159話 主神が消えた日(ウェンズデイ)
あれから数日経った水曜日。
シィの地下研究室。
「水曜日はオーディンが語源となっているのに、既に主神はいない。何とも皮肉なものね」
右手の自作くず鉄義手がギィギィとうるさい。
手としての機能性は魔力で操作しているので問題は無いが、快適性やメンテナンス性は今後の課題だ。
そう考えながら、ため息を吐く一人の少女──。
呪われし魔術師シィ=ルヴァーは、役目を果たしたこの場所を引き払って、リバーサイド=リングと同居でもしようかと荷物整理をしている。
そこでふと思い出した。
この部屋を録画していた映像に映っていた二人の人物を。
一人はリバーサイド=リング。
どうやらシィの寝言やら何やらで、ここのセキュリティを突破していたようだ。
そして、予言を見てその死を知っていた。
それを知らない振りをして、何食わぬ顔でタイミング良く現れたりしていたという。
これは既にお説教済み。
もう一人は尾頭映司。
シィの立体映像を下から覗いたり、それはもう、いつものフリーダムさだった。
それと同時に、巨大転移陣を開くことができる時間まで暇だったのか、調理レシピを残しておいたようだ。
自ら、味覚を生贄に捧げる覚悟が決まっていたのだろう。
そして、死の可能性も考えて。
「置かれてたレシピ、無くなってるわね。後日この場所の開け方を教えたのは一人だけ……。まぁ、彼女のために書かれたものだからいっか」
荷物整理を続けようとしたその時、尾頭映司の名前が書かれた封筒を見つけた。
「ん? レシピは紙切れに書いてあったし、これは別の──オタル宛ての手紙?」
仕方なく、その宛名へ届けてやる事にした。
* * * * * * * *
機械の国アダイベルグ。
中央コントロールセンターのデスク。
「はぁ……映司様……」
ため息交じりに愛しい人の名を呟く機械の少女──オタル。
その身体は見事に修復されていた。
「どうして、あんな事になってしまったのでしょうか……」
「オタル、そう気を落とすな。出会いもあれば別れもあるものだぞ」
哀れそうな表情で慰める巨人ベルグ。
「ああ、映司様……」
「心ここにあらず、か」
ベルグは相手にされなかったので、144分の1スケールの赤い対巨人兵器プラモデルを組み立て始めた。
別の星で邪龍用にカスタマイズされた100分の1スケールの炎呪魔導装甲の箱は横に積み上げている。
その時、エントランスからの通話音声が入ってきた。
「あ、どうも。これ繋がってますよね? オタル~、尾頭映司が残した手紙があったから持ってきたわよ~」
そのシィが言った一つのキーワードで、オタルはデスクをバンッと叩きながら急に立ち上がった。
「映司様! 映司様の手紙ですか!?」
「……我の小さいパーツが風圧で飛んで行方不明に」
一気にここまでのセキュリティを解除するように伝えるオタル。
小さなY字型の盾パーツを探すベルグ。
「ベルグ! 邪魔です! なんでこんな所でプラモ作ってるんですか!」
「えぇ……我はずっとこうやってたんだが」
正に父を叱る娘の図であった。
それを、開いたドアから目撃。
シィは呆れ果てていた。
「これが霧の巨人の王の元側近、巫女の予言でも語られた、神々より高い技術を持つ山の巨人だとは信じられないわね……」
「ああ、これの事はお構いなく」
「これ!? 我これ!?」
落ち込むベルグ。
それを無視してオタルは、シィに詰め寄った。
「それで、映司様からの手紙というのは?」
「わたしの地下研究室に残してあって、書いた時期は様々な覚悟を決めた後みたい」
「そんな大切な手紙が……ありがとうございます」
「いいって、エーデルランドで恋のアドバイスくれたりしたお返しよ」
封筒を受け取ったオタルは、急ぎながらも折り目一つ付けないように丁寧に手紙を取り出した。
そして、内容に目を通した。
「映司様……こんなのって……こんなのって……」
オタルは思い出していた。映司が、何か言おうとしつつも躊躇していた様子があった事を。
シィもその手紙を覗き込む。
「これ……エーデルランドの管理者権限をオタルに譲るって……!?」
* * * * * * * *
少女は夢を見ていた。
何年にも及ぶ長い夢。
楽しい夢だったかも知れない。
険しい夢だったかも知れない。
でも、ずっと一緒に居てくれた、鏡合わせの彼女がいたから。
希望を持たせてくれたみんながいたから。
──今は思い出せない夢、それはきっと悪くない、奇跡だったのだろう。
「藍綬!? 藍綬が起きた、起きたよ!」
病院の一室。
夢から覚めた少女──藍綬。
それを抱き締める風璃。
「あたしの事……誰だかわかる……?」
風璃は、不安げに問い掛ける。
人間になった藍綬は、記憶がどれくらい保たれているのか検討もつかないらしいからだ。
少なくとも戦乙女になった後の記憶は消失しているらしい。
だから、あなたは誰? と返答される事も覚悟していた。
覚悟はしていたのだが──。
「ええと、誰だろう」
「そんな……」
風璃は全身から力が抜けてしまった。
魂を手放してしまったかのように。
「もしかして、ちょっと背が伸びてるけど風璃……?」
「藍綬!」
「ちょ、ちょっと待って。私、状況が分からない……。確か──」
再び強く、もう離さないとばかりに抱き締める風璃。
藍綬は死の直前、星に願いを託したところからの記憶を失っていた。
ランドグリーズに助けられ、精神体となった後から数年間の記憶を。
「でも、ぼんやりと横にもう一人の自分と、最後に逞しい片腕が見えて……。それに名前や姿が曖昧だけど、色々な人と出会った……ような」
「その話はきっといつかするね。……でも、良かった。本当に良かった」
「もう、大げさだなぁ風璃は」
そう言いつつ、藍綬もそっと抱き締め返した。
状況はまだ把握できていないが、親友に心配されるというのは悪い気はしない。
「あ、そういえば」
藍綬は、枕元に置かれていたクマのぬいぐるみを見て思い出した。
もう一人の大切な人を。
「映司さんは……?」
「映司お兄ちゃんは、その、ええと……」
風璃は口ごもってしまった。
真実は今の藍綬には言えないし、かといって嘘を吐きたくもない。
「今は遠くに行っているの。ちょっと頑張りすぎたから、お休みも必要かなって……」
「そうなんだ。……映司さん、早く会いたいなぁ」
その純粋な声に、風璃は罪悪感を覚えた。
* * * * * * * *
異世界序列第二位、神の国アースガルズ。
女神フレイヤの屋敷──その広間。
「うん、良いですよ。でも条件次第です! 風璃も言ってました……交渉はふんだくれるだけ、ふんだくれって!」
そこに一人立つ法衣の少女──フリン。
誰もいない空間に向かって話しかけていた。
「次はクロノスのところにいくですか。またでーす」
「何をやってるんだい、フリン?」
それを見て、不思議そうに問い掛けるフレイヤ。
ユグドラシルの気配もないし、どこかと通話という感じでも無かった。
「何か白いヒトが、いつか身体を貸して欲しいっていってきたから、精一杯ぼったくってやろうと奮闘してましたです!」
「白い……ヒト?」
「はいです。おかあさまに少しだけ雰囲気が似ていたです」
フレイヤは察した。
それは白き神の依代に選ばれたのだと。
ヴィーザルの場合は心がねじ曲がって黒き神の力を悪用してしまったが、エーデルランドで学んできたフリンなら──。
「そうかい。その御方はきっとどんな願いも聞いてくれる。存分にやってやりな」
「でも、お願いなんて思いつかないので、大人になるまで保留です。映司なら……映司ならどうしたでしょうか」
「大丈夫、四人目の主神から既に大切なモノを受け取ったフリンの判断なら、ね」
フリンは首をかしげた。
「大切なモノです?」
「白き神が最も好むモノ──愛さ」
* * * * * * * *
地球。
山の麓の街。
「エイジ……行ってくる。だから、ずっと見守っていて……」
そこの洋菓子屋の前、緊張した面持ちの帽子をかぶった少女。
手に持った、レシピが書かれた紙切れに話しかけていた。
覚悟を決めた表情で、自動ドアを踏みしめて店内へ入っていく。
「いらっしゃいませ」
店員に声をかけられ、ビクッとしてしまう。
見覚えがあったのだ。
数年前と変わらない顔。
たぶんずっとここで働いているのだろう。
罪悪感と共に、これからのとてつもない行動を一人でするという、なんとも言えない気持ちが鼓動を早める。
まるで叱られるのが分かっている子供のように。
自分に変な所が無いよう気にしながらレジへ向かい、カウンターを兼ねたガラス戸の前へ。
視線を下──そして箱の中にアレがいくつも入っているセットを指差す。
「こ、これ一つください、な」
「すみませんお客様。品名をお願い致します」
どうやら向こう側からでは、指差している品物が良く見えないようだ。
「す、すみません。えと……『特製カスタードプリン乙女の詰め合わせセット』を一つ……ください」
「はい、少々お待ちください」
少女はホッとするも、まだ本題に入っていない事を思い出した。
気合いを入れて、言葉を発する。
「あ、あの! 実は数年前にこの店でおつりを多くもらってしまって、その時の分をお返ししたいんです!」
「え? 数年前ですか……?」
「は、はい! 今までお詫びに来られなくてごめんなさい!」
力みすぎて目をつぶってしまいながら、頭を下げた。
ハラハラしながら店員さんの顔を確認すると──。
「ふふ、ご丁寧にどうも。その歳でそんなに前だと、中学生とか?」
とても優しく微笑んでいた。
「ええと、あの……心身ともに未熟だったと思います。でも、大切な人に言われたんです。ちゃんと謝ってきなさいって……」
「良い人と出会いましたね」
「はい!」
その後、店員さんと当時の話を少しだけした。
妙に凜々しい血統書付きみたいなワンちゃんが店に入ってきて──と話題に出た時は再びビクリとしてしまった。
それから和やかに見送られ、店を後にした。
「……エイジ。ワタシ、一人でもちゃんとできたよ。偉いでしょ……」
少女の旅は終わらない。
大切な人が──終わりなんて見ずに、生きてる限りずっと旅は続くのだと教えてくれたのだから。
だからワタシも──。
「じゃあ、帰ろっか。フェリ」
「うん、エイジ」
少女は誓った。
この人と一緒に旅を続けていく。
そのためにテュールのルーンがくれた奇跡──。
ランドグリーズが命を賭けて用意した破壊の運命──。
エイジがずっと持っていた青い鳥が、終末の予言を撃ち砕いてくれたのだから。
いつものエイジらしい、とても馬鹿馬鹿しくも優しい──新たなラグナロク。
フェンリルが、オーディンを殺した事実を変えなかった結末。
キミとワタシの終わりなき旅。




