憩の時間が多いかな。君、しばらく休んでていいよって言われる」


 ……理由は聞かないでおこう。


「で、でも今まで仕事なんてしたことなかったし? 仕方ないわよね」

「そうなのか?」


 ルナははっとした顔をすると口元に手を当てて、窓の方へ振り向いてしまった。


 そういえばルナも謎が多い。

 今の様子からしても記憶喪失だっていうのは嘘だろう。尻尾や尾はあれ以降見てないし、何故追われていたのかもまだ聞いていない。


 そしておれは聞けずにいる。

 耳と尾には触れないでと言った彼女の言葉と、その時の瞳を思い出すと、どうしても聞くことができないでいた。


「いつか話すから」


 こちらに背を向けたままルナは言った。


「言いたくなったらでいいよ」


 彼女は小さく「うん」と言った。


 少し間を置いてからふいにルナはこちらへ振り返った。


 その表情を見てドキリとした。

 普段の彼女とまるで違う顔をしていた。うれいを帯びた瞳は何を想っているのだろう。


「わたし、あんな多くの人と一緒にいるの初めてなんだ。すごく楽しいよ。本当に」


 何故そんな悲しそうな顔でそんな言葉を言うのか。彼女の大人びた顔を見て、彼女はおれにないものを色々と背負っているのだと、そんな風に思えた。おれは言葉が見つからなかった。

 どうにかして「良かったな」とだけ声に出した。


「うん。ありがとう、クロ」

「なんでおれに言うんだよ……」


 ルナはふっと息を吐くと表情を変えた。いつもの明るい彼女の顔だった。


「クロはあの子に勝てそう?」

「いや。駄目みたいだ」

「そうなの?」

「うん。まあ、でも一発くらいは当てたいな」


 三年かかると言われたけど、それは剣での話だ。体術ならまだ可能性はあるかもしれない。一撃当てれば、無意味じゃなかったと彼女に言えるだろうか。


「あの子、変だよ。もう動けないのにあんなに叩いてさ」


 ルナが眉間にしわを寄せた。


「なんか思い出したら腹が立ってきた」

「なんでルナが怒るんだよ……」


 たぶん次はもっと苛烈を極める攻撃が来るだろうな。

 主にウイリアムさんのせいで。


 ちょうど食事を終えた頃に扉が叩かれ、ルナを呼ぶ声が聞こえた。知らない女性の声だった。


「あ、ごめん。メイド長が呼んでるから、もう行くね」


 ルナはトレイを持つと、来た時と同じように真剣な目でゆっくりと歩いた。中身がない分だけ少し身軽だ。


 だがあれでは扉を開けるのも大変だろう。

 おれは扉の方へ移動した。


 部屋を出る直前でルナは立ち止まった。


「明かりは消す?」

「いや、まだいいよ」

「……今日は遅くまで起きてるの?」

「うーん、本を読んで眠たくなったら寝るつもりだけど」

「分かった。またね」


 ルナはそのままゆっくりとした足で廊下を進んでいった。

 なんだったんだろう。何か意味がある質問だったように思った。


 まあいいか。


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