155話 軍神(テュール)
ランドグリーズの最後の絶対防御障壁は未だ、俺の周辺を覆っていた。
その隙に、死者の館を発動してアクセスした。
精神体として、扉の中に入って気が付いた。
神話世界の宮殿。
設置された高級そうな長テーブルには、死者達が座っていた。
その顔の一つ一つは覚えていなくても、俺のエーテルは覚えている。
この手で──三度目の巫女の予言と、エーデルランドの時間を巻き戻す前に殺してしまった人々。
実際には全員生きているのだが、確かに殺した。
今の俺には身体が無いはずなのに、動悸が早鐘のように鳴り響く。
気持ちの悪い汗が噴き出す。
罪の意識というやつだろうか。
いや、それもあるかもしれないが、視線だ。
殺戮神オーズを恨み、憎しみ、出来る事なら殺し返してやりたいという闇のような眼孔。
その昏い球体はいくつあるだろうか。
いつの間にか周辺は死者に囲まれていた。
掴まれる足首。
三度目の世界で圧死させたシィが、潰れた下半身を引きずりながら手を伸ばしていた。
殺した時の感触が蘇る。
また、崩れかかったスリュムが聞き取れない巨人の言語で、呪いの言葉を囁いている。
他にも死因が分かってしまう死者が多数──心臓の位置に穴を開けている者、身体を何度も蒸発させながら死の記憶を見続ける者。
グングニルとミョルニルで死亡したのだろう。
それらは黒い壁となって押し寄せ、光を遮り、生の意識を霞ませる。
決して見てはいけなかった、俺の罪の世界。
死者の館。
俺自身とも言える。
寒い、凍えてしまう。
心も何もかも砕けてしまう。
俺は──片膝をつきそうになる。
だが、気が付いた。
その中に一人だけ、光り輝く存在があった。
そこにいた、見知った少女。
長い黒髪、頭に羽根飾り、白銀と蒼の軽鎧──戦乙女『盾の破壊者』
俺は再会出来た事を喜び、話しかけようとした。
だけど、相手は機械のように無表情で、こう言ってきた。
「あなたは、だぁれ?」
何かの冗談だと思った。
俺の事を嫌いで、そうやって楽しんでいるのだと。
そうに違いない。
「俺は尾頭映司。お前の嫌いな、大嫌いな男だ」
だって、そうだろう。
助けたと思ったら、相手は全てを失っていたなんて。
なんで三度目の『巫女の予言』の藍綬は、死者の館を拒んだか。
何か助ける方法があるんだろう。と問いかけた時──。
藍綬は言った。
『ありますが、それは映司さんが使っちゃいけないし、私が私では無くなってしまいます』
その言葉を覚えてなかったわけではない。
でも、それならどうしてランドグリーズは、今回使えと言ったのか。
自分が助からないのに……、そんな自殺するような行動を。
俺は──力を付けた今なら、使って何か出来ると信じたはずなのに。
「承認致しました。貴方様は、最高神から正式に認められたオーディン。どうぞ、御命令を御主人様。私は──この死者の館を管理する戦乙女です」
ランドグリーズのやんちゃな感じでも無く、ただの無感情な言葉。
「なぁ、ランドグリーズ。冗談だよな?」
「貴方様の知っているランドグリーズは再構成されて、この死者の館の管理者になりました」
「そうか、それなら……これを使い終わったら元に戻るんだよな?」
「いいえ。生贄に捧げられた『大切な物』は一生、管理のためだけに全てを機械的にこなすのみです。非使用時にリソースが空くというのであれば、それは肯定です」
何を言っているのか分からない、分かりたくない。
「ランドグリーズは……ランドグリーズは俺が大嫌いなんだろう……。なら、どうして自分を犠牲にするような──」
「生前のランドグリーズの記憶によれば、そうは思っていなかったようです」
「で、でも出会った時から気に入らなかったって……」
機械的な口調で語るランドグリーズ。
「神々に裏切られ、テュール以外の家族を殺されて、瀕死のエーテル体となって彷徨っていた私は、地球で一つの強い願いを感じ取りました」
「覚えていないけど、藍綬を助けたいと願ったという俺の……?」
「そうです。最初は、ただの餌として契約を交わしたつもりでした。ですが、藍綬とずっと一緒にいたために、情が移ってしまったようです」
餌、か。
確かに元々は神様であったランドグリーズと、ただの人間の俺じゃな。
そのくらいの認識で当然かもしれない。
「藍綬の願いの一つである家族になりたい、というのにも影響されて、自分の三分の一である貴方様を父親、藍綬を母親と錯覚していた、と」
アレは冗談では無く、本当にそう思っていてくれたのか。
「人格すらも藍綬に影響され、恨んでいたはずの世界も肯定するようになり、餌と思っていた貴方様に好意を抱くようになった」
「じゃあ、最後に大嫌いと言っていたのは……」
「それだけ憎まれて忘れて欲しかった。でも最後まで一緒にいたかった。──大好きだったという事です」
目の前の無表情ランドグリーズは、もうランドグリーズでは無いかも知れない──。
「やっぱりお前、良い奴だよな」
「あのランドグリーズは、私とは別の存在ですが」
でも──。
「いいや、彼女が遺してくれた大切なランドグリーズだ」
「そうですか」
感情を全く出さない戦乙女は──俺の気のせいかも知れないが、少しだけ嬉しそうに見えた。
「では、映司様。これより私は、死者の館の制御を行います。宜しいでしょうか?」
「ああ、頼む。でもその前に一つ」
「何でしょうか?」
「俺の呼び方は『映司』で。ランドグリーズは、自分の事を……『アタシ』で頼めるかな。もう慣れてしまったんだ」
俺に様なんて付けていたら、きっとあのランドグリーズは怒ってしまうから。
「はい、分かりました。──では、映司。これよりアタシは、死者の館の制御を行います」
……若干、敬語と不自然な組み合わせだ。
「それと、最後にランドグリーズと、藍綬からの贈り物が用意されています」
それは、とても白く藍く美しく、まるで夜空を裂くオーロラを集めたような──。
* * * * * * * *
「私の必殺の一撃が……あんな鎧の、盾の破壊者風情に防がれるだと!?」
映司が神槍で自らの胴体を貫き、死者の館にアクセスしている最中。
残されていたヴィーザルは憤慨していた。
「屈辱! そして映司は未だに守られている、更に屈辱……!!」
血が出るほどに歯を噛み締め、猛犬のように感情を露わにしている。
今すぐ何かにぶつけなければ、己を保てないという風に──。
「そうだ……ランドグリーズが最後に遺したらしい、アレを蹴り殺そう。」
殺意の視線の先には、長い黒髪の少女。
「あまりに脆弱で、あのエーテルが充満する障壁の中に入れると蒸発してしまう程なのだろう。殺しておけば──さぞ、映司は戻ってきた時に絶望してくれよう」
布一つ付けていない弱々しい姿で気を失っている。
「──あの生まれたばかりの藍綬とかいう人間を、な!」
全身神器となったヴィーザルは地を蹴り、一瞬で藍綬の頭上まで跳び、その星をも砕く威力でかかと落としを──。
「……貴様に問う! ヴィーザル!」
受け止める隻腕。
みしりと、嫌な音を響かせながらも動じない。
「どけぇ! テュール!」
「貴様に問う! これがお前の考える決闘か!」
激昂する白髭、白髪、隻腕、マントはためかせる鎧姿の偉丈夫──軍神テュール。
「もう決闘などどうでもいいわッ! 私は映司に勝ちたい! 絶望させたい! 愛したいんだ!」
「黒い意思にも信念有りと思っていたが、どうやら俺の未熟だったらしいな……! この墜ちたる軍神、いや、古き主神として再び人のために立とうでは無いか!」
「血迷ったか! 黒き加護を持つ私に勝てるはずないだろう!」
「んなぁこたぁ、承知の助よォ!」
背後に脆弱なものを守りながら、黒き加護を持つヴィーザルを相手にする。
それは如何に強力な存在である軍神でも自殺行為に等しい。
だが、その逆境すら感じさせない、荒々しく打ち砕くような口調。
「俺も疼いちまったのよォ! アイツら人間が必死に抗って抗って、強大な存在に立ち向かっていく姿を見てさァ!」
「この老害めが!」
「ああ、古くはオリュンポス十二神の軍神マルスとも呼ばれた血が言うのさ。ジジイなら、孫が最後に遺した者くらい守れってなァ!」
「古いんだよぉおおおお!」
ヴィーザルの鋭い蹴りは、骨を折り、肉を切り裂き、エーテルを吹き飛ばしていく。
動く事の出来ないテュールは、自らの肉体を盾とする。
その手にしている勝利の剣すら、ルーンの効力を黒き加護によって発揮することが出来ない。
「ほら、守れるもんなら守ってみろよ! テュール、いや、元主神さんが……なぁ!」
ヴィーザルは剣を取り出し、真上へ放り投げた。
刃先の落下予想地点は──藍綬。
「お前の片方の腕じゃ、自分と藍綬、両方は守れんだろうなぁ……!」
「そんな事は──無いッ!」
隻腕の軍神テュールは、片手を地に着け、跪くように藍綬の上に身体を差し出した。
孫が遺した藍綬と、己が信念だけを守るように。
「ははは! まるで肉のテーブルに、マントの布だな! そして──」
剣での防御を捨てたテュールへ、蹴りが何度も飛ぶ。
頭上からは刃を下にして落ちてくる剣。
「血はこぼれたワインかぁ?」
背中のマントを貫き、軍神を貫く剣。
噴き出す赤い液体。
「これくらいの量、軽い運動後の汗かと思った、ぞ……」
「いつものように強がりを!」
ヴィーザルは剣を引き抜き、それで何度も切りつける。
既にエーテルが尽きているテュールの身体は、もはや生身の人間と変わらなかった。
湖のように広がっていく血液。
「く、くく……ふ、ふはは!」
「軍神テュールよ、何がおかしい?」
「お前が滑稽だと思ってなヴィーザル! いや、なに、俺も滑稽だ!」
「なんだとォ……?」
いらつくように剣の手を止めず、さらに切りつけていく。
「だってそうだろう、こんな回りくどい事をしていて、結局は映司という男が答えを持っていたのだぞ」
「何を言っている」
「こうやって、こうやって向き合って守ってやればよかったんだ。すまんな幼浪! すまんな我が孫ランドグリーズ!」
「また映司かぁぁぁああああ!!」
ヴィーザルは、怒りをぶつけるために残っていたテュールの片腕に刃を突き立てる。
だが、その腕は何故か斬れない。
何度やっても断ち切れない。
フェンリルが軽々と噛み切っていた軍神の腕。
黒き加護のヴィーザルには切り離せなかった。
「こんなもの……かすり傷にもならんわ……」
ヴィーザルは諦めて、ひたすら身体を切りつけた。
もう血液が流れ出ない程に傷を付けた。
だが、その身体はそこから動かなかった。
大地に根ざす世界樹、それ以上にどっしりと構え──人を守っていた。
「何故だ! 何故どかない!」
何度も、何度も。
何を持ってしても変わらない。
立ち尽くすヴィーザルに、ただ傷だらけの遺体は、マントをなびかせて答えるだけだった。
「──良いぜ、ヴィーザル。代わりに教えてやるよ」
「ようやく戻ってきたか映司ィ……」
「それは自分を生贄に捧げても何かを守りたいという意思。いつの時代も主神が持つべきものだ」
光──そこに白と藍の光があった。




