第二話 山中妖怪考
老人が亡くなったのは、一昨日のことであるという。夜半急に体調を崩したかと思うと、そのまま眠るように息を引き取ったそうだ。
小じんまりとした葬儀であったが、参列者は一様に目を涙で濡らし、部外者である僕にも、雪山に道を切り開いた老人が、如何に惜しまれつつこの世を去ったかということは良く分かった。
受付で来訪の経緯を伝え、非常識ではあるが、これも何かの縁なのでお悔やみだけでも伝えたいと申し出たところ、老人の娘という恰幅の良い五十歳程の女性が現れ、唐突に「今日は泊まっていって下さい」と言った。
物見遊山でやって来た見知らぬ学生が葬儀に顔を出すだけでも非常識な話なのに宿泊などもってのほかと固辞したのだが、夜になると山道は暗く事故も多い、無理に引き返して大切な客人にもしものことがあっては父に申し訳がたたないからと言う。
確かにこのままあの山道を引き返すのは少々気が重く、あまり意固地に断るのも逆に失礼だろうかなどと考え、僕は申し出に甘えさせてもらうことにした。
奥座敷に敷かれた布団に身を横たえ、僕は老人の死と失われた物語のことを思った。
雪女伝説の始まりと終わり、唯一の当事者である老人は死んでしまった。
老人は『私の原風景』で語ったのを最後に、雪女については多くを語らなかったという。
寒村に道路を通し雪女を消し去ったことが、老人の誇りであり、同時に心残りでもあったのだろう。矛盾する二つの感情の間で、誇るべきか悔やむべきか、沈黙の内にひとり雪女のことを思い続けていたのかもしれない。
食事の折、それとなく老人の家族に雪女の伝承について訪ねてみたものの、収穫はなかった。"道案内する雪女"の話を知っている者は何人かいたが、いずれも不完全な伝聞であり、実体験が綴られた『私の原風景』以上の価値を見出すことは出来なかった。
そもそも老人の家族でさえ雪女の存在を信じておらず、こちらが熱心に質問するほどに今時分学生さんはそんなものを信じているのかと嘲笑の視線を送られる有り様であった。
道路の建設をきっかけに雪女を見るものは居なくなった。
科学技術のさらなる発達により雪女を信じるものが失われた。
そして、老人の死を最後の藁として雪女の記憶が消え去るすることにより、緩やかに、だが確実にこの地の雪女伝説は終焉を迎えるであろうことを僕は予感した。
雪の中に浮かぶ上がる赤い着物と無垢な笑みを湛えた女の顔が次第に薄ぼんやりとしていくさまを幻視しながら、僕は眠りに落ちていった。
現地調査の失敗を確信した僕は、翌朝早々に村を後にした。
翻って、山の中。
永遠に続くかのように思われる緑のトンネルを行く僕の足取りは相変わらず重い。
現地調査が成功に終わることは稀な話である。
直前に先方の都合が悪くなることは日常茶飯事だし、酷い場合には当日になって話す気が失せたなどと言われることもある。妖怪の"呪い"というヤツだろうか、天候不順や体調不良によるキャンセルも思いの他多い。期待通りの行程で、期待通りの怪異譚を蒐集することが出来る方が、稀な話なのである。
だが、こうした"失敗"についてはリカバリーが効く場合が多い。
待てばよいのだ。
先方の都合が良くなるのを、気が変わるのを、天気や天候が回復するのを、ただ待てば話は終わる。怪異譚は変わらずそこにあるからだ。
しかしながら今回は、考えうる中でも最悪のケースである。
老人が自身の抱く物語を誰に語ること無くこの世を去ったために、物語そのものが逸失してしまったのだ。
妖怪は物語の中に生み出され、物語から立ち現れる、物語と不可分の存在である。だから、物語の消失は妖怪の死に他ならない。妖怪が死ねば、民俗学者は存在意義を失う。だから、最悪のケースである。
妖怪と物語の関係については、些か説明が必要だろう。
そもそも妖怪とは何か。
数多の民俗学者が様々な仮説をもって取り組むテーマであり、百者百様の答えがあるのだが、ここでは私見を披露したい。
――妖怪は、現実を理解するために脳が用いる理屈である。
雨が降る。という現実がある。
この現実に対する理解について述べるなら、気化した水分が上空で冷やされて雨粒を形成し地面に降り注ぐというのが、一般的であろう。
では、専門家と幼稚園児と弥生人に同じ質問をした場合、答えは同じだろうか。
知識や想像力や信仰心の度合いにより"雨が降る"という事実の解釈は異なってくる。妖怪はそういった解釈の隙間に入り込んでくるのである。
分かりやすいように、貴方の脳の隙間に潜む妖怪を一匹呼び出してみよう。
晴れているのに、雨が降る。
この現実をどう解釈するだろうか。
雨粒が地面に到達する前に雨雲が移動するという"科学的見地"で解釈する人間はどれほど居るだろうか。
"狐の嫁入り"が行われたから――
貴方の意識せぬ内に、貴方の現実の解釈の隙間に潜み、ある刺激を契機に我々の眼前に踊り出てくるのである。
白無垢をした着物姿の狐を幻視すること、それが妖怪を"見る"ということだ。狐の嫁入りが行われたので、天気雨が降った。貴方が思い描いたその理屈こそが、物語なのである。
こうした物語を紡ぐためには、狐の嫁入りの話をどこかで聞いたことがなかればならないし、そういうことがあるのかもしれないという認識がなければならないのだが。
さて。
この理屈を今回の"道案内をする雪女"の事例に当てはめてみる。
雪女を見たという老人の父親が直面した現実は、"猛吹雪の獣道で『着物きた笑顔を浮かべる女らしきもの』に導かれ、無事に村まで辿り着いた"というものである。
彼は"優しい雪女に助けてもらった"という理屈を用いてこの現実を解釈し、一つの物語が生まれた。
民俗学において、科学的解釈という"正解"はあまり意味を持たない。僕が知りたかったのは、彼や老人が何故"雪女"という理屈を持ちだしたかというところだ。
専門家が専門知識を持ち出すように、脳の引き出しのどこからその理屈を捻り出したのか、人生におけるどういう経験が、教育が、言語が、信仰が、その理屈を形成したかを知ることにこそ、意味があるのだ。
だからこそ、今回のケースは最悪なのである。
当事者の死亡により、理屈の保持者が消滅した。
道路の敷設により、体験が生み出された環境が消滅した。
そして、時代の進捗が、科学的な理屈の浸透が、理屈の再現を不可能にした。
雪女が潜む理屈を逆算するに足る物語を生成する環境は失われ、僕が民俗学者としてこの怪異譚にアプローチする手段は全く失われてしまったのであった。
「ゲームオーバー、かな」
僕は自嘲気味に独りごちる。緑一色の景色に変化はなく、僕の沈んだ気持ちもまた変わることはない。
何時間も歩き通しだったからだろう、ずきずきとした足の痛みはいよいよ思考を阻害する。沈思黙考というこれまでの逃避活動は敢え無く脳に却下され、味気ない現実の景色を直視し、もくもくと歩を進めることを強制されるのである。
ようは、足が痛くて何も考えられないので、とりあえず一生懸命歩くしか無いというところである。
ぽつり、と。
頬に何かが当たるような感覚があったと思うが早いか、空をひっくり返したかのような酷い雨に見舞われた。穏やかな山の景色は一変し、ざーざーという耳障りな轟音と視界を遮断する圧倒的な量の雨粒が僕に襲いかかってきた。
どこか雨宿り出来るをと周囲を見回すと、100メートルほど先にバス停があるのを見つけた。町中によくある無機質なコンクリートの棒ではない、待合所と表現するようのが適切な屋根付きの立派なバス停であった。雨合羽を羽織る時間は無かったので、たまたま持っていた(出発時、小雨が降っていたのだ)ビニール傘を広げ、一気にバス停まで走った。
酷い雨だった。雪にならないだけマシだとも言えるが、すっかり濡れネズミである。ベンチに腰掛け、濡れた髪をタオルで吹きながら、僕はすっかり気が滅入ったしまった。一服でもしようかと、ポケットから煙草の箱を取り出してみたが、すっかり湿気ている。
本当に、散々な現地調査である。
暫く、ぼうっと雨を眺めていた。
すると、雨の音に混じってからからと音がする。木切れがコンクリートにこすれる様な音。からから、からからと、一定のリズムを刻む音は、次第にこちらに近づいているようだった。同じように山道を徒歩で歩こうなどという酔狂なものがいるのだろうか。
しかし、このからからという音は。
――下駄だ。
僕がそう気づくというのと同時に、音の主がバス停に入り込んできた。
「全く、嫌になっちゃう。こんな大事なときに雨なんて。って、あれ?」
僕の目は、その女に釘付けになっていた。煙草がするりと手からこぼれ落ちるのにも全く気が付かなかった。
「先客が、いらっしゃったんですね」
ゆっくりとこちらを振り向く声の主。森の緑によく映える赤い着物と、ちょっとはにかんだ笑み。
この現実をどう解釈するべきか。急速に回転する僕の脳が持ちだしてきた理屈に、一匹の妖怪が潜んでいたことは想像に難くないだろう。
いよいよ物語が動き出しました。
「妖怪変化について自説をぶち撒けてみました」
私がそうタイプするが早いか、
「では貴方の脳髄をぶち撒けてみましょう」
女の声と、鉈の振り下ろされる音が聴こえ、