153話 イケニエ(タイセツナモノ)
「おっと、その前に」
ヴィーザルは手で制止をかけた。
「テュールに確認です。この戦いは二人のものなので、手を出さないでくれませんか?」
「そのような事──」
俺はそれを黙って見て──いなかった。
こちらはこちらで、まだやる事があるからだ。
* * * * * * * *
「ミーミル、聞こえているか?」
エーテルを使って直接のやり取り。
意識だけ、以前来た事のあるミーミルの泉のほとりに飛んでいるような感覚。
「聞こえています、映司様」
静謐な空気、薄く霧煙る幻想の地。
そこに見えるのは一本の途方も無い大樹と、ミーミルの本来の姿。
ウェーブのかかった艶やかな長い黒髪を持つ、美しい女性の──生首。
「驚かれましたか? これが本来の姿。どうです、恐ろしいでしょう?」
「いや、綺麗な顔、髪だと思うよ」
俺は本心からそう思っていた。
「……映司様は、やはり何かが欠けていますね。半分くらい」
「そうか? 痛そうだったら見ていられないけど、ミーミルはミーミルだろ」
「まったく、あなた様から精神的に優位を取るにはどうしたらいいものか」
ミーミルの生首のすぐ後ろから、今度は首から上の無い身体が現れた。
そして生首を持ち上げて、頭部へ装着した。
「借り物の身体ですが、こちらの方が話しやすいでしょう。元の体型に一番似ているんですよ」
「俺はどちらでもいいけどな」
「……私の問題です」
薄手のドレス姿──とても大人びた身体を得た彼女に、目をそらして拗ねられてしまった。
何か問題があったというのだろうか……。
首だけとかよりそっちの方が大問題だ。
「えーと、それで急ぎの用事があってだな」
「ええ、分かってます。分かってますとも。結局、私は都合の良い女です」
「み、ミーミル?」
「力が欲しくなったら生贄を捧げて、そして去って行く。もうずっと繰り返される、私の存在意義です」
怒っているのだろうか。
だけど、その口調は悲しさも含まれているような気がした。
「最後はいつも……いつも呪いながら、みんな死んでいくんです。生贄という非道を行った私のせいです。分かってます。そんな事は……」
「ミーミル……」
「それでも! それでもアナタは! 私の友となってしまったアナタはまだ力を!」
激昂、普段のミーミルからは考えられない心からの叫び。
俺は、ミーミルに近付いて、それを受け止めた。
「──普通ならヒステリーだと突き放すものですよ。それを抱きしめるなんて……ずるいじゃないですか」
「ごめん、ずるいと思う」
「ひどいですよ」
「ああ、ひどい。俺も、みんなもひどい。ミーミルにこんな重責を背負わせて」
ミーミルの胴体では無く、その頭を重点的に抱きしめる。
それで強張らせていた身体から力を抜いてくれた。
「本当に映司様、あなたという人は……女性の敵ですね」
強く、強く抱きしめ返された。
「え、いや……何か誤解させたようだけど、俺が想うヒトは一人で……」
「知ってます。本当にひどい御方。強すぎる意志というのは時にそう映るのですよ」
「何か、ごめん」
「映司様の願いも聞くので、たまには私の願いも聞いてください。約束、破られてしまうんだからそれくらい良いですよね?」
「お見通しか」
「私はユグドラシルと共にある者ですから」
……ところで、俺はもう抱き締めていた手を離しているが、一方的にまだ抱き締められている。
冷静になって、ミーミルは美女で、その身体がある今は……かなり大きい膨らみや柔らかさ全て感じ取れてしまっていると気が付く。
「お願いです、もう少しだけこうしていてください。そして私を許してください。せめて、アナタが死の淵で呪いの言葉を囁く時までは」
現実世界では無いこの空間、たぶん永遠に近い時を過ごしても平気だろう。
「許すも何も、俺はずっとミーミルに感謝している。生贄で力を得た事じゃなくて、俺を想ってくれたヒトに。寂しがり屋のミーミルに」
無言でギュッと、更に抱き締められる。
……あまり平気じゃなくなってきた。
主に理性が。
いや、だってですよ。
今までこういうシチュエーションでは、あまり女性と意識させないような年下とかで、妹感覚というか、そういうので……。
今回は大人の女性。
男子高校生の理性の脆弱さは、そりゃもう。
いや、いやいやいや!
がんばれ! 尾頭映司!
「このまま、ずっとここに居ても良いんですよ。何もかも忘れて私と──」
「それも……魅力的だな」
蕩けるような甘い言葉、異性の香り、熱を持つ身体の感触。
「でも、俺は──フェリを助けないといけないんだ」
「……分かってます、分かってましたよ。少しだけ身体があった時の『女性』を思いだした悪戯です」
「心臓に悪すぎる」
「ええ、鼓動がすごく早くなっていますね。オーディン様とは思えないくらい純情です」
心にメモしておこう、大人の女性に密着されると何もかも筒抜けだと。
「でも、いいじゃないですか。私なんて、映司様と食事を食べに行くという約束を破られてしまうんですよ?」
「そうか、そうだな」
「おあいこです」
どこか嬉しそうな声で言いながら、やっと身体を離してくれた。
その顔は、目元が赤くなっていて、まるで泣いた後のような。
「映司様よりずっと長く生きていますからね。泣いた所なんて見せられないので時間稼ぎをしていたのですよ」
「可愛い湖の番人だ」
「ええ、こんなに可愛いのに。まったく、周りは見る眼がありませんね」
ミーミルはクスッと笑った。
本体は首だけだが、とても魅力的な女性だと思う。
オーディンを育ててきた世界樹と共にある存在。
「では、映司様。生贄に捧げるのは──味覚でよろしいでしょうか?」
「ああ、やってくれ」
* * * * * * * *
そのやり取りは現実では一瞬だった。
「──テュールに確認です。この戦いは二人のものなので、手を出さないでくれませんか?」
「そのような事、言われなくても分かっている。決闘は神聖なものだ。それを汚すような事でもせぬ限り、な」
別れ際、ミーミルに言われた。
これ以上何かを捧げるには、自分の命自体を消費して、一瞬のエーテルにしか出来ないと。
ようするに自爆だ。
それ以外はミーミルの泉で得られる力の上限に達してしまっているらしい。
自爆なんて使おうものなら、フェリの心に悪影響を与えて本末転倒とも言われた。
フェリを助けるためにどれくらいのハードルがあるのかと小一時間、名前の無い白と黒の神様に問い詰めたい。
だけど、それもこれも、目の前の存在をどうにかしてからだ。
「──分かりました。では映司、やりましょうか」
「行くぜ」
グングニルを構える。
足下を狙うように穂先を下段に。
「ほう、狙いは足。私の神器は靴ですよ? それを避けなくて良いのですか?」
「お前の事を侮ってはいねーよ。どうせ足以外も対策済みだろう」
黒いスーツ姿のヴィーザル。
北欧神話の神としては場違いな格好だが、その履いている革靴は意外にも現代の服装と合っているかもしれない。
余裕があるのか、両手はズボンのポケットに入れている。
「ふふ、では映司のお手並み拝見といきましょうか」
ヴィーザルから放たれる鋭い蹴り。
超巨大な質量を持つ巨人すら、一撃で粉砕してきたという神器による攻撃。
既に音や光を置き去りにしているが、神々の戦いに物理的な常識は必要ない。
俺は、それを真正面からグングニルで迎え撃つ。
流れ星のような重さ、鋭さが乗ったお互いの神器による激突。
巻き起こる風──いや、衝撃波によって全てを吹き飛ばし、一瞬で静かな空間に巻き戻った。
「何だ、この力は……映司!」
よろけたのはヴィーザル。
当たり前だ、俺のエーテルは自分でも信じられないくらいに上昇している。
だが、グングニル自体は、これでもまだまだというくらいにキャパシティの底を見せない。
俺は、神槍の二撃目の体勢へ移る。
「今までの戦いとは段違いすぎる! いったい、いったい何を生贄に捧げたというのだ!?」
「味覚だ」
二撃、三撃と打ち込んでいく。
ヴィーザルはそれを蹴り払おうとするが、そのたびに体勢を崩す動作が大きくなる。
「味覚……バカな! それはお前の大切なものだったのだろう!」
「ああ。あいつらに、もう食事を作れなくなっちまったな。人並みの将来の夢っていうやつも消えた」
「もしや映司、お前は生きて帰ることを考えていないのか!?」
「さぁ、どうだろうな」
四撃、五撃──。
「このヴィーザルに敗北しても、お前は従いさえすれば生き残る事も──」
「悪いが従いたい相手──いや、共に旅路を歩きたい相手は決めてあってな」
大きく体勢を崩したヴィーザルに向けて、神槍を投擲。
「終わりに来る黒き者、世を灰燼に帰す古き燃え木……。鹿角持つ豊穣神を屠るムスペルヘイムの守護者──その枝の破滅を以て、勝利を──示せ! 我が神槍に──『黒き炎剣』!」
グングニル自体に黒い炎を纏わせ、ノーガードになっていたヴィーザルの上半身に。
「くっ!? 仕方ないが──」
苦汁をなめるようなヴィーザルの表情。
瞬時に、その神器である革靴がエーテル光を発し、全身を包む。
「真の姿を見せろ! 我が全身神器──『蹂躙せし黄昏の跫音』よ!」
着弾──爆風と砂煙が視界でミックスされる。
「ふふ……靴だけだと、フェンリルの下の牙しか防げませんからね。これが本来の姿──最強の神ヴィーザルというやつです」
煙の中からは、無傷のヴィーザル。
その姿は、黒い──全身生体鎧に包まれていた。
神話では人々からの希望を一片ずつ集め、それらを組み合わせたはずの神器。
それが──目の前のヴィーザルが身に纏っているのは、苦しみもがくような表情が張り付いている顔面。
いくつも、いや、何人もの顔、顔、顔。
地獄絵図でもここまで悪趣味なものはないだろう。
そして、たぶんこの中にはフリンの両親も──。
「いやぁ、驚いてこれを使いましたが──黒き炎剣は終焉の実行者たる私には効かないのでしたよ」
ヴィーザルは、鳥の髑髏のようなヘルメットのバイザーを下ろした。
薄く覗くは狂気の瞳。
吐き出す闘気は闇の色。
迎え撃つは、黄金鎧のオーディン。
「そうだったな。じゃあ、自称『最強』にどの魔法が効くか色々と試そうか」
「ふふ。疑似天使に使ったような、あのコメディの様な魔法では──」
俺は、グングニルを手元に召喚した。
「幾千幾万の楔と成れ」
一万本へ分裂させる。
だが、まだ放たない。
空中に待機させる。
「我は四人目の主神、万能なる加護を与えたまえ──」
「何を……しようというのだ……?」
「纏え、『最弱の若枝』」
「ほう、その魔法を纏わせて私の鎧を貫こうと──」
死の予知夢を見たバルドルは、対策として万物から危害を受けないという無敵を得た。
だが、それはロキの策謀によって、脆くも打ち破られた。
まだ危害を与える万物としてすら認識されていなかった非力なヤドリギの枝によって、無敵の神バルドルは呆気なく絶命した。
それがこの神器──この加護である。
「纏え、『雷鎚』」
「その凄まじいエーテルを込めて二つ同時……さすがですね」
最強の力を誇る雷神トールの神器。
数多の巨人を殺してきた狂気のウォーハンマー。
その雷鳴を聞いて畏れぬ存在はいない。
「纏え、『週末の叫謳』」
ヘイムダルが持つ、ラグナロクを知らせるという神器。
「纏え、『断頭剣』」
「待て、待て待て……いったいいくつの加護を、神器を魔法として体現したものを──」
「纏え、『バルムンク』」
「そんな事をしたらあなたの精神が耐えられなく──」
「纏え、『リディル』」
「命が惜しくないんですか!?」
「纏え──、纏え──、纏え──」
後ずさりするヴィーザル。
「狂ってるんですか!? 私など比べものにならないくらいの狂気──」
「いつもみたいに笑えよ、狂気とコメディは紙一重だぜ。──それに、ただ覚悟をしてるだけさ」
様々な加護の制約が絡み、俺の精神をグチャグチャにかき混ぜる。
人格を数百詰め込まれたような、吐きそうな感覚。
だが、いくらでも踏みとどまれる──本気を出すというのはこういう事だろう?
一万本全てに別の魔法をかけるとまではいかなかったが……。
「主神の元に集いし神器纏い、我放つ──『必中せし魂響の神槍』!」
──発射。
「ぐ、ぐおぁァああアアッ!?」
順番に飛翔していく。
神剣、神槌、神笛、魔剣、聖剣──。
劣化しているものもあるが、その特性を持ったグングニル。
最強の神を自称したヴィーザルの黒鎧を、エーテルを確実に削っていく。
「こんな、こんな事がどうして!? 今まで私に、こんな事は!?」
「よく分からないが、お前の黒き加護ってやつは俺には通じないみたいだな」
「くそお! くそお! このフェンリルさえ圧倒するはずの、この、この、このヴィーザルがああああああ!」
削る、削る。
ヴィーザルの神器は恐らく接近戦、しかも単体への特化型なのだろう。
だからこそ、超広範囲、汎用性が高い俺とグングニルを引き入れたかったに違いない。
『哀れだよなぁ、ヴィーザルさんよ』
俺の鎧から、ランドグリーズが愉快そうにヤジを飛ばす。
今まで色々とため込んでいたのだろうか。
「楽しそうだな、ランドグリーズ」
『ああ、映司。お前といると何か余計に楽しいぞ』
こんな会話をしている最中にも、必死にガードしている上からヴィーザルを削っている。
「た、助けろおおおおテュール!!」
「今のところ、正統な決闘に見える。我関さず、だ」
テュールは無情にも睨み付けているだけ。
ヴィーザルは余裕たっぷりだった頃とはかけ離れた必死さ。
見る影も無いというのはこの事だろう。
「ハ、ハハハハ! 仕方が無い、仕方が無いよなぁ! こんなにも無様なのだから、もう綺麗さなど今更なにも求められるはずもなかろうよォ! ──なぁ、ランドグリーズ!」
「なに……」
俺の身体は──自由が利かなくなった。
「壊れた戦乙女の身体には、既に黒き加護を忍ばせておいたのさァ!」
ランドグリーズの諦めたようなエーテルが伝わってきた。
そして黄金の鎧は黒く染まっていき、それはやがて俺の精神にも──。




