第一話 『私の原風景』
現地調査はいつだって思うように進まない。
携帯電話の路線検索ではバスが走っているはずだった遥かな山道を、僕は一人とぼとぼと歩いている。しかもこれは復路、帰り道である。本来であれば、蒐集した体験談を反芻しながら解釈を試みる調査の醍醐味とも言うべき時間のはすが、僕の足取りは実に重い。緑のトンネルに差し込む暖かな太陽の光も、春の訪れを予感させる鳥の囀りも、僕の心を慰めてくれはしない。
現地調査は失敗に終わったのである。
ため息混じりに遥かな道を歩きながら、僕は自分の身に降り掛かった不幸について、本日三回目の反芻を行うのであった。
僕は民俗学を専攻する学生である。
民俗学者が行うところの現地調査とは怪異譚の蒐集を指す。
民俗学者に対する世間のイメージは「妖怪変化を研究する変わり者」と言ったところだが、それは概ね正しい。西に怪談話があると聞けば親戚の結婚式をすっぽかし、東に妖怪が出たと聞けば上司との食事会を無断キャンセルする、我々がそういった人種であることは否定出来ない。
僕が大した計画も立てずにかような深山に分け入ったのも、そこに怪異譚があったからに他ならない。
「あの山には雪女の伝説がありまして――」
図書館で調べ物をしていた折、偶然発見した地方紙の記事。『私の原風景』と名付けられたその企画は、かつての美しい風景を今に伝え、地域の自然についてもう一度考えてみよう、という趣旨で始まった地域の連続インタビューである。
その第四回、某村の村長を務めた老人が語るところの雪女伝説は、僕の興味を惹きつけるのに十分な、とてもユニークなものであった。
――雪女ですか。お化けの。
「お化けというか妖怪です。お化けは、柳の下にゆらりとしている人間の亡霊でしょう。雪女は妖怪。妖怪変化です」
――その"妖怪"の雪女の伝説があったと?
「そうです。我々の村には昔から冬になると雪女が山から降りてくるなんて伝承がありまして。雪女というと、山中で男を騙して氷漬けにするような悪いものを想像するでしょうが、我々の雪女はそれとは異なります。優しい妖怪とでも言いましょうか」
――優しい、ですか?
「そう、雪女は優しいのです。私の祖父の頃まで、村には碌な道路がありませんでした。隣村との往復にしても、獣道と言うんですか、動物と同じ道を使っていたような有り様でした。目の効く夏場はそれでも良かったのでしょうが、冬場は駄目です。一度雪が降ってしまうと、獣道なんてものは使いものになりません。ですが、小さくて貧しい村のことです。一生懸命蓄えをしていても、何日も雪が続くと、食べ物とか燃料とか、そういったものが足りなくなってくる。喰い尽くし、使い尽くせば村は死に絶える他ありません。だから、そんな時は村の若者衆の中から腕利きの者を一人選んで、獣道を越えさせるのです。冬場は獣も通らんような"獣道"を」
――それは、危険ではなかったのですか?
「危険どころではありません。冬場に獣道を行くということは、死ににいけというのに等しい。実際、昔は行ったきり帰ってこなかった者も多かったそうです。私の祖父も、何度もそのお勤めを果たしましたが、最後の最後、こんかいで引退というところで、とうとう文字通り帰らぬ人となりました。雪が止んだ後、村まであと一歩というところで躯が見つかりました。何とか守りぬいたんでしょう、荷物は無事だったそうです。祖父のお陰で、村は全滅を免れたのです」
――それと、雪女とどういう関係が?
「祖父が死んで、次の年から私の父が雪道を往くようになった。父親が死んだばかりだからと、村の皆は必死で止めたそうですが、父様は頑として聞き入れなかったそうです。親父の死を無駄にしたくなかったから意地になっとったと、後で笑っていました。その父様が、一度だけ、こりゃあ駄目だと思った年があったそうです。猛吹雪で方角は愚か、自分が今どこにいるかも分からない。雪はどんどん勢いを増して、瞼はだんだん落ちてくる。もう駄目じゃと思うた時、見えたそうです」
――見えた? 一体何が?
「赤い着物を来た女ですよ。笑顔を浮かべて、こっちへ来いとでも言うように手招きをする。猛吹雪に着物姿で道を歩ける人間が居るはずがありません、父様にはすぐにあれは人間ではない、雪女だと直感したそうです。しかし、これは父の言葉そのままなんですが、その雪女の笑顔があんまり素敵だったから、取って食われるなんてことは思わなかったそうです、笑ってしまうような話ですが」
――そしてお父上は。
「助かりました。もう駄目だ、倒れてしまおうと思う度に雪女が現れて手招きをする。あそこまで行こうあそこまで行こうと思って歩く内に、村についていたそうです。それ以来、お勤めを果たすものがいよいよ諦めようとする度に雪女が現れて手招きをしたそうです。だから、父の後に村に帰ってこなかった者は一人もおりません」
――だから、雪女は優しいと。
「そうです。でも、私は思ったのです。この文明開化の世に雪女なんかに頼っていたら世間の物笑いの種だ、どうにかしなければなるまい。自分たちの力で雪山を克服してみせると。だから、私は村長になって車が通れる道路を引きました。荷物を運べるようにバスを通しました。これで、未来のある若者が寒くて暗い雪山で死ぬ思いをすることもなくなると信じていたのです」
――立派な志だと思います。
「ありがとう。小さい村でしたが、がむしゃらに村長をやってきて、ようやく祖父の命を奪った山を克服出来た事が私の誇りでした。でも、村長を引退してふと思ったのです。雪女はどこに行ってしまったんだろうと。思えば、道を通して以来、雪女を見たというものは居なくなってしまいました。私は道を通しましたが、それと引き換えに何か大事な"繋がり"のようなものを壊してしまったのではないか、そう思えてならないのです」
僕は是非ともこの老人から話を聞いてみたいと思った。
道案内をする雪女というのが雪女伝説の珍しいケースであることは勿論、寒村に道を拓いたことで怪異に幕を降ろし、雪女を消し去った老人が何を思うのか知りたくなったというのが大きかった。
アポイントを取るのは容易であった。まがりなりに村長を務めた人物だ、それなりに有名らしく、連絡先を突き止めるのにそれほど労力を割かずにすんだ。『私の原風景』が十数年前の記事であるから、かなりの高齢であることが予想されたが、電話口での語り口調は矍鑠としており、訪問の依頼についても「楽しみにしております」と色よい返事がもらえたのは助かった。こういった場合、怪しげな民俗学者もどきの学生に対するアレルギー反応は強く、けんもほろろに断られるというケースもしばしばある。
先方の了解を取り付け、僕は指定された住所に向かうことにした。東京から新幹線、在来線、ローカル線と乗り継ぎ、隣町から件のバスで村を訪ねよる積りであったが、ここで一つ予定が狂った。
――✕✕線は昨年末をもって廃線となりました、長い間のご愛顧頂きありがとうございました。
バスは廃線になっていた。全国で起こっておるのと同じような過疎化、人員の流出が抑え切れなかったのだろう。統廃合の結果、老人が人生を掛けて生み出した路線バスは、採算が取れないという理由から、あっけなくこの世から消滅したのである。
比較的時間に余裕のある旅であったことので、ここで僕はバス路線を踏破し、一山超えることにした。
徒歩で山を越えるという選択が容易に出て、それを十分吟味しないままに実行するというのは、民俗学を志すものの心の欠陥であるとともに、矜持である。かつて若者が死に物狂いで往復したという道のりを、逆順ではあるが、追体験してみたいと思ったというのもあったのだが。
道がきちんと舗装されていたからであろうか、幸いにして僕は命を落とすということはなかった。
ある程度行った所で、徒歩という選択に若干の後悔の念が起こり、ヒッチハイクなども考慮にいれたのだが、結局一台の車ともすれちがうことはなかった。唯一のバス路線を廃線にするほどの過疎である。車など通るはずもないのだろう。
そして、ほうほうの体で村に辿り着いた僕を待ちうけていたものは、
老人の葬儀であった。
現地調査はいつだって思うように進まない。
創作物を晒すことの恐怖に怯える毎日。
鳴り止まない呼び鈴。郵便ポストを圧殺する郵便物の山。
賃貸アパートの硝子はシュート回転の効いた投石により一枚残らず砕かれ、壁面には「排泄物を世間に晒して、貴方は恥ずかしくないのですか」と流暢な草書体で書き込まれる。
そんな恐怖と闘いながら、私はモノを書くのです。