第17話 奪取
おれは呼吸を一つして決意を固めると、眠っているナレードの上へ勢いよく飛び馬乗りになった。両腕で彼の首を掴み、力を込める。
ナレードが目を剥いた。
ベッドの軋む音が部屋に響く。短い呻き声がそこに混じる。
「静かにしろ」
ナレードはおれの腕をつかんだ。細い目で何度も瞬きをする。まだ自分の身に何が起きたのか分かっていないようだ。
焦点の合わない瞳が徐々に定まってきた。おれと目が合う。
「静かにしろ。殺すつもりはない」
ナレードは小刻みに頷いた。
抵抗する力が弱まったのを感じてから、指の力を緩めた。
ナレードの様子を見る。
恐怖と混乱で顔面が歪んでいる。だが話を理解できる程度には落ちついているように見えた。
「思い出したんですよ。ナレードさん。おれはたしかに先導士だった。とある国に忠誠を誓う先導士だったんだ」
喉をしめる腕に力はいれていない。声は出せるはずだ。しかしナレードは何も言わなかった。
何を言っていいか分からないんだろう。そう判断し、言葉を続ける。
「あんたは取り返しのつかないことをしてしまった。先導士であるこのおれに暗殺者を手向けたな」
「し、知らない! ……そんなものは、知らん!」
「とぼけるな」
再び腕に力を込める。
ぐえ、と彼が苦しそうに声を出した。
「どれだけ知らぬふりを続けようと、おれはこのことを国へ報告する。あんたは先導士を暗殺しようとした最低最悪の指導者として、歴史に名を残すことになる」
力を弱める。
乾いた音が口からこぼれる。その哀れな姿を見て罪悪感がわいた。
だがレビアを救うためだ。おれは悪魔を演じてみせる。
「……はて、先導士様が何を仰っているのか。私には分かりません。きっと何か勘違いをされておられるのです」
脂に汗の浮かんだナレードの顔を睨みつける。
彼の瞳の奥に狡猾さが宿っていた。
まだとぼけるつもりなのか。
ナレードはレビアがこの部屋にいることに気がついているのだろうか。おれがレビアを暗殺者だと知ったことに気がついているのか。
分からない。どちらでも構わないような話し方をしなければいけない。
「指を切り落として持ち帰ってやろうか?」
ナレードの目玉がぎょろりと動きおれを見た。
「おれを殺そうとした女には胸に刻印があった。おまえが身につけている指輪と対を成しているはずだ」
彼は手を隠すように毛布へ引っ込めた。おれは首をしめる力を強めた。
反射的にナレードがおれの腕を両手で掴んだ。その指には指輪がはめられている。
「これをどう説明する? 言っておくが術を発動させ女を殺しても無駄だ。知らないのか? その指輪は術を発動させれば一生指に残り続ける。そしておれは刻印のある女に命を狙われた証拠を持っている」
「ゆ、指に……。馬鹿な。そんなはず……」
当然でたらめだ。どうなるかなんておれが知るはずない。
しかしそれで十分だ。今だけ通用すればいい。今だけナレードを惑わすことができればそれでいい。
「だがおれにも記憶を失っていた落ち度がある。ルナを救ってくれたのも事実だ。だから――」
おれは声を僅かに変えた。
温かい印象を与えるように。
「おまえを助けてやろう」
ナレードは答えない。
右の眉がびくびくと痙攣している。表情から考えは読めなかった。
「指輪を譲渡しろ。そうすれば助けてやる」
「指輪を? 何故……」
「あんたの為だ。動かぬ証拠である指輪を消すにはそれしかない」
「だ、駄目だ……、それだけはできん」
「いいのか? 場合によっては、戦争に発展するかもしれないぞ。そしてあんたも当然死ぬことになるだろう」
指にわずかに力を込めた。
だがナレードは怯まない。
「ど、どこの国なのだ」
ついにこの質問が来た。と思った。じっとりと背中に汗をかいている。平静を装う。
おれがこの数日で身につけた知識だけが武器となる。もっとも効果のある言葉を考え、口にする。
「……先導士であるこのおれが忠誠を誓った国だとだけ言っておこう。この意味が分からないわけではあるまい」
どうだろうか。ナレードの表情は読めない。
まさか不自然だっただろうか、と不安になる。
部屋にノックの音が聞こえた。
おれもナレードも動きを止める。静寂が部屋に満ちた。
更に大きな音でノックが聞こえた。扉を強く叩いてる。
「ナレード様! 何かございましたか?」
扉越しに女の声が聞こえた。レビアを何度か呼びに来た女の声に聞こえる。
――まずい。さっき兵士に呼ばせた使用人が来たのか。
おれはナレードを睨みつける。作戦を変更する。もっと直接的で暴力的な手段を取る。
「面倒なことになった。残念だがあんたを殺すしかないようだ」
ナレードは小さな悲鳴を上げた。
「指輪を譲渡する気があるなら部屋に入って来ないよう言いつけろ。そうじゃないなら、このまま死ね」
指に力をじわじわと込める。
心臓がどくどくと高鳴っている。指をつたってナレードにばれないだろうか。内臓を掴まれたような気分だ。恐怖と焦燥がおれの心を縛っている。
「ナレード様! いらっしゃるのですか?」
早く。早くしろ。
「申し訳ありませんが入らせていただきます」
「よい! 入ってくるな!」
ナレードが息を切らしながら怒鳴った。
「しかし……」
「……いいから自室へ戻っていなさい」
女は少し間を開けてから「かしこまりました」と言った。
扉の閉まる音が小さく聞こえた。
――危なかった。だがまだ終わりではない。
おれは扉の外に聞こえないよう小さな声で、
「指輪を譲渡するんだな」
ナレードは頷かない。
黙っておれを見上げている。
「心配するな。おれにはおれの目的がある。正直に言えば、おれもこの件のことはなかったことにしたい。だが貴方や暗殺者をこのままにもしておけない。だからこれは対等な取引なんだ。おれは貴方に関わりたくない。貴方は指輪を失うが同時に平穏を手に入れる」
しん、と部屋が静まりかえった。
頭が興奮と緊張と不安でくらくらする。
まだ駄目なのか。次は何を言えば――
「――分かった。取引に応じる」
そうナレードが言った。
「……今この場でおれに譲渡しろ。あんたには見えているか分からないが、この部屋には仮面の女を力を奪った状態で連れてきている」
「なっ!? ……どこに?」
頭を動かそうとしたナレードの首を絞める。
「早くしろ。おれの気が変わってしまうかもしれない。貴方を殺させないでくれ」
目が合う。
ナレードが歪んだ顔をおれを見ていた。
そして。
「分かった……。ナレード・オルハルトが命ずる――」
小さな声で呪文のように譲渡の意志を呟いた。するとナレードの指輪が一瞬光った。
次の瞬間、おれの指に指輪が移動していた。
右手の人指し指、小指、薬指。
左手の中指、小指。
銀色をベースに黒や金色などの模様で装飾が施された細いリングだ。
これで譲渡は完了したのだろうか。
レビアに目を向ける。
おれの視線に気がついたのか、彼女は大きく一度頷いた。
これで問題ないようだ。
ようやく安堵が胸に押し寄せた。
汗をかいた体が、急に冷たく感じられた。
「ナレードさん、これで最後だ。おれの質問に答えろ」
もう抵抗する力が抜けている。その顔は急に老け込んだようにさえ見えた。虚ろな目でおれを見ている。
「森でおれとルナはあんたの兵に会ったはずだ。何故それに触れなかった。知らなかったのか?」
「……貴方達の状況を監視し村へ先回りをさせたからです。森でその存在を知らなければそんなことはできない。暗殺と私の関連性を疑わせたくなったから……」
「なぜ森へ兵を出していた?」
「ああ……それは」
彼の小さな目がぎょろっと動いた。
「魔人を追っていたのです」
「魔人?」
「ですが結局見間違いだったということですなぁ。いつの間にか魔人は貴方とあの少女にすり替わってしまった」
魔人。
本で読んだ知識はある。人を脅かす存在だと書かれていた。
だがどんな姿をしているのか、おれには想像がつかなかった。
「分かった。それじゃあこの件は終わりだ。心配しないでいい。おれは貴方とは二度と関わらない。だから貴方もおれに二度と関わろうとするな。そうすれば貴方は無事に今後の人生を過ごすことができる」
すっと腕を離した。ナレードは動かず天井を見つめていた。口を半開きにして、何か呟いているように見えた。
ベッドを降りる。
レビアに目で合図をして一緒に部屋を出た。
廊下には誰もいないようだった。
「ルナが待っている。急ごう」
レビアは何か言いたそうにしていたが「はい」と答えた。
廊下を歩き、階段を下る。
途中で兵を何人か見かけたが、皆気がつかぬふりをするか、膝をつくかどちらかだった。
玄関から外へ出る。
来た時と同じように外から回り込むようにしてルナの待つ部屋の窓へ向かう。
「クロ様……」
レビアの声が聞こえおれは振り返った。
「わたし、まだ信じられません」
レビアは俯いたまま続けた。
「本当、なんですよね。これ、夢じゃないですよね」
「ああ。見ろ」
とおれは手を開いてレビアに見せた。
そこには忌まわしき指輪がはめられている。
「きっとこの指輪と刻印を消す方法もあるはずさ。一緒に探しに行こう」
「まだ信じられません。いいんでしょうか。こんなわたしが……。夢みたい」
頬に涙がつたったのが見えた。
「夢じゃないよ」
頭をぽんぽんと叩いた。
レビアはおれの胸に飛び込んできた。
胸の中で涙を流した。ありがとうと言いながら泣いていた。
今日で二度目の涙。
でもその涙の意味は、きっと少し違っていた。
窓をコンコンと叩くとルナが顔を出した。
「待たせたな。行こう」
おれたちのバックパックとレビアの上着を受け取る。それからルナは素早く窓から脱出した。
「どこに行くの?」
「とりあえず敷地の外に出てから考えよう」
三人で門へ向かう。
おれはフードをかぶらない。門兵が見えてきた。彼らはすでにおれの存在に気付いているようだ。
彼らに近づき「門を開けろ」と一言伝えた。
すると見るからに混乱していたが、すぐに彼らは開門した。
門を出て少し歩いたところでおれは振り返った。
追ってくる様子は感じられない。
大きくため息をついた。
そろそろ安心していいかもしれない。うまくいったのだ。
「ねえ。どういうこと?」
とルナが言った。
「おれがどこかの国から来た先導士だと嘘をついて出てきたんだ」
「それは何となく分かったけど……。でもなんでこの子が一緒なのよ?」
ルナがレビアの方に近づいて顔を覗き込んだ。
レビアは顔を背けるようにした。
「な、なによ? なんで顔を逸らすの?」
「ルナ様。おやめください。顔を見られると恥ずかしいのです」
目が腫れてるからかな。
「ルナ様。ルナ様だって。……えへ。えへへ」
ルナは変な笑い方をしていた。
「もう使用人とゲストじゃないんだ。ルナ様なんてやめろよ」
「でも……なんとお呼びしてよいのか分かりません」
「じゃあさ、お嬢様なんてどうかしら?」
「かしこまりました。お嬢様」
「…………ぇへへ」
ぼーっと宙を見つめてにやにやしていた。
何をしているんだおまえは。
「ルナでいいだろ。おれもクロ様なんてくすぐったいのはいやだ。呼び捨てでいい」
「……クロ様がそういうのでしたら」
「うぅ~……」
ルナは何か唸っていた。
「よし! とりあえず作戦会議だ。おれたちは今後どうするべきか考えよう」
少し歩いたところでちょうど良さそうな場所を見つけた。
切り株が並んでいる。あそこなら座れそうだ。
三人で向き合うように座る。
レビアがバックパックから紙を取り出して、中央の切り株の上に広げた。
それから砂時計に似た形のものを近くに置く。レビアが触れるとほんのりと明るくなった。
レビアが広げた紙は地図だった。
「クロ様――いえ、クロはオルハルト家での出来事を考えると、どこかの国に正式に先導士として迎え入れられたほうがよいかと思います。彼はクロを偽物だとして暗殺しようと企てるかもしれません。同じくわたしも狙われて当然の存在です。どこかの国の保護下にあれば手を出しにくいでしょう」
「暗殺……? クロ、あんた何したのよ」
「まあ、色々?」
あのバイオレンスな出来事を思い出して身震いした。
レビアを救うためだったとは言え、よくもあんなことを……。おれって結構狂暴なやつだったのかも。
レビアが地図の一点を指さした。
三人で頭を突き合わせるようにして地図を見る。
「オルハルトと繋がりのない国で、ここから一番近いのはここです」
エーデルランド領。
地図にそう書かれている。
「エーデルランドの領主様は聡明なお方だと聞いています。きっと助けになってくれるでしょう」
「なあ、今さらの質問で悪いんだけど領主とか領ってのはなんなんだ? 国と違うのか?」
「……クロはそれを知らずにあれをやったんですか?」
調べる時間なかったしなぁ。
だいたいのニュアンスは理解していたけど。
「あれって何よ? わたしの知らないうちに何が?」
ルナは一人で悩んでいた。
「普通、国と言えば各領土のことを指します。領主とはその地を治める指導者ですね。ですが国家というものも存在しています。このオルハルト領も本来その一国の一領土に過ぎないのです。今はほぼ機能していないですが……」
「へえ……」
あまり詳しく聞いていると時間がなくなってしまいそうだ。
今はいいだろう。
「それじゃあおれとレビアはエーデルランド領を目指すとしよう。ルナはどうする?」
「どうするって?」
「おまえはたぶん、ナレードからはそこまで意識されていない。もしかしたらおれたちと一緒にいる方が危険かもしれないぞ」
ルナは眉間にしわを寄せた。
「い、い、い……」
「い?」
「一緒に行くに決まってるでしょ!」
「いでえぇぇ!」
首を噛まれた。
「何なのよ、もう」
「こっちの台詞だ!」
ふんだ、と言ってルナはそっぽを向いてしまった。よく分からないが怒らせてしまったみたいだ。
「と、とりあえずルナも一緒にエーデルランド領に向かおう。それでいいよな」
「……一緒に来てほしい?」
なんなんだ……。
だがおれは空気が読める男。
だと思う。たぶん。
「一緒に来てくれ」
「もう。クロはしょうがないなあ。じゃあ一緒に行ってあげるわ」
彼女は腕組をして満足げに笑って見せた。
ルナってこういうやつだったんだな。
「クロは何人かの兵士や使用人に姿を見られています。やはり街などの人が多いところを通っていくのは危険です。このルートでいきましょう。食料や水などはぎりぎり大丈夫かと思います」
レビアが地図を細い指でなぞるようにした。
地図を見ただけではどんな道なのかは分からなかった。いや、道すらないのかもしれない。
「今日はもう遅いです。もう少し見えにくい場所に行ってからそこでテントを張り休むことにしましょう」
エーデルランド領か。
どんなところなんだろうか。とりあえずまた目標ができた。
問題はまだ山積みだが、ようやく一歩を踏み出せたような気がした。