第24話 体術
シドさんは仕事があるらしく一度離れるとのことだった。
部屋で一人休憩していると、扉がノックされた。
レビアの声がした。
「クロ、お昼を持ってきましたよ」
「ありがとう」
レビアは部屋へ入ってくると、慣れた手つきでテーブルへ食器を並べた。
「レビアは食べないのか?」
「わたしはもういただきました」
「そっか」
「シド様から聞きました。剣の修行を開始されたのですね」
「うん。でも、全然駄目みたいだ。三年修行しても一撃与えられるかどうかだって」
「そうですか。でもそれは誉め言葉だと思いますよ。――手を出してください」
「手?」
いつかそうしたようにレビアはおれの手を拭こうとしたようだ。
だが直前になって止まった。
「いけません。すぐに手当しないと」
「ああ、これか」
剥けた部分を触ってみた。もう固くなってきてる。あまり痛くない。
「大丈夫だよ。ほら、おれって傷の治りが早いだろ」
「駄目です」
レビアはいったん部屋を出ると、手に小さな木箱を持ってすぐに戻ってきた。
薬箱のようだ。
レビアはおれの手を消毒すると白い布をぐるっと巻いた。
「これで大丈夫です」
「あ、ありがとう」
「わたしが食べさせてあげます」
「い、いいよ。大丈夫! ありがとう」
過保護になってきてると思うのは気のせいだろうか。
食事を開始する。
食べながらルナのことを訊いてみた。
「ルナはお昼休み中です。このお城を探検するといってどこかに行ってしまいました」
なるほど。正直ちょっと羨ましい。
「レビアたちは何の仕事をしてるんだ?」
「今日は掃除をしていました。この後も多分そうです」
レビアにとっては慣れた仕事のようで順調とのことだ。レビアが話すのを聞いていて、使用人という職業自体は、レビアは好きなのかもしれないと思った。
レビアがおれのグラスに水を注いだ。静かな部屋にトクトクといい音が鳴った。
「ありがとう」
「……いえ」
なんだかオルハルト家にいた時のことを思い出す。
レビアにとってはあまりいい記憶ではないだろう。言うのはやめておこう。
視線を感じてレビアを見ると、目が合った。
レビアは恥ずかしそうにしてさっと目を逸らした。
「どうした?」
「……すみません、何でもありません」
頬を赤くして俯いた。
どうしたんだろうか。
「なんかあったか?」
「いえ。それよりクロの話をしましょう」
あからさまに話を逸らされた。
まあいいか。
「わたしが思うにクロは剣術より体術の方が向いていると思います。体の使い方が素人のそれではありません。一度シド様に相談されてみてはいかがでしょうか」
「体術か……」
おれの過去に繋がっているかもしれない。どちらにせよ一度試してみた方がいいだろう。
「なあ、レビアから見てもあの子は凄いのか?」
「はい。相当な修練を積んでいます」
五日の努力でどこまで食らいつけるだろうか。
レビアは少し困った顔をして、
「クロがまた同じように負けてしまっても、何も気にすることはありません。それが普通のことです」
と言った。
「まあ頑張ってみるさ。強くなりたいしな」
「はい。わたしはクロのことを応援します」
食事を終える。
レビアは空になった食器を下げつつ、このまま仕事へ向かうと言って部屋を出ていった。
シドさんが再度部屋へ来た。
早速おれは、体術について教えてほしいと言ってみた。
「はぁ、体術ですか。わたしはあまり詳しくありませんからな。すみませんが教えることはできません」
「そうですか」
そう上手くいかないか。
何か掴めると思ったが。
「……いや、少しお待ちください。ひょっとしたら本があるかもしれません」
言うとシドさんは一度部屋を出た。
しばらく待っていると、シドさんが手に何冊かの本を持ち戻ってきた。
「その本は?」
「体術について書かれた指南書です」
一冊を手に取りぱらぱらとめくってみた。
絵図と文字で構成されているようだ。
「しかしなぜ体術なのですか?」
「どうやらおれは過去に体術を学んでいた可能性があるみたいなんです」
「はぁ、なるほど」
シドさんは髭を触りながらおれをまじまじと見た。
「クロ様の年齢を考えれば、体術を学んでいてもおかしくないかもしれないですな」
「……? どういう意味ですか?」
「あぁ、これは失礼。体術はここ十年ほどで急激に発展した技術なのですよ」
ここ十年?
おれの知識ではそのような認識はない。
「クロ様はここへ来る途中、魔物を見たかと思います。……あれを素手でどうにかしようと思いましたか?」
おれは首を横へ振った。
「いえ、思いません」
「そう、普通は武器を手に取り魔法を使って魔物を駆除しようと考えます。素手で殴ったり蹴ったりなどと普通の人間は考えません。ですから体術というのはあまり発展してこなかった技術なのです」
「では、何かきっかけがあったのですか?」
「その通りです。ある先導士の登場が体術の概念を変えました」
先導士。
またここでもその言葉が登場するのか。
「彼は己の肉体のみを駆使し魔物や魔人を討伐したのです。……あの発想は凡人には考えつきますまい。体術だけでなく肉体強化の魔法の重要性もぐっと上がりました」
シドさんは持ってきた本のうち一冊を手に持った。
「その先導士の考案した体術が、この本に書かれているものです」
すっと差し出される。表紙が目に入った。
「新矢戸流空手道……。どういう意味ですか?」
シドさんは首を左右に振り「よく分かっておりません」と答えた。
「その体術を考案した先導士は既に亡くなられております。言葉の意味はもう分かりますまい」
「そうなんですか……」
一枚目をめくる。拳の握り方が書かれていた。
「おれ……この本を見ながらちょっとやってみます」
「かしこまりました。私に手伝えることがあればおっしゃってください」
「ありがとうございます。当分は本を読むと思います。もしお忙しければ仕事に戻られても大丈夫です」
「はぁ。そうですか。すみませんがお言葉に甘えさせていただきます。実際、私がいないと中々上手くいかないようでしてな」
困ったように笑った。
この人は仕事が好きなんだな、と思った。
「もし用事があれば近くの使用人に言ってください」
シドさんはお辞儀をして、部屋を出ていった。
おれは椅子に座りもう一度本を開いた。
ともかく本を見ながらやってみよう。
拳を握ってみる。
指輪は邪魔にならなそうだが、レビアが巻いてくれた布が少し張っている。彼女には申し訳ないが一度外してしまおう。
向けた皮はもうほとんど痛くなくなっていた。
拳を握る。これでいいのだろうか。
まずは実践してみよう。
足を肩幅に広げ腰を落とし背筋は伸ばす。
左腕を引くのと同時に右拳を突き出す。しゅっと音が鳴った。今度は突き出した右腕を引きながら左拳を突き出す。
正拳突きというらしい。
刀を振った時よりもしっくりくる感じがする。
やはりおれは過去に学んでいたのだろうか。
とにかく続けてみよう。
後屈立ちという構えがあるらしい。右足を後ろへ、左足を前に出す。体重を後ろ足に乗せ、腰を落とす。
足に負担がある構えだ。
先ほどと同じように正拳突きを繰り出してみた。
……下半身はこれでいいのだろうか。本をもう一度読んでみる。どうやら下半身の体重移動はしないようだ。足を土台にするイメージだろうか。
拳だけでなく蹴り技も載っていた。
体に引きつけるようにして膝を持ち上げ、膝から先を跳ねて蹴りを出す。
後屈立ちと組み合わせると、安定して蹴りが出せた。この動きもまた何故か慣れた動きのように感じた。足の前後を入れ替えて同じことをやってみる。特に違和感なく体は動いた。
本を読み実際に体を動かす。そしてまた、本を読む。
何度も何度も繰り返していく。
刻々と時間が過ぎていく。
扉がノックされ練習を中断した時には、すでに夜になっていた。
「うわぁ、汗くさいなぁ」
ウイリアムさんが鼻をつまみながら入ってきた。
彼は窓を開けてから椅子に座った。
「体術を稽古してるんだって?」
「はい。どうやら記憶を失う前に学んでいたようなんです」
「あぁ、聞いたよ。体術ねぇ、僕にはよく分からんな」
彼は頬杖をついて興味なさそうにおれを見あげた。
「な、何でしょう?」
「いや、先導士って珍しいでしょ。だから見てるだけ。いやぁ凄いな。真っ黒だ」
ていうか何をしに来たんだろう。
練習を続けるわけにもいかないし、どうしようかと思っているとウイリアムさんが口を開いた。
「僕が言うのもなんだけど、勝つのは無理そうみたいじゃない」
「はあ、どうやらそうみたいです」
「いいの? またボコボコにされちゃうかもよ?」
あまり想像したくない未来だ。
「……そうならないように頑張ります」
よく考えてみれば、攻撃よりも防御を練習した方がいいような気がしてきた。
シドさんに訊いてみたほうがいいかもしれない。
「まあ頑張ってよ。ヴェラだって君を半殺しにしたくないだろう」
ヴェラって、あの子のことだよな。
ヴェルナリスって言ったっけ。
「彼女のことを悪く思わないでくれよ」
「悪くなんて思いません。むしろおれの勝手で巻き込んでしまい申しわけなく思っています」
「ふぅん。あれだけ滅多打ちにされたのに?」
「はい」
じろっと見られた。
「……君はあの子のことどう思った?」
「どうって……」
真剣に話せと目で言われている気がした。
なんとなくこの人には隠し事はできないと思った。勘だけど。
「どうしてあんな顔をしているんだろうとは思いました」
「はぁ、気になるんだ」
「まあ、少しは」
ウイリアムさんは無精ひげのある顎をなでると、
「じゃあついて来なよ。彼女のことを教えてやろう」
と立ち上がった。
服を羽織ってから、ウイリアムさんに続き部屋を出た。
城の中を歩き別の塔へ入った。
廊下を歩いていく。一体どこに向かおうというのか。
「今日この後見るものを、目に焼きつけておけるかい?」
歩きながらウイリアムさんは言った。
その声は今までにない真剣さがあるように思えた。
「努力します」
一体何を見せようというのか。
おれは全身に緊張を感じた。
廊下をしばらく歩いたところでウイリアムさんが立ち止まった。
「ここだ」
木製の大きな扉がある。
他の部屋の扉と少しデザインが違うように思えた。
「いいか? 息を殺し中へ進んでいけ。絶対に立ち止まっちゃいけない」
その表情を見て思わずごくりと唾を呑んだ。
この人がこんな真剣な目をするとは。
「あの、一体なにが」
「見れば分かる」
「……分かりました」
ウイリアムさんが扉を開け中へ入るよう促した。
彼は外で待っているらしい。
広い部屋のようだった。
部屋の天井に小さな灯りがぶら下がっている。光りは弱く部屋は薄暗かった。何の部屋なのだろうか。棚が並んでいる。
奥に石造りの通路が続いている。
ここに進めばいいのだろうか。
通路を進むと、その先からびちゃびちゃと水の音が聞こえてきた。
それにすごく蒸している。
ひょっとしてここはシャワールームだろうか。
何故こんな場所に行けと言ったのだろう。
通路を進み、突き当りを右に曲がった。
あれ?
「…………」
「…………」
目が合った。ヴェルナリスだ。裸である。
「や、やあ」
「んな! な、な、なぁ~!!」
物凄い声を上げると近くにあった桶をぶん投げられた。
スコンと間抜けな音を立てて頭にぶつかった。
「どうやって入ってきた! この鬼畜! 外道! 変態! ド変態!」
「どわぁ!」
おれは入口の方へ逃げた。次々と後ろから何かが飛んでくる。
また何かが頭に当たってゴンと音が鳴った。痛い。
――見てしまった。
扉を開けて廊下へ出る。
すると笑い転げてるウイリアムさんがいた。
「…………」
ひょっとして嵌められたのか?
ウイリアムさんは立ち上がった。
「ひぃ、腹痛い。いやぁ久々に大笑いしたなぁ」
「…………」
「どう? 彼女のこと知れただろ? それじゃあ僕はこのへんで」
「ちょっと待てい、ですよ。あんた、一体何を!」
腕をがしっと掴んだ。
「いいじゃないか、いいもの見れたでしょ。じゃ、僕は忙しいから」
そりゃそうだが……。
……って! 違う違う。
「僕、領主。君、居候。腕、離す。いいね」
なんで片言なんだよ。
なんだか馬鹿らしくなって腕を離した。
ウイリアムさんはきっと真剣な顔をした。
「まあ真面目な話、先導士が覗きをして慌てて逃げてくる姿なんて、普通は一生見ることができないからね。どうしても見たくなっちゃって」
「あんたそれでも領主か!」
大丈夫なのか? この国は。
昨日から薄々感じていたが、この人は変わり者だ。間違いない。
部屋の中から物音が聞こえた気がした。
ヴェルナリスが何か呟いている。
「逃げよう。君はあっちへ逃げなさい。僕はこっちへ行くから」
ウイリアムさんは凛々しい顔で言うと、そそくさと通路の奥へ行ってしまった。
扉の向こうの音が大きくなってきた。
まずい、おれも逃げよう。何か殺すとか言っているのが聞こえてるし。
バタンと勢いよく扉が開く音が背後から聞こえた。
やべえ。
おれは走りだした。
「くぉのぉぉおお! 待て変態!」
うお! 追いかけてきた。
城を走る。すれ違う兵士や使用人の視線を多く感じた。フードが外れないように頭を掴んだまま走った。
罵声を浴びせられながら走り続け、どうにか部屋まで逃げ帰ってきた。
が、おれはマナが使えない。つまり、せっかく用意されているこの部屋のロックも残念ながら掛けることができない。
そういうわけで、勢いよく扉が開かれヴェルナリスは部屋へ侵入してきた。
はぁはぁと肩で息し、紅潮した顔でおれを睨んでいる。
おれは部屋の壁に背をつけて、おろおろと狼狽えた。
「どういうことか説明してみろ。場合によっては殺す」
「待て! おれは無実だ! ウイリアムさんが行けと言ったんだ」
おれのすぐ側までぐいっと近寄る。石鹸の香りがした。
じっと睨まれる。まだ濡れたピンク色の髪が、赤く染まった頬に張りついている。
服もはだけていて、こんな場面であれだが、少し色っぽいと思ってしまった。
「そんなわけないだろう。嘘をつくな」
彼女は腰の刀の鞘に手を当てた。
おい。冗談だろ。
「嘘じゃない! 本当だ! だいたいおれがそんなことをするわけないだろう。おれは昨日、君に滅茶苦茶にやられたんだぞ? そんな恐ろしい真似できるか!」
まだ睨んでいる。
怒りと同時に羞恥があるように見えた。
「そ、それに。見てない!」
「なんだと?」
「えっと。ほ、ほら。湯気でぼやけてたっていうか」
「……本当だな」
「あ、あぁ」
彼女は鞘から手を離し、くるっと背中を向けた。
「まあいい。見てたとしても記憶を失うまで君を殴り続ければいいだけのことだ」
……恐ろしい女だ。
多分本気で言ってる。
ヴェルナリスは最後にもう一度おれを睨みつけると、大きな足音を立てながら部屋を出ていった。
彼女の足音が聞こえなくなってから、おれはほっと溜息をついた。
嘘をついてしまったが、とりあえず助かった。
窓を開けた。
冷たい風が入りこんだ。
嵐のような出来事だった。
何だかずっと何かに追われてばかりいるのは気のせいだろうか。
それにしても凄まじく怒っていたな。……当たり前か。裸を見られたんだから。
一言謝った方がよかっただろうか。
――あれ。
夜空を見上げながら、ふいに昨日のヴェルナリスのことを思い出した。
昨日の彼女の表情と、さっき見た彼女の表情は、似ているが全く違ったものに思える。
昨日のあれは怒っているわけじゃなかったのかな――。
ではあの表情は何だったんだろう。
おれは夜空を見ながらしばらく彼女のことを考えていた。




