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かかしさん、こちらの席へどうぞ

作者: kasiwamoti

 トウキは雨音で目を覚ました。パシパシとコンクリートの地面と衝突して弾ける音。軒先から雨垂れが落ちて、水たまりと混じり合う音。気持ちのいい朝だ、とトウキは思った。

 雨は好きだ。特に豪雨が良い。誰もが外に出る気が起こらなくなる大雨。そんな外の様子を部屋から眺めるのが好きだった。だが、今日は平日だ。高校生であるトウキは学校に行くため外に出なければならない。

 トウキはぎりぎりまでベットに寝転がっていた。雨は好きだが苦手だ。滑って歩きにくいから。

 ずっと寝ていたかったがそうもいかないので、重たい体を引きずり朝の支度をする。朝ごはんを食べ、歯を磨き、寝癖を直して、足を装着した。愛用のリュックを背負い、靴を履いて、手に馴染んだ折りたたみ杖を取り出し、母に一声かけてから家を出た。右手に杖、左手に傘を持ち、駅までの道を歩いた。

 トウキは右足のすねの真ん中から下を失っていた。失くしたのはほんの2年前、中学3年生の春だった。 俺はスポーツに興味が無くてよかった、と足を切断するときにつぶやいた。もしそうだったなら、もっとつらかっただろうから。

 駅まではトウキの足でも5分ぐらいで着く。トウキはエレベーターのボタンを押した。めったに利用されることのないこのエレベーターはほぼ彼の専用みたいなものだ。

 エレベーターを降りて自動改札を通り、またエレベーターに乗る。そうして駅のホームにたどり着いて、いつもの急行を待った。雨でも電車は送れずに到着した。

 それほど都会ではないが、さすがに朝は人が多い。車内のロングシートは全て埋まっている。

 そのロングシートの端っこには、毎朝同じ少女が座っている。しっかりと引き締まった健康な体をトウキと同じ高校の制服で包んだその少女にトウキが近寄ると、少女は無言で立ち上がった。

「ありがとう」

 それだけ言って、トウキは少女の座っていた席に腰を下ろした。座席には彼女の温もりがはっきりと残っていて、トウキにはそれがなんだか落ち着かない。

 この光景は毎朝繰り返されるものであった。どんな関係だよ、と他の乗客達は思っているに違いないがわざわざ口に出すものはいない。

 トウキはその少女も、好きだが苦手だ。

 その少女――ハルナが初めてトウキに席を譲ったのは同じような雨の日、4月になって初めて雨が降った日だった。

 

 その日もトウキは同じように電車に乗った。違うところをあげるなら、前の晩に夜更かしをしていて寝不足であったことくらいだ。

 トウキが扉の前の手すりにつかまってぼんやりとしていると、横腹をつつかれて声をかけられた。

「そこの人、席座りたい?」

 トウキは声のした方を向いた。視線の先には同じ高校の生徒と思われる少女がいた。新学期から毎朝そこの席に座っていたのだが、トウキがはっきり個人として認識したのはその日が最初であった。

「は? まあ座れるなら座りたいけど」

 と、トウキは何の気なしに答えた。ちょっと仮眠がとれたらうれしいなと思ったのだ。

 すると少女は席を立った。そこに座れ、ということなのはわかったのでとりあえず座ったトウキだったが、そのまますやすやと眠ってしまうほどマイペースではなかった。

「あー、えっと……」

「ハルナでいい」

 名前が聞きたかったわけではなく、知り合いでもないトウキになぜ席を譲ってくれたのかを聞きたかったのだが、その疑問はハルナの視線に気づいたことで解消された。

 トウキの足と杖を見ていた。トウキの義足はズボンで隠れているし、晴れの日なら杖を使う場面はあまりないので健常者と同じように見える。だが、雨の日は保険として杖を持っていた。

「怪我は大丈夫なの?」

 とハルナは優しい声で言った。彼女はトウキが軽いねんざをしたくらいなのだと勘違いをしていた。

 トウキは自然な素振りで応えた。

「ああ、全然大丈夫だ。別に心配するようなものじゃないさ」

「だめだよ、自分の体は大事にしなきゃ」

 その言葉にトウキは軽く笑うことでしか返すことができなかった。ハルナの親切な行動は確かに嬉しかった。優先座席の前に立っていたって、席を譲られたことはない。だから大事にする体がもう無いのだと傷ついても、言葉にはしなかった。

 そうだ、とハルナは何かを思いついたようにしてトウキに言った。

「怪我が治るまで毎朝、私の席に座るといいよ」

 わざと言っているんじゃないかと思うくらいだったが、ハルナは曇りのない笑顔をしており、悪気があるようには見えなかった。

 さすがに高校に通う間ずっとそうしてもらうわけにはいかないのでトウキは困ってしまった。

「……それは無理だな。俺の足はこんなだからな」

 トウキはズボンのすそをめくって見せた。ちょっと悩んだがそれで察してくれた方が気分も楽になると思ったのだ。

 明らかに肉でできていない足を見たハルナは息を呑んで、そのまま真顔になって黙ってしまった。

 トウキはズボンを直した。まあそうなるよな、と思う。明日からはこの車両に彼女が乗ることはないかもしれない。なんだか悪いことをした気分になって、目を伏せた。

 ヒッグという音がした。トウキが顔を上げるとハルナが泣いていた。

「え!? どうした!? 大丈夫か?」

 さっきとは心配する人とされる人が逆になっていた。こんな人のいるところで女の子を泣かせてしまっていることをトウキは恥ずかしく思ったが、何がそんなに悲しいのか分からなかった。

 ハルナは泣きじゃくりながら言った。

「足が無いなんてかわいそう!」

 その言い方は失礼だとトウキは思ったが、とにかく落ち着いてもらえるように声をかけた。

「いや、そんなことないからな。ほら、泣き止んで。あとあんまり大きな声で言わないで」

「だって、もし私の足が無かったらって考えたら! 辛くって、悲しくって……」

「うんうん、わかったわかった。おまえの足はちゃんとあるから、な?」

 結局、学校の最寄りの駅に着くまで、ハルナはシクシクと泣いていた。トウキはハルナの手を引いて電車を降りた。

 電車を降りるとハルナもさすがに落ち着いてきて、涙をぬぐって言った。

「私、一度言ったことは守るから。毎朝席を譲るから」

 それじゃ、とそれだけ言って早歩きでハルナは行ってしまった。

 残されたトウキはしばらくぽかんとしていたが、改めてさっきの少女のことを思い返すと不愉快なのを通り越して、笑ってしまった。

 明日もこの車両に乗らないとな、とトウキは思った。そうしないと追いかけてきそうだとか考えてしまうし、なによりハルナという人間が気になってきていた。

 そんな関係だった。


 翌日は晴れだった。トウキは普段通りに杖をリュックにしまって電車に乗った。

 ハルナは昨日と同じ場所に座っていた。健常者と同じ見た目でも席を譲ってくれたが、ちょっと恥ずかしいなとトウキは思った。

「本当に毎日これをやるわけ?」

「うん。困っている人には親切にする。約束は守る。どちらも大切なことだよ」

「10分ぐらいだし俺は立ってるの苦じゃないけど」

 実際は踏ん張り難くて疲れるのだけど、車内で転んだこともないし困っているわけでは無かった。

「だめだって。えーっと……」

「そういえば名乗ってなかったな。トウキでいいよ」

「……トウキは足が不自由なんだから優しくしないと。あれだよ、バリアフリーだよ」

「ああ、やっとハルナのことがわかってきた。おまえバカなんだな?」

 ハルナはむすっとした顔をした。

「それ友達にも言われる……」

「いやいや、それが良い所でもあると思うぞ」

「それも言われる……」

 そんな会話を電車の中でするのが二人の朝の日課になった。


 話すことは大抵が学校のことだ。それくらいしか二人には共通項が無かった。

「トウキって何組なの? 学校で見たことないけど」

「俺は2年B組だけど」

「え? ウソ、先輩だったの!? 失礼しました」

「今更かしこまられても困るし、そのままでいい」


 トウキはハルナより背が高い。だが、話をするときは見上げる格好になる。そのちぐはぐ感にもだんだん慣れてきて、それが二人の自然なかたちになっていた。

 ずっと首を上げているトウキは時折、首をほぐすために下を向く。するとハルナのスカートの先からのぞく脚が目に入り、トウキはなぜだかまじまじとそれを見つめてしまうのだった。

「やっぱり、足のこと気にしてるんじゃ……?」

 泣きそうな顔でそう言うハルナを見て、トウキは慌てて誤魔化そうとする。

「んなことないって! これはその……んーっと、そう! 俺って脚フェチなんだ!」

「そうなの?」

「ああ! ふくらはぎにほおずりしたいと思ってたんだ!」

「……それはキモい」

 実際、ハルナの脚は綺麗と呼べるものであった。真っ直ぐに伸びていて、余分な脂肪が無く、かといって折れそうなほど貧相なわけでもない。少し日焼けした肌がつるっとしていて、触れてみたくなるのも不自然ではない脚だった。

「ま、私鍛えてるしねー。もしトウキがほおずりしようとしてきたら全速力で逃げるから」

 ハルナは普段の調子に戻って言った。鍛えてなくても追いつけないだろうけどな、とトウキは思ったがまた泣かれると困るので口には出さなかった。

「ハルナは運動部なんだっけ?」

「そうそう、陸上部なの! 運動はなんでも好きだからどの部に入ろうか迷ったんだけど、陸上部ならいろんな種目に挑戦できるじゃない? それで決めたの。今は短距離をやってるんだけどね――」

 ハルナは部活のことを楽しそうに話した。それほどに体を動かすことが好きだった。

 はしゃぐように言葉を投げかけてくるハルナを見て、トウキは自然と顔が綻んだ。遠慮するように話されるよりはこちらの方が嬉しかった。

「――それでね、暑いから早く水泳もやりたいねってその子と話してたの」

「うちの学校は温水プールだから涼むのには向かないけどな。あ、そろそろ駅着くぞ」

 二人が一緒にいるのは毎朝のほんの10分だけ。それ以外では会うことはないし、もし廊下ですれ違うことがあったとしても、きっと会釈なんかをして、それだけだ。


 その日も雨だった。ハルナはいつもの席に座って居眠りをしていた。

 わざわざ起こすこともないだろうと、トウキは久しぶりに立っていようと決めた。

 ハルナは音も立てずに、少し小さくなって寝ていた。眠っていればおとなしくて、おしとやかにさえ見える。トウキはそんなことを思いながら、ハルナの寝顔を見ていた。よく見るとよだれが垂れていた。

「台無しじゃねえか……」

 トウキはそうつぶやいて、せっかくなのでこっそりぬぐってやろうとポケットティッシュを取り出した。

 慎重に顔に手を近づけたところで、パチリとハルナが目を覚ましたので気まずかった。

「あれ……? 今どこ? もう! ちゃんと起こしてよね!」

 少し怒り気味でハルナは言って、席を立った。

「いやー、気持ちよさそうに眠ってたからさ。おまえ疲れてるのか?」

「期末テストが近いからちょっとね……」

「ならさ、今日はそのままハルナが座ってろよ。んで寝とけ。駅に着くときはちゃんと起こしてやるから」

「それはダメだよ! ほら、早く座って」

 ハルナが頑なにそう言うので、トウキは渋々腰を下ろした。

 つり革にぶらさがってハルナはふらふらと立っている。勉強と部活の両立というのはなかなか苦しいものである。

 トウキは試験勉強にさほど苦労していなかった。トウキからすると、あるいは客観的に見たとしても、労られるべきなのはハルナの方で、それがトウキには心苦しかった。

「……なあ、ハルナって罰ゲームはしっかりやるタイプだよな?」

 トウキがいきなりそんなことを言うので、ハルナは怪訝な顔をした。

「そりゃあ決めたことは絶対やるけど……。どういうこと?」

「それなら相手が負けたときもちゃんと罰をやらせるよな? よし、じゃあ勝負をしよう。俺が負けたときは罰ゲームとして、しばらく電車で立つことにする」

「そのルールだとトウキがわざと負けるだけじゃん。やらないよ」

 呆れた顔でハルナは断ったが、トウキは粘った。

「じゃあこうしよう。負けた方は勝った方の言うことを1つだけなんでもやるというルールを加える。これなら本気でやるだろ?」

「そこまで言うならやってもいいけど。で、何で勝負するの?」

 そうだな、とトウキは腕を組んで頭を動かす。しかし、それはほとんど考えているふりと言ってよかった。細かい部分を確認しているだけで、トウキの心の中では二人にふさわしい勝負はすでに決まり切っていた。

「競争だ。駅から学校までどちらが先に到着するかで勝負する」

「は!? そんなの私が勝つに決まってるじゃん!」

 不満がありそうに言うハルナを無視して、トウキはルールを説明する。

「周りの迷惑にならないように、駅を出てからスタート。正門をゴールとして通学路の約500m間で勝負する。俺は生身一つで走るわけじゃないから、道具の使用は無制限だ。タクシーを使うのは禁止だけどな。今日は雨だから次の晴れの日に勝負する。これでどうだ?」

「どうもこうもないよ。トウキにやらせる罰ゲーム、楽しみにしておいてね」

「疲れてふらついてるような奴には負けねえよ」

 トウキはそう言って、ニヤリと笑った。


 翌日は晴れだった。うららかな日差しはトウキの好みではないのだが、今日はそんな朝が嬉しかった。

 電車に乗り、いつも通り二人は席を交換した。ハルナの様子は昨日よりましだが、まだ疲れがあるようにトウキの目に映った。

「今日が勝負だからな」

 とトウキは言った。普段は雨の日しか使わない杖を出して、準備万端といった様子だ。

「わかってるよ」

 とハルナは返事をする。なぜこんな勝ち目のない勝負をするのかと困惑しているが、トウキの真剣な雰囲気は感じとっている。そのせいで、いつものように話すことができずに少しぶっきらぼうな言い方になってしまった。

 そのまま二人の間に会話は無く、電車は高校の最寄り駅に到着した。

「そんじゃ、駅を出たとこで待ってろ」

 トウキはそう言ってからエレベーターに乗った。ゆっくり動くエレベーターに2度乗るので普通に駅を出るのより時間がかかる。なので、普段なら二人が一緒にいるのはその時までである。

 だが、今日はそうではない。トウキが改札を抜けた後のエレベーターから降りるとハルナが仁王立ちで待っていた。

「へぇ、ここから出てくるんだ。それじゃ、さっさと始めようか。スタートの合図はどうするの?」

「無難によーいドンでいいか。ハルナが言ってくれ」

「わかった。じゃあ行くよ、位置について……」

 トウキは静かに息を大きく吸った。スタートに対する気合は十分だ。右足を軽く後ろに引いた体勢で構える。

「よーい、ドン」

 トウキは俊敏なスタートを切った。スタートが遅れたハルナはトウキの走りを見て少し感心した。

 義足である右足に負担をかけないように、着地の際に杖を使って衝撃を抑え、なおかつ地面を後ろに押し出すことによって加速までしているように見えた。これがトウキが勝つ気でいられる理由なのだろうか。

 それでも。

 ハルナは少し走る速度を上げて、トウキを抜かした。

 スタートが遅れたのは、荷物を持ってスプリントできる距離ではないので始めは軽めに動いたことと、どうせ負けるはずがないという余裕からである。

 なるほど、他の義足の人よりは速いかもしれない。それでもハルナと比べたら遅い。それだけのことだった。

 ハルナはちらりと後ろを見た。軽快に走るハルナに対してトウキの走りはバタバタとしている。全力で走っているわけではなさそうだが、表情はすでに険しく、そのペースでは最後まで走ることはできないとハルナから見ても予想できた。

 見てられない、とハルナは思った。さらにスピードを上げて走ることにした。もっと差が開けばトウキも諦めて、無理をして走るのをやめるだろうと彼女は考えた。

 そのままのペースで走る。通学路には他にも生徒が歩いているので避けつつただ足を動かした。どうしてあの子は走っているのだろうという声がする。ハルナでさえなぜ走っているのか分からなくなってきていた。

 残り100mほどまで来て、赤信号に捕まった。もう学校は見えている。ゴールである正門はすぐそこだ。

「よっし! 追いついた!」

 ハルナは一瞬、何が起きたのかわからなかった。背後から声がした。ハルナが毎朝聞いているあの声だ。ハッとして振り向いた。

 トウキはそこにいた。どうやって、という疑問は一目で解消された。彼は自転車に乗っていた。ハルナはそれを呆然と眺めた。

「ん? なんだその顔。俺はちゃんと道具の使用は無制限だって言ったぜ? 卑怯だって言っても手加減しないからな。つーかお前本当に足速いな。自転車置き場まで行ったらもう楽勝だと思ってたんだが」

 トウキがそう言う間に信号が青に変わった。よいしょ、とトウキはペダルを回し始めた。

 まだ勝負は終わっていない。だが、ハルナはなんだかもう負けた気になってしまっていた。

 トウキはできる限りの速さで自転車を漕いで、そのままゴールした。ちょっと大人げなかったかなとも思ったが、やってやったという気持ちの方が少し上回った。

 なので、遅れて正門に着いたハルナにトウキは少し上機嫌で言った。

「俺の勝ちだ。誰が何と言おうとな」

 ハルナは走ったことで乱れた息を整える。

「……自転車乗れたんだ」

「へ? そりゃあ歩ければ誰でも乗れるに決まってんだろ。少し工夫は必要だけどな」

 トウキはそう言って、足を固定するためのペダルストラップをハルナに見せた。

「あー、えっと……」

 ハルナは何かを言おうとして、うまく言葉にできないでいた。トウキは言葉が出てくるのを待たなかった。

「それじゃ、また明日な」

 トウキはそう言って駐輪場に向かった。ハルナもそれを追いかけることはしなかった。

 ここで話すより、あの電車の中の方が二人は上手く話せるはずだから。


 翌日。いつも通りに電車に乗り、席を交換した。

「この前はあんなに渋ったのに、今日は当然のように座るんだね」

「俺が勝負に勝って手に入れた席だからな。まあ座りたいって言うなら立つけど?」

 ハルナは自分が普段は言わないような意地悪を、トウキが悠々と返してくれたことにほっとして、張りつめていた気持ちがほぐれた。

「それが言いたくて、わざわざ勝負なんてしたの?」

「それもあるけど、もっとなんていうか、俺の心持ちの問題なんだ」

 トウキはハルナと初めて会った日のことを思い出していた。

「俺さ、ハルナにかわいそうって言われたとき嫌な気分になったんだよ」

「そうだったんだ……ごめんなさい。私に同情なんてされたくないよね」

 謝るハルナに、トウキは首を振った。

「違うんだ。俺はあの時心配してくれたことが少し嬉しかった。嬉しくなった自分がいることが嫌だったんだ。もう元には戻らない足のことでうじうじしたくなかった。義足を言い訳に使いたくなかった。だから、駅から少し距離があっても志望校は変えなかった。毎日筋トレして不利を補おうとした。体育だって毎回参加して、ソフトボールならキャッチャーをやって、バレーボールならピンチサーバーで、水泳なら不格好な平泳ぎで50m泳ぎきった。電車だって、もっと早い時間に乗れば空いてるかもしれないけど、立ちたくないから早起きするなんて嫌だった。そうやって肩ひじ張ってがんばっていたのに、心の奥深くでは甘えたいと思ってたことに気づいてしまったんだ。結局、俺がやってたのは気持ちの整理をせずに逃げていただけだった」

 トウキは心の中で渦巻いていた気持ちを言葉にしていると、自分の情けなさが具体的な形になってしまったようで、泣きたいような気分になっていた。だが、あの時泣きじゃくっていたハルナがひたむきな表情でいるので、無理に笑って話を続けた。

「俺は勝負に勝つことでハルナと自分自身に証明したかった。俺は施しを受ける必要はない人間だって。ただ突っ立ってるだけのやつより俺の方が凄いやつなんだって、子供みたいに叫びたかった。逃げてるだけなのはわかってる。でもそれが逃走だって、走っていることに変わりないなら悪くないさ。そうだろ?」

 同意を求めるような言い方をしたトウキだったが、わかって欲しいとは思ってなかった。

 ハルナはその言葉をしばらく反芻して、考えながら言葉をひねり出した。

「トウキの言いたいことはわかった。……ううん私はバカだから本当は半分もわかってないと思うから、また変なことを言うかもしれない。でもね、私思うの。ずっと走り続けるなんて無理だよ。だからさ、たまには他の人に任せて休んでもいいじゃんって」

「その言葉そのままお前に返したいけど…………けど、ありがとう」

 今日も少しふらついているハルナに、トウキは小さく感謝を述べた。彼女も同じようにがむしゃらに走り続けるような生き方をしている。それを簡単に変えられないのもきっと同じだ。でもそれで良いんだとトウキは思った。休むことなんて、また走れなくなってから考えればいい。その頃にはきっと、振り向くことができるはずだ。

「よし! これでこの話はおしまい! 今からは楽しい話をしよう!」 

 ハルナは手を鳴らして、元気よく言った。

 しかし、まだトウキにはまだ言いたいことが残っていた。そして、それは楽しい話だ。

「もしかして忘れてるかもしれないけど、勝負の罰ゲーム、さっそくやってもらうかな!」

「う……よ、よーし! なんでもこーい!」

「別にそんな大変なことさせねーよ。むしろお前のためでもある」

 トウキは自分の足を指して、無理に作ったのではない本当の笑顔で言った。

「俺の膝の上に座ってくれ!」

「は!? な、何言ってるの!?」

 ハルナは顔を少し赤らめ、慌てて言った。トウキはとぼけた振りをした。

「そしたら二人とも座れて、俺が気負うこともないし、席は譲られたままだからハルナも気にすることはない。win-winってやつだ」

「あーもう! わかった! じゃあ座るよ」

 やけくそになったハルナは、ドスンとトウキの膝に座った。思ったより重いな、とトウキは思った。

 周囲の目が恥ずかしいようで、ハルナは俯いてじっとしていた。そんな借りてきた猫のような彼女を膝に乗せると、その重みと柔らかい感触、伝わる体温と髪から香る匂いをトウキは感じた。それはなんだか居心地の良いものであった。

「別に背もたれにしてもいいんだぜ?」

「うう、くっそー。こうなったらもう一回勝負だ! トウキにも同じくらい恥ずかしい罰ゲームをやらせてやるんだからね!」

「望むところだ。もっとも何回やっても俺が勝つけどな」

 電車が着くまで、少しだけ休んでいよう。そしてまた何度でも走り出そう。休む場所はここにある。

 そんな関係になった。

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