プロローグ1
満天の星空の下に男と少女がいる。男は言った。
「あなたを救い出すために生まれてきたんだと思えば私のような人間にも生まれた甲斐があるというものです。だから私は幸せです。ありがとう」
そこで少女は答えた。
「それじゃ私にはどんな甲斐があるっていうの。何だか私ばっかりあなたを煩わせたみたいで悪いじゃないの」
「いえとんでもない。私があなたを救い出すために生まれてきたように、あなたの存在もまた、私にあなたを救い出そうとさせる事と、それからあなたが美しい事とで、私を救ってくれているんですから、それがあなたの生まれてきた甲斐です。私があなたを救うように、あなたもまた現にそうやって私を救ってくれている。私たちは互いに救い合って、支え合って存在しているんですね。だから、ありがとう」
「それじゃどうしてそもそも私たちは生まれてきたのかしら。互いに救い合うんだったら最初から生まれない方が手数が省けるだけ得でよかったはずじゃないの。それとも、あなたが先に生まれちまったんで、あなたを救うために私が後から生まれてきたっていうの? それじゃ悪いのはあなたじゃないの」
「おやおや、あなたは、私たちの大事な出発点の事を忘れてしまったのですか? アハハ……」
と言うと男は先にズカズカ進んでいってしまった。少女も慌てて後を追った。薄手のスカートの裾が、膝の辺りでひらひら揺れた。男の一歩が進む距離を、少女は二歩で進んだ。二人の行く手に、さらさらと流れる小川が現れた。
男がひとっ飛びに飛び越えたその小川の手前で、少女は足を踏み出すのを少し躊躇った。すると男は振り返って、腕を開いて少女を待ち受けた。そこで少女は意を決して飛んだ。対岸までギリギリ届かなかった小さなその体を、男が空中に両腕で捕まえて抱き上げた。そして男はその少女の柔らかな体を、優しく地面に降ろしてやった。
その足元の草花が二人に踏み荒らされて迷惑そうに揺れた。中には踏まれた拍子に完全に茎が折られてしまって、やがて枯れてしまうものもあった。少女は息を弾ませながら笑った。男はその地面の草花たちを真っ直ぐ見つめてから、笑顔の少女に目を移して、少しだけ微笑んだ。二人はまた歩き始めた。
「あなたはあなた自身がどうしてここにいるのか、忘れてしまったようですね」
男はそう言いながら歩いていく。二人の頭上を流れ星が一筋光った。少女も後ろを歩きながら言った。
「ここにいる、理由?」
「ええ、理由です。原因です」
「だって私は自分で家を抜け出してきたのよ」
「そりゃそうでしょう。しかしあなたがそうする羽目になった理由は、何でしょう?」
「……みんなが、私をいじめるから……」
「ええそうでしょう。じゃ、その理由は?」
「私が、馬鹿で、気が効かなくて、わがままで、ブサイクだから……」
「ええそうでしょう。じゃ、その理由は?」
「ちょっとくらい否定してよ」
少女は自分の靴の爪先を見ながら歩いた。
「馬鹿で気が効かなくてわがままだっていうのは否定できませんな。まあ、ブサイクかどうかというところは、ちょっとわからない。なんぼあなただって、かわいいところはある。第一、ブサイクだブサイクじゃないだって、個人の好き嫌いによるところが大きいんだから、一概にはどうとも言えませんな。……それでね、こないだ、私の好きな人の事をね、ブサイクだと言って馬鹿にしたやつがいたんでね、私はそいつを目一杯懲らしめてやったんだが――いや懲らしめるというとちょっと違うな、要するに殺してやったんだ」
「私を褒めてるの?」
「さあどうでしょう。しかしあなたは何にも増して美しいのですよ」
「どうして?」
「だって、そうでもなきゃ、家を飛び出してくるはずがないじゃないですか」
「そうかしら?」
「ええそうでしょう。で、あなたが馬鹿で気が効かなくてわがままな理由は?」
「知らないよ」
「そうでしょう。しかし、それじゃ困る。ちゃんと思い出してもらわなくちゃ……」
「思い出す? 過去の私は知っていたの?」
「もちろんですよ。忘れてしまったのはあなただけです。あなた以外のみんなは、知っているのに、あなただけが忘れてしまった……まあ平成も四十年になれば、あなたみたいな人が現れたって無理はないが……。でも、昔の人たちはみんな知っていたんですよ」
男はふと立ち止まった。少女は下を見ながら歩いていたので、急に立ち止まった男の背中に、どすんとぶつかってしまった。
「わあっ」
少女は後ろ向きに倒れて、柔らかな草のクッションの上に尻餅をついた。
「おっと失礼。……そうだな、ちょっとここらで、ひと休みましょうかね」