第14話 心の声
レビアが部屋を出たあと、本を読む気にもなれず、ベッドに仰向けになり天井を見ながら考えをまとめていた。
しばらくすれば戻ってくるだろうと思っていたレビアは、未だ帰って来ない。
ナレードさんと会話をしてから、おれは自分がこの屋敷に不審を感じていたことに気がついてしまった。
きっかけはレビアの扱いに対する嫌悪感だったが、それを呼び水にして今までの様々なことが頭に浮かんだ。
領主というのがどれくらいの立場の存在なのか分からないが、当然、好意だけでおれを保護したわけではないと理解はしている。政治的な意味がそこにはあるのだと思う。だからおれに話せないこともあるかもしれない。例えばルナとの出会いに触れなかったこと。この一画にロックが掛かっていたこと。レビアのこと。
それは分かる。心情は別にして理解できる。
だがそれを差し置いても。この心にかかった靄のようなものはなんだろうか。
まだ何か見落としている気がする。この屋敷に来てから重大な何かを忘れてしまっている気がするのだ。不審を感じずにはいられない何かを。
カーテンを開き窓を開けた。
冷えた夜の空気が入り込んでくる。
壁にもたれるようにしてからテーブルへ目を向けた。
積み重なった本の中に、レビアの読んでいた本がある。いつそうしたのか、タイトルが見えないよう上手く隠してあるようだった。
レビアはいつ帰ってくるんだろうか、と考えたその時。
コン、コンと、小さなノックの音が部屋に鳴った。
窓を閉めてから扉へ目をやった。
「――レビアです」
扉越しのくぐもった声がした。
何故おれは緊張しているのだろう。今まで何回も同じ場面があっただろうに。窓辺に立ったまま「入っていいぞ」と伝える。扉が開く。
だがレビアは部屋の外で待っているようだった。
何かあったのだろうか。不安が胸に広がるのを感じた。
「どうした?」
そう言うと、レビアはゆっくりと部屋へ入ってきた。
おれはぎょっとして目を見開き、言葉を失った。
まるで仮面を被ったような感情のない顔がべったりとそこに張り付いていた。
その淀んだようにさえ見える緑色の瞳に狂気を感じずにはいられなかった。
――ああ。そうだったのか。
「長時間離れてしまい申し訳ありませんでした。明かりを消しますので、どうぞ今日はおやすみください」
レビアがおれの返事を待たず、壁に手をかざした。
ふっと部屋の明かりが消える。暗闇に包まれる。レビアは何も言わなかった。代わりに彼女がこちらに近づく気配を感じた。暗闇の中で何かが動いたのがかろうじて分かった。
――そうだったんだな。レビア。
「出ていかないのか?」
「貴方が眠るまで、傍にいてもいいですか?」
影が動いている。
レビアがゆっくりと近づいてくるのが分かる。
「なら明かりをつけろ。まだ眠るつもりはない」
「顔を見られたくないのです」
――おれは決心する。
「レビア。おれを殺すのか」
彼女の狂気を宿した碧眼を見た時、おれは気がついてしまった。
「よく分かりましたね」
冷たい声。
それは仮面の女の声だった。レビアの声よりもずっと低いまるで別人のような声。
仮面の女は、レビアだった。
思えばずっと違和感があった。初めてレビアを見た時から奇妙な感覚があった。
あれは、どこかで見たことがあるような気がしていたんだ。記憶がないせいか、おれはその答えに気がつかなかった。
「安心してください。苦しまないよう一瞬で殺してあげます」
でも何故だろう。
逃げることも戦うこともしたくない。何故彼女がおれを殺そうとしているのかさえ気にならない。
粘り気のある熱い何かが込み上げてくる。
「それがおまえの出した答えなのか?」
「答え? 何を言っているんですか?」
ああ、この気持ちはなんだろう。
怒っている。悲しんでもいる。悔しさもある。様々な感情が綯交ぜになり、それはまるで、爆発のようにおれの全身を駆け巡っている。
「おまえが行きたかった場所は、おまえが出した結論はこれなのか!? 答えろ! レビア!」
闇の中、レビアがかすかに動いたように見えた。
「わたしに行きたい場所など、あるわけがなかったのです。だってわたしは人形なんですから」
それは仮面の女ではなく、レビアの声だった。
彼女の声はひどく震えていた。
「だからわたしは貴方を何も考えず殺します。どうしたんですか。その窓から逃げないのですか。今なら逃げれるかもしれませんよ。また体を裂かれたいのですか。死ぬのが怖くないのですか」
「なら今すぐ殺せばいい。何も言わず殺せばいい。何故殺さない? もしかしたら明かりを消す必要もなかったかもしれない。あるいはおれが眠るまで待っててもよかった。ゆっくり喋りながら近づく必要なんてなかったんだ。それはなぜだ? それはおまえの心に――躊躇があるからだ」
影が動いた。
「やめて、ください。わたしに心なんてありません。今まで命令ならどんなこともしてきました。これからもそうなんです! 心がないから、道具だから。平気で人を殺せるんです!」
そうやって、ずっと自分の心を抑えてきたのか、おまえは。
「やっと断言できる。レビア、おまえは道具なんかじゃない。心のある人間だ。自分でも分かってるだろ」
「いやです。やめてください。何度言えば――」
おれはレビアを強く抱きしめていた。
彼女の泣きそうな声を聞いて、そうしなければいけないと思った。
「離してください。殺しますよ」
そう言っているのに、彼女は逃れようとしない。
「もう嘘をつくのはやめろ」
「嘘じゃありません! わたしは何も考えないし、何も感じない!」
なにが彼女をそうさせているのか分からない。
記憶も知識もないおれには、もしかしたら理解ができないことなのかもしれない。
だが確実に分かることが一つだけある。
「おれはおまえを助けたいと、そう心から思っている」
レビアがはっと息を呑んだのが聞こえた。
「レビアはどうしたい」
一瞬の静寂があった。
「もう優しくしないでください。わたしを、惑わせないでください。期待、したくありません」
おれは決意する。
彼女の心を動かすには、あの言葉を使うしかない。
「レビア、命令する。おれに本心を言え」
「命令、ですか」
「そうだ」
「…………命令」
「あぁ」
「……命令なら、仕方ありません、よね」
「そうだ、命令だ」
レビアがおれの胸元をぎゅっと掴んだのが分かった。
そして――。
「わたしは貴方を、殺したくありません」
消え入りそうな声で、そうレビアは呟いた。
レビアは静かに泣いていた。
すすり泣く音が暗い部屋に響いていた。