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雪月花  作者: 瑠璃丸
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第六話 ラピスラズリ

 妖怪は生活に優先する。


 変人の集団たる民俗学者の中にあって、その変人性でもって頭ひとつ抜きん出ていると名高い私のゼミ教官は高らかにそう宣言した。敬虔けいけんな学生であり民俗学者予備軍である僕も、その影響下にあるから、生活は必然妖怪中心となっていった。


 金が入れば、本を買う。金が無くても、旅に出る。 


 そんな生活を二年ほど繰り返した結果、僕の財政状況と危機意識は完全に破綻をきたしており、会計管理はもはや自転車操業とも言えず、坂道を転がり落ちる石ころのように赤字を積み上げていっている状況だ。

 早晩訪れる破綻の足音を感じながら、霞を喰って生きる方法を古書の失われた知識に求めるのである。


 僕の掌中に帰りの切符はない。

 未だ買っていないという訳ではない。そもそも買う金が無いのである。

 怪異譚を蒐集した後のことは、その時に考えれば良い。

 そんな風に考えていた僕は、雪女に遭遇するという重大事にこそ出会わなければ、()()()()()()()()()()()のだから。


 そんな事情は、彼女に言えるはずもない。




瑠璃るりくんは、貧乏な学生さんなんですね」


「修飾語が余計です。学生とは元来貧乏なものなのです」



 鍋島瑠璃なべしまるり。それが僕の本名である。


 彼女は僕を"瑠璃るりくん"と呼ぶようになった。その響きに少しだけ兄貴風もとい姉貴風を感じるのは、ふとした会話の拍子から僕の年齢が二十二歳であると知れたためである。少なくともあの老人の祖父の代から雪女で在り続けた彼女にとっては、僕などは小僧に過ぎないのかもしれない。

 僕は、過ごした季節が冬だけなのだから、正確な年齢というのなら四分の一をして然るべきであり、再計算すれば僕と年齢はそう変わらないはすだ、と主張したところ、頭をポカリとやられ「生意気」と言われてしまった。


 こうした話題が出来るようになったのも、ある意味関係が深まった証なのかもしれない。

 



瑠璃るりくん、一つ聞いても良いですか?」


「はい、なんでしょう、ゆきさん」


 僕は彼女を"雪さん"と呼ぶようになった。雪山にすっと一人ぼっちであった彼女に、名前を付けてくれるものは居なかったから"ゆき"という名前は自分で付けたらしい。

 雪女だから雪なんて安直ですよね、彼女はそういって笑ったが、僕は笑うことが出来なかった。永遠とも思える冬の連続を一人ぼっちで過ごさざるを得ない孤独と不安がその素直な名に込められているような気がして、彼女の名を呼ぶ度に僕の心はちくりと傷んだ。



「瑠璃くんの名前の由来って」


 彼女は僕の目を真っ直ぐに見て言う。


「やっぱりその目の色が由来なんですか?」


 僕の目は青い。

 先天的に虹彩の色素が薄いらしく、僕の目の輝きは平均的な日本人の黒黒としたそれとは大きく異なっている。小さな頃はこの目の色でよくいじめられたものだ。今では何とも思わなないが、子どもには無邪気な残酷さがある。「化物」と言われ、石を投げられたことさえあった。


「そうです。瑠璃色の瞳だから、瑠璃。安直ですよね」


「良い名前だと思いますよ。ご両親の愛情が伝わってくるようです」


 瑠璃ラピスラズリ。それはこの国では産出されない、遠い国の宝石の名前。


「僕には――」


 博物館で一度、その宝石を見たことがある。

 青の中でも特に深く鮮やかな煌めきを湛えたその宝石を見ていると、不思議と心が落ち着くのを感じたのを覚えている。人間に魂というものがあるかは僕には分からないが、魂を吸い込んで浄化してくれるような神々しさが、その石にはあった。


「両親がいないんです」


 彼女が息を呑むのが分かった。


「この名前は僕を拾って育ててくれた男性が付けてくれたんです。その人はお坊さんでして、瑠璃は仏教で七宝しっぽうと呼ばれる宝物の一つだから、お前の目はこの世の何よりも尊いんだと言っていました」


 その言葉に僕は救われたのだった。父もなく母もなく、普通ですら無かった僕が道を逸れずに生きてこれたのは、その言葉ゆえだ。こんな僕にたった一つでも、誇れるものをくれたその言葉のためだ。

 思えば、僕が民俗学に傾倒したのはその辺りがきっかけだったように思う。


 この世は、どうしようもない現実を作り替えてくれる素晴らしい物語に満ちている。


「瑠璃くん」


 彼女の一声で、僕は過去から立ち戻る。現実へと舞い戻る。

彼女の目が僕の瞳の色を映し出す。彼女の瞳が湛える瑠璃色に、僕の魂が吸い込まれていく。


「素敵なお父さんですね」


 それはたった一言の、本当に短な物語。その物語が、僕の現実を作り変えていく――

 僕は本当の父を知らない。

 けれど、この目に込められた"父"の思いを知っている。


「はい」


 山道に差し込む光は、色素の薄い僕の目には少し眩しすぎたようだ。








「例えば、この目を抉り出して売り払えばある程度の資金を獲得するが出来ると思いますか?」


「瑠璃くん。あのいい感じの話のあとによくそんな言葉が出てきますね」


「なにせ変人ですから」


 すっかりペースが狂ってしまった。

 余り感傷的なのは好きではないし、せっかくの旅路だ、笑って行きたいというのが望みでもある。少しだけ気恥ずかしかったのというのは、彼女には秘密。

 身を削りこぼれ落ちた自虐というスパイスを振りかけつつ、僕は目下の問題に舵を切り直すことにした。


 カワヅザクラという指針は立った。

 立春のタイムリミットまであと一週間あるとは言え、"歩き"というのはやはり現実的な手段ではあるまい。何かしらの交通機関を使わねばならないが、今の僕らは殆ど無一文である。資金の捻出は必須であった。

 雪さんは自分の着物を売ったら良いなどと言ってくれたものの、女性の身ぐるみを剥いで金に換えたとなると、資金を得た瞬間人間として大事なものを失うことは目に見えているので、丁重にお断りさせて頂いた。 

 

「瑠璃くん、瑠璃くん」


 雪さんが僕の袖を引っ張る。何か思いついたらしい。


「これ、私に頂けませんか」


 そう言って雪さんは、僕のビニール傘を指差す。一本350円のみずほらしいビニール傘が何の役に立つものだろうか、訝しみつつ僕は傘を差し出した。

 傘を受け取った彼女は、雨も降っていないのに傘を広げたかと思うと、嬉しそうな様子でくるくると回し始めた。そうして僕の方に向き直ると、


「瑠璃くんには、これをあげます」


 一本の和傘を僕に差し出した。


「交換です」


 僕は伝統工芸品に詳しくはないが、一見してこれが"良い"品であることは分かった。彼女が生まれた時から持っていたものの一つだろうから、恐らく100年近く前のものであるはずなのに、骨組みに歪み一つなく、匂い立つような傘部分の赤色も全く色褪せていない。一体どれだけの価値があるのかは分からないが、少なくともビニール傘一本に釣り合うものではあるまい。


「受け取れない、なんて言わないで下さいよ」


 今度はスムーズな手つきで傘を閉じくるくると巻くと、彼女は大事そうにビニール傘を抱えて言った。


「どうして突然にこんなことを?」


 先を越されてしまった僕は、不承不承和傘を受け取ると、彼女に尋ねた。


「その傘は、貴方のものです。だから」


 売ってお金にして下さい、と彼女は言った。


「案外、ズルいことをしますね。雪さんは」


「だって、そのまま渡しても瑠璃くんは受け取ってくれなさそうですから。それに、私がこの傘を気に入ったのは本当ですから、返せなんて酷いことを言わないて下さいね」


「分かりましたよ、全く」


 


 隣町まで、もうすぐという所に迫っていた。

 遠くに見える町並みはたった一日前に見たのとなんら変わりない風景であったが、僕は酷く懐かしい気分になった。

 老人の死。雪女との出会い。

 一生に一度も経験できないはずの様々な出来事が一度に去来し、この山を越えた二日の出来事が僕には何年のことのように思われたのだ。


 僕の隣には、雪女が居る。

 雪女を桜を見に行くという奇妙な旅路がこれからどんな結末を迎えるか。すっかり晴れ渡った空を見上げ、僕はまだ見ぬ桜に思いを馳せた。




「取り敢えず、歩いて帰る羽目にはならなくて済みそうです」




 感傷に浸り、思わず口をついで出た安堵の言葉。

 口を出した瞬間に、呪いの文句に様変わりすることを、僕は知るべきだった。


「歩いて帰るってどういうことですか?」


 雪女は、ピタリと足を止める。


「お金も持たずどういう計画を立てていたのか、聞かせてもらいましょうか」


 ニコリと笑うゆきさんであったが、体の底が真から冷えるのが分かった。

何とか誤魔化そうと、民俗学者は変人云々、妖怪は生活に優先云々などともごもご言ってみたものの、彼女は笑顔を崩さず、山の気温はどんどん下がっていくように感じられた。


 歩いて帰るつもりでした、という僕の一言をきっかけに、"姉貴風"は最大風速に達し、彼女が静かに発した「正座をしましょうか」との言葉から、僕らの旅路には第一歩目から一時間のロスが生じたのであった。


タロット占いをしたら、死神のカードが出ました。


恐ろしいことです。

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