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第15話 誓約の刻印

「すみません、もう大丈夫です」


 レビアがおれの胸を離れる。

 扉の方へ歩いていく音がして、ぱっと明かりがついた。


 レビアのまぶたが腫れているように見えた。

 居心地を悪そうにして、じっと床を見つめている。表情は乏しいままだったが、あの絶望に染まった狂気の瞳は消えていた。


「レビア。念のため聞くがおれを殺せと命じたのはナレードさんなんだな」

「……はい」


 殺そうとし、保護して、また殺そうとする。何が目的なんだ。

 気にはなるが、まずはレビアの問題を聞く方が先だと考えた。


「命令を聞かなくてはいけない理由があるのか?」


 小さな声で「はい」と言った。


「だったらおれと一緒に逃げよう。ルナも連れて遠くへ行くんだ」


 レビアは首を横へ振った。


「できません」

「何故だ?」


 レビアがこちらへ歩いてくる。

 すぐ側まで来ると、胸元のボタンを一つ外した。


「な、何を……?」

「見てください」


 レビアはメイド服の襟元を両手で広げ、前屈みになった。反射的に目を逸らそうとした時、鎖骨の少し下の辺りに何かが見えた。血管が透けて見えるほど白い肌に、模様のようなものが黒く描かれている。


 なんだ、これは。

 文字のように見える。そう認識した時、おれはその文字の意味を不思議と理解した。


 これは――。


 レビアはボタンを掛けながら言った。


「誓約の刻印です。魔法の一種と考えて構いません。ナレード様の意志一つでわたしの体をいつでも破壊されます。わたしが消えたことを知れば、わたしはどこに隠れていても殺されてしまいます」


 言葉を失った。

 これがレビアを縛りつけていたのか。思わず手を握りしめる。頭の中が熱くなった。


「どうやったら消せるんだ?」


 レビアはうつむいた。


「消すことはできません」

「そんな……。ナレードさん――いや、ナレードにも解除できないのか?」

「はい」


 奈落に突き落とされた気がした。

 なら一生レビアはナレードに命を握られているのか?

 レビアを使えと言ったあの男に?


「どうかそんな顔をしないでください。わたしは大丈夫です。もう覚悟はできています。ルナ様と一緒にそこの窓から出て行ってください。この窓が解除されていることをナレード様はまだ知りません。今日の夜のうちなら、きっと出ていけると思います」


 何を言ってるんだ。


「駄目に決まっているだろう」

「わたしは、いいんです。優しくしてくれた、泣かせてくれた、甘えさせてもらえた。その思い出があれば、もう十分です」


 そんなことで満足させてたまるか。


 助けたい。

 何かないのか。おれにできること。考えろ。おれに何ができる。


 ふと考えが浮かぶ。


「その魔法は誰にでも使えるのか? 例えばおれやレビアでも。まあおれはマナを感じないから難しいだろうけど」

「わたしにはできません。それにクロ様がマナを扱えたとしても、やはり使えないと思います」


 一番簡単なのは条件を対等にすることだ。つまりナレードに同じ魔法をかければいい。

 そう思ったのだが、難しいようだ。


「わたしはおろかスフィラ全体で見ても扱える者はごく僅かだと言われています。これは本来遥か昔に使用を禁じられた呪術ですから。存在そのものすら知られていません」


 考えてみればこんな邪悪で物騒な魔法が誰にでも使えたら世界は崩壊してしまうだろう。掛けてしまえば命を握ることができる。解除も不可能。人を一生縛りつけ従わせる――。


 一生縛りつける、か。


「なあ、ナレードが死んだら魔法はどうなるんだ?」


 レビアの眉がぴくりと動いた。


「ナレード様を殺せばわたしも死にます」


 いや、寿命で死ぬことを考えて言ったんだけどな。いやそれより。

 レビアを見る。命を握られ、道具として使われ、本来の寿命も生きられずナレードとともに死ぬ。この少女はどれだけのものを背負っていたのだろうか。


 厄介だ。

 完全に支配されている。


 あれ。


「おれにはその魔法は掛けられていないのか?」


 襟元から自分の身体を見る。殺そうとしたくらいなら、先導士を支配しようとは思わなかったのか?

 背中を見てくれと言おうとした時「大丈夫ですよ」とレビアが言った。


「ナレード様自身はこの禁術を掛けられません。わたしの刻印に対する所有権、つまり術を発動させる権限だけがあるのです」

「所有権?」

「はい。この術はナレード様が身につけている指輪を介して発動されます。あの指輪の持ち主こそがこの禁術の所有者なのです」


 あの指輪か。

 やけに若いデザインで歳に合わないと思った。印象に残っている。


「なら指輪を奪えばいいんだな?」

「それも……できないかと思います。あの指輪はある種の呪いのようなものです。物理的な力では外せません。仮に指を切り落としたとしても指輪は外れず所有権は消えません。指輪自体を無理に破壊しようとすれば、同時にわたしも死ぬことになります」

「どうやったら外れるんだ?」

「所有権を譲渡するのです」


 譲渡……。


「……具体的にどういう風にするんだ?」

「ナレード様、わたし、新しい所有者となる第三者が同じ場所にいる必要があります。例えばこの部屋に三人がいれば問題ないでしょう。それからナレード様が譲渡する意思を持って言葉にします。すると指輪は外れて新しい所有者の元へ移動します」

「第三者……。誰でもいいのか? 例えばおれでも」

「指輪自体にマナが封じられていますから、マナを感じないクロ様でも問題はないはずです。わたしの調べた限りでは、生まれて間もない赤ん坊に対して譲渡された前例もありますから」


 なんだ。案外シンプルじゃないか。

 やはり指輪を奪えばいい。


「これから質問をする。答えてくれるか?」


 レビアは少し間を置いてから「はい」と答えた。


「おまえは最初におれを殺そうとしたとき、何を命じられたんだ?」


 レビアは眉を寄せて答えた。


「偽物なら殺せ。本物なら致命傷を与えろと命じられました。想像になってしまいますが致命傷を与えろというのはクロ様を保護するきっかけを作りたかったのだと思います。先導士に恩を売るというのは国として大きなことですから」


 偽物、か。

 そんな存在もあるのか。


「レビアが魔石を最初に見せたのはそれが理由なんだな」

「はい」

「なぜおまえなんだ? 先導士は異能を持っている特別な人間なんだろ? 誰でもというわけにはいかないと思える」

「ナレード様のお考えは分かりません。ですが客観的に見て、この屋敷に先導士に致命傷を与えられる人間は、倫理的にも能力的にもわたししかいないと思います」

「おまえがそういう存在だというのはこの屋敷にいる人間はみんな知っているのか?」


 レビアは否定する。


「多分ナレード様だけかと思います」

「なるほど。じゃあ次の質問。二度目に――さっきだけど、おれを殺せと命じられたのは何故だか分かるか?」


 レビアは分からないですがと前置きしてから、自分の考えを語った。


「偽物だとお思いになったのかもしれません。ナレード様はクロ様が魔石にマナを込めるのを意図的に拒否したように思ったのではないでしょうか」


 まあ、そうだろうな。

 それ以外に理由は見当たらない。


 さらに質問を続ける。


 術の発動にはある程度の集中力と時間が必要なこと。言葉、あるいは文字にする必要があること。ナレードは最上階の自室にいること。レビアの知っている限りでは、毎晩一人で眠っていること。夜だが最小限の護衛の人間が屋敷内にいること。 玄関にも兵がいること。外塀の門番は夜間でも必ずいること――。


 おれはふっと笑ってから


「よし。やっぱりここから逃げるぞ。だいたい考えがまとまった」


 と言った。


 レビアはきょとんとした顔でこちらを見ている。

 それから不安そうに顔を伏せた。


「大丈夫。うまくいくさ」


 そういったが彼女の表情は変わらなかった。


「あの……」


 レビアは口ごもったように言った。


「どうしてわたしの為にそこまで考えてくださるのですか?」


 どうしてって言われてもな。


「さっき言っただろ。そう思ったからだよ」

「わたしは貴方を殺そうとしていたのですよ? 傷つけて、騙していました」

「レビアの意思じゃない」

「でも……」


 彼女の表情は変わらない。


「じゃあこうしよう。ここから無事に逃げることができたら、その時はおれとデートをしてくれ。それがおれの目的だ」


 レビアは伏せていた目を上げおれを見つめた。

 一瞬目が合うと、さっとまた俯いた。


「……デートですか?」

「ああ、夜のすてきなデート(、、、、、、、、、)に行こう」


 レビアははっとして顔をして、


「見たんですね……」と呟いた。


 少しだけ耳が赤くなっているように見える。

 眉を寄せうろうろと目線を彷徨わせていた。


「クロ様はいじわるです」


 彼女には表情があって、心があった。

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