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第五章(終)

 吉満邸の八重桜が、今年も満開の時期を迎えた。

 春の温かな風に流されて、薄桃色の花弁が青空に舞う。吉満邸が一番美しいのは、まさしくこの時期である。

 そんな吉満邸の一角には、ようやく婚礼衣装の着付けが終わり、ふっと息を吐いている紅緒がいた。

 桜花町界隈に古くから伝わる、白い色を基調とした着物である。裾は末広がりに長く、ところどころに赤い糸が施されている。どうやっても、自分はこの『赤い糸』から逃れられることができないのだ。ついつい紅緒は苦笑してしまう。

「紅緒。糸司さんがお見えになりましたが」

 美子がそっと声をかけた。「通しますか?」

「私が行くわ」

 しかし、この衣装は半端なく重たい。向きを変えようと四苦八苦していると、待ちくたびれたのか糸司が自ら出向いてくれた。

 彼もまた、伝統に則った正装に身を包んでいる。吉満家の家紋が入った黒の袴に、代々婚礼を行う際に町長から頂戴するという扇。元々端正な顔立ちをしている糸司は、なんだかんだ言ってこういうきちんとした格好が一番似合うのだ。

「あと少しでお披露目だけれど……ああ」

 そこまで言いかけ、糸司は口を閉ざした。

「なにか?」

「いや、あなたがあまりに綺麗だから」

 そしてにこりと微笑んだ。こんな気障な台詞も全く嫌味に聞こえないのが、また糸司の不思議なところでもある。紅緒も思わずふふ、と笑みを洩らしてしまう。

「――ねぇ、糸司さん」

 そして、ぽつりと問いかけた。彼女の目線の先には、あの八重桜が舞っている。

 後から直接彼に聞かされた話だが、糸司と紅緒が初めて出会った時――幼少時代に、既に糸司は紅緒に一目惚れしていたのだとか。そして、この縁談それ自体糸司自身があれこれ手を回していたということも。「騙していたみたいで」と糸司は申し訳なさそうにしていたが、もうそれは過ぎた話だ。

 もうじき、周吉――藤原志斎しさい周吉と、梓がやってくる。結局彼らも、周吉が藤原家に婿に入ることで決着がついたのだ。その知らせが紅緒と糸司のもとにやってきたのは、既に周吉が志斎という名を藤原家当主に頂戴してからのことだった。すべては、彼ら自身が決めたこと。糸司は、紅緒は、踏みとどまりかけた彼らの背中をほんの少しだけ押してやったまで。

 だからこそ思うのだ。

 もしかしたら、ほんの少しのすれ違いで彼と出会うことはなかったのかもしれない。天命とは、それほどにも変わりやすいもの。

 運命の『赤い糸』ですら、時折混線もするし途切れたりもする。意図的に糸司が切断することもあるけれど。それくらいに変化しやすいものだ。

 今、自分と彼がこうして在ることができるのは、そんな「ちょっと」の廻り合わせかもしれない、と。

 そう考えたとき、ふと、糸司の左手の小指に何かが見えた。

 ぼんやりとしてはいるけれど、まさしく、幾重にも重なる赤い糸。淡い光を放つそれは、桜吹雪の中で綺麗な流線を描いている。そしてその先は――

「紅緒さん?」

 糸司がきょとんとした様子で首を傾げる。彼は、自分の運命を視ることができない。だから、これは秘密だ。一生胸の内に留めておくべき、秘密。

 ――ちゃんと、私たちの間にも『赤い糸』があるのよ。

 これからも、切れたり縺れたりしないよう、守り続けたい。

 紅緒は密かにそんなことを考えながら、糸司に微笑みかけた。

「桜、綺麗ね」


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