140話 最弱の若木(ミストルティン)
右腕には切り札の細工をしたため、今は使えない。
痛覚、触覚、全ての感覚をシャットアウトしている。
見た目をごまかすために包帯をグルグル巻きにしていて、まるでミイラのようだ。
「シィ、その右腕は平気なのか? 見ていて痛々しいんだが……」
「大丈夫、別に本当に怪我をしているわけじゃなくて、魔術的な意味で包帯を巻いているだけだから」
「そ、そうか」
嘘である。
ただの包帯で、右腕の見た目を隠したいだけという、みみっちい乙女心である。
我ながら、こんな時にまで恥ずかしい奴だ。
「でも、左腕一本あれば──」
接敵中の落とし穴周辺から、かなり敵側後方──その森林の中を走り、目標と護衛を見つけた。
「この呪われし魔術師には十分なのよ!」
眼前には十体程度だろうか、出来の悪い世界樹の魔法人形がこちらに視線を向けてきた。
ボクの魔法による偽装で、相手は視覚や聴覚で察知出来なかったのだろう。
既に射程範囲内に入っていて、ようやくボクの魔力で気が付いたらしい。
「運命の三女神を蔑み、原初、煉獄、終焉まで全てを知る無力なる、この呪者の声に応え──」
一瞬で召喚魔法を組み上げ、左手を前に出して発動させる。
「──永久より現出せよ、デスサイズ!」
手のひらに硬い感触。
黒銀の鎌が実体化するのと同時に、横方向へ振り抜く。
「奇襲……かァッ……!?」
「偽物とはいえ下級第二位の天使ともなれば、まぁ喋るわよね」
断末魔を発した疑似大天使は、やはり知能はそれなりらしい。
風景であった木々と一纏めに、護衛の疑似天使、対象の疑似大天使は胴の辺りで真っ二つになっていた。
大木が倒れる大きな音の後に、ボクは口を開いた。
「一体目の指揮官排除。次!」
いくつかに分かれている指揮系統。
魔法で先に索敵していて感知済み、ざっと残り5集団と言ったところだろうか。
落とし穴によって、向こうが混乱してくれている間に速攻で終わらせたい。
「──現出せよ、デスナックル!」
新たな集団を発見して、デスサイズを投げつけながら──次の召喚を実行。
左手にずしりとした重みのある手甲。
デスサイズが飛び回り、敵を切り裂いているところに殴り込みをかける。
「シィ、魔術師なのに格闘武器なんて平気なのか?」
「あいにく、ボクは身も心も超早熟だからね。年齢の割に身体もキチンと仕上がってるの!」
軽めのフックで疑似天使を粉々に吹き飛ばし、ストレートで衝撃波を起こして疑似大天使への道を作る。
魔法によって強化したフットワークで、一瞬にして最奥に辿り着き、えぐりこむようなアッパーで疑似大天使の頭部を打ち抜く。
相手の表情は文字通り消えた。
人間相手にはとてもグロくて使えないが、幸いにも相手はゴーレムに近い。
疑似大天使も、少しは人間の見た目に近くなっているが、血は流れないし肌も硬質なマネキンのようだ。
「二体目撃破!」
──瞬間、ボクに向かって空から疑似天使達が急降下してくる。
さすがにこれだけ敵の陣地で騒げば当たり前か。
背後からも指揮官を殺された残党が向かってきているが、こちらはリバーが切り払ってくれている。
「現出せよ、死扇!」
ロケットパンチのようにデスナックルを空に放ちつつ、召還を実行。
手に雅な扇が実体化。
ボクはワイヤーに釣られたかのような変則的な動きで、空に舞い上がりながらの踊りを披露した。
巻き起こす風は疑似天使を細断して、上空で高みの見物をしていた疑似大天使まで届く。
数えるのが面倒になるくらいのパーツに分かれ、全てが紙吹雪のように落下していった。
「三体目撃破! 残り敵指揮官──三!」
そのまま上空から、疑似大天使がいる地上の位置を魔法でスキャン。
遮蔽物の無い上空は相手の独壇場になるが、こちらの居場所がバレているのならもう気にしない。
「──現出せよ、現出せよ! デスボウ、デスブレイド!」
死扇を空中に浮かべて盾のように置いておく。
そして二連続で召喚。
空に浮いている体勢、片手で弓をキャッチ。
矢の代わりに刀をセット。
右手が使えないため、行儀が悪いけど──両足で弓を踏みつけるようにして、残った左手で弦と刀を思いっきり引く。
考えたくは無いが今の格好は、畑から大きな作物を引き抜くような必死さが滲み出た感じだ。
それも宙に浮きながら、がに股を晒してだ。
恥ずかしいというレベルでは無い。
絶対にリバーには見て欲しくないが……こちらを心配しているのか常時、視線を感じる。
「もぉーっ!」
赤面しているのが自分でも分かってしまう程の頬の熱さを感じながら、やけくそ気味に撃ち放つ。
射出反動で更に格好悪くひっくり返りそうになった。
体勢を整えつつ操作──射出されたデスブレイドを横回転させ、円形のスライサーのようにする。
それをデスボウによって軌道操作。
グングニルやミョルニルのような超常的な命中や操作は無理だが、ある程度は自由が利く。
雷のような直角軌道を複数回、不規則に取らせる。
眼下の森の中に潜む護衛と、疑似大天使を切り刻む。
位置がまとまっていたため、二体の疑似大天使を一気にやれた。
「四、五撃破! 疑似大天使は次でラストッ!」
感知できるだけで、百体近くの護衛を連れた最後の疑似大天使。
近付くには若干のリスクがある。
「……いや、違う。あれは」
魔法で浮いている私──、その高さまで上がってきた多数の疑似天使と、その奥にいる存在。
白い毛皮のマントを羽織り、頭には王冠。
こちらを見下すような人間くさい表情だが、それも作り物だ。
全体で見れば七番目の天使、天上の階位で見れば下級第一位──。
「疑似権天使……」
「如何にも。我らを知るのならば、なぜ抗う? 人の子よ」
問答など無意味。
何故なら、本物の天使では無く、機械の神によって作り出された偽物だからだ。
そこに本当の意味で意思は無く、結論ありきのねじ曲げられた嘘の認識。
運命に捕らわれた存在で、嘘の魂。
それは──ボクに近いのかも知れない。
「破壊しろ! 死纏う五つの枝よ!」
召喚済みであった武器達を、一斉に突撃させる。
相手は今までの疑似大天使とは違う。
「無駄な事よ」
疑似権天使の周囲に特殊な空間が広がり、武器達もそれに包まれた。
瞬間、世界の動きが変化した。
武器達は水の中を進むが如く遅くなり、敵全体はツバメが如く素早さを得た。
範囲時間操作。
それが目の前の疑似権天使の能力。
完全に動きを止める程の力は無いが、非常にやっかいである。
「遅い、遅いな。その無粋な凶器も当たらなければ無価値」
大体の目安としては、下級第一位というものは人類の到達点と同程度の強さだ。
つまり、その定義ではボクもそこに含まれる。
「そう? それじゃあ──」
いや、ボクもそこに含まれていた、が正しい。
今はもう、人類の到達点を超えてしまっている。
「避けられるものなら、避けてみなさいな──」
五つの武器を己が周りに再配置。
魔力によって紡がれる形状は五芒星。
その色は紫、中心には金糸を飜らせた様な輝き。
「偉大なる狡知の神の娘にして、神殺しの姉をも凌駕する冥界の支配者──ヘルの加護にて、その非力と必滅の枝を、杖に──……現出せよ!」
生者必滅を形にした、最も死に近い武器。
オリジナルであれば無敵の特性を持つ神であろうと、問答無用で冥界に送り込むことが出来る。
それをアレンジして、ボクに使いやすい形にした今の名は──。
「死の六柱にして、我が運命──死杖」
ドクロの形をした取っ手の杖。
これを持つと、もうボクは人間というカテゴリーから外れてしまう。
巫女の予言を覗き見てしまったが故に扱える、人類では成し得ないであろう魔の法。その執行者。
──死杖を媒体に発動。
人類の究極、極地に至る魔法。
全人類でボクしか使えない極限の火。
「偽の主から解放されなさい……煉獄!」
強力無比な浄化の炎が放射状、超広範囲に飛び交う。
それは大地と空を母のように優しく包み込み、抱きしめ、生半可な時間操作だけでは範囲外には避けられない魔法。
偽物の天使達は呆気なく、断末魔さえ叫べず一瞬にして消滅した。
あの疑似権天使が、本物であるベルフェゴールだったのなら、天上の階位は無意味とされる程の強敵だっただろう。
もしもの話だが、それら墜ちたる者として、今も存在している堕天使達とは絶対に関わり合いになりたくないものだ。
……そういえば、とばっちりで森の大半も消え去っていたが~……、そこは気にしないようにした。
「やったのか!? シィ!」
「ええ、現存する指揮官格は倒したはず」
その言葉に間違いは無かった。
「でも、リバー。ここからは少し離れていてくれる?」
「ど、どうしたんだ」
「次のお客さんが来るみたいだから──」
天に空いていた穴が、色味を変えた。
そこから降りてくる新たな偽物の存在。
機械と見間違う程の角張った甲冑を着込み、分厚く丈夫そうな剣を持っている。
横に広い羽根と、肩幅によってずんぐりむっくりとした印象を受けるが、身長自体もかなり大きい。
「中級第三位──疑似能天使。最も早く生まれ出た、原初の天使」
「排除、する」
相手の明確な意思、それは一点の曇りも無い敵意。
主に対する邪魔者を排除するという、彼らのいつもの仕事。
悪魔殺しの能天使の文句、複製にふさわしい性格だ。
同じ階級であった、ソロモン王のパイモンやガープも似たような感じなのだろうか。
だが、気後れしてもいられない。
「それは奇遇、ボクも同じ気持ちだからね!」
死杖に魔力を注ぎ込み、再度の煉獄を発動させる。
近距離や持久戦は不利だ、相手が移動してる間の速攻しか打てる手は無い。
だが──。
「ダメか」
炎は相手を包み込んだが、その表面を溶かす程度だった。
これが生身相手なら大火傷で勝利なのだろうが、相手はエーテルを操る中級第三位だ。
下級である人間の常識など通用しない。
何事も無かったかのように、こちらへ飛翔してきている。
数発、十数発と当てていけば相手のエーテルを削りきれるかもしれないが、現実的にはその間にボクが斬り殺されている。
「それなら──!」
回数はそんなに使えないが、有効な手段も持っている。
死杖を構える。
──ただ、それは魔法を詠唱するための構えでは無い。
死杖を直接投げるための構え。
投擲というやつだ。
「全く、神話の武器っていうのはどいつもこいつも、投げるのが好きね」
死杖はドクロの取っ手が変化し、ただの枝となった。
それが本来の形。
尾頭映司の黒き炎剣のように、本来の持ち主の加護を得て神器を魔法として顕現させたモノ。
この神器形状も想定していたため、最初の詠唱も変えていたのだ。
「生者必滅、無敵を無にせよ──『最弱の若枝』!」
不死身の神バルドルを殺したとされる、ただ一本の無垢なる若木。
手から離れた瞬間、それは光になった。
──既に疑似権天使を貫いていた。
「ありがとう、デスロッド」
光になった後は疑似権天使と一緒に、苦楽を共にした相棒であった杖は消滅した。
「シィ、いつもながらすごいな……」
こちらを見ていたリバー。
ボクは、その視線を受けて困ったような顔をした。
「これ、他の武器分であと五回しか使えないけどね」
天に空いた穴から降りてくる、十二体の中級疑似天使達が見えた。




