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「おはようございます、ハロルド様」

 誰かに眠りを妨げられたハロルドは、もう自分の小城ではないことを思い出してハッと目を開ける。

(そうだった……!)

 突然やって来たヴァランに取る物も取りあえず宮殿に連れて来られたのが半日前。そこでハロルドは生まれて初めて父王に会い、たくさんの親族との会食の席で毒を盛られ、真夜中に兄だと名乗る病弱の美しい王子に呼び出されたのだ。ハロルドは寝不足の頭でそこまで考え、ハッとして顔を上げる。

「兄上はッ?」

 慌てて尋ねると、窓際でカーテンを引き開けていたヴァランが視線を向けた。

「大丈夫です。あれからすぐに身体を温めましたので、今はぐっすりとお休みになられております」

「そうか……」

 ハロルドはホッと安堵の息をつき、ベッドから下りる。

「兄上が目を覚まされたら様子を見に行きたい。いいかな」

「構いませんが、その前に……」

 湯浴みをしようと浴室に向かいかけたハロルドは、ヴァランの言葉に立ち止まる。

「その前に?」

「先ほど王妃の側近より言付かりまして、朝食が済んだら参上するようにと……」

「王妃が?」

 ハロルドは眉をひそめて考える。

「王妃が俺に何の用だろう。父王は?」

「同席されるかは聞いておりません」

 それを聞いてハロルドは悩む。イリヤーの言うことが本当なら、自分の食事に毒を盛るよう指示したのは王妃である。その王妃の呼び出しにノコノコ出掛けて行って、もし毒入り紅茶でも出されてしまったら、自分はそれを王妃の目の前で飲み干さねばならない。

「王妃は既に小宮殿でお待ちとのことです」

 小宮殿とは広い庭園の西側にある東屋で、王妃がいつも客人を呼んでは茶会を開いている場所だと言う。

「参ったな……」

 ハロルドは思わず小さく呟く。しかし、いくら考えたところで王妃の誘いを断ることなど出来る筈も無い。ハロルドは湯浴みを済ませて軽く朝食を摂ると、王妃の待つ小宮殿へと向かった。


 小宮殿は白い六本の柱で囲まれた吹きさらしの東屋で、階段を数段上ればどこからでも入れる造りになっていた。ハロルドがむせ返るようなバラの中を進んで行くと、白い椅子に腰掛けて優雅にお茶を飲んでいた王妃が視線を上げる。

「素敵な朝じゃの、ハロルド。早よう此方へ」

 小宮殿には王妃だけでなく、二人の侍女もいた。ハロルドは二人きりではなかったことにホッとすると、小宮殿に足を踏み入れる。勧められるまま王妃の向かいに腰掛けると、白い丸テーブルの中央に飾られた数本のバラから甘い濃厚な香りが漂った。

「昨夜はよく眠れたかえ?」

 ちょっとキツ過ぎるその香りに閉口していると、侍女がすぐに紅茶を運んで来る。しかし、目の前のバラの香りが強過ぎて、せっかくの紅茶の香りがわからなかった。

「はい。ありがとうございます」

 ハロルドは頷いて礼を言い、目の前に置かれたティーカップを見詰める。視線を上げると、青い瞳でジッとハロルドを見詰めていた王妃が口の端を上げて笑った。

(まさか……)

 毒の臭いを誤魔化す為に、わざと匂いの強いバラを目の前に置いたのだろうかと考える。確かにこの状況では毒が入っていても嗅ぎ取ることは難しい。無臭の毒であれば一般的なものなら耐性が出来ているので舌が痺れる程度で済むが、それ以外は危険だ。しかし、せっかく淹れてもらったお茶に口を付けないわけにもいかない。

(何とか口に入れる瞬間に嗅ぎ取れれば……)

 すると、ハロルドの心中の葛藤を楽しむかのように、王妃が目を細めて笑った。

「その茶葉はお気に召さぬか? すぐに別のものと淹れ替えさせるが」

 ハロルドは、いえ、と答えて首を横に振り、口元だけで微笑む。

「頂戴致します」

 そして、カップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。紅茶が口中に流れ込む瞬間、やっとバラ以外の香りがして、ハロルドはそれをコクリと一口飲み込むと、にっこりと微笑んだ。

「良い香りの紅茶ですね」

 それを見て、王妃も目元を緩める。

「そなたを呼び出したのは他でもない」

 『猫撫で声』とは、こういう声を言うのであろう。

「はい」

 ハロルドは表情を引き締めて頷いた。

「そなた、リーザをどう思った」

「……は?」

 いよいよ本題かと身構えたハロルドは、しかし見当外れの質問に思わず目を丸くする。ちなみに『リーザ』とは、晩餐の時に近くに座っていた女性の名前である。

「どう、と申されますと……?」

 思わず問い返すと、王妃が水鳥の羽で作った扇で口元を隠して笑う。

「リーザが聞いたら顔を真っ赤にして怒るであろうな」

「はあ……」

 ハロルドは困って再びティーカップに口を付ける。すると、王妃が扇をパチリと閉じた。

「リーザを妃にどうかと聞いておるのだ」

「はッ?」

 ハロルドは今度こそ瞠目して聞き返す。王妃は手の中の扇を再び開くと、ヒラヒラと優雅に扇いだ。

「決して早くはない筈だ。其方は十八、リーザは二十で年も丁度良い。あれの母親はドルディア国王家の出で、血筋も申し分無いしな」

「いや。しかし、わたくしは……」

 ハロルドが慌てて断ろうとすると、それより早く王妃がピシリと手の平に扇を打ちつけて閉じた。

「まさか其方、ドルディアの血筋が嫌というわけではあるまいなッ?」

 きつい口調で問われて、ハロルドは慌てて言葉を探す。

「いえッ、そのようなことは……」

 とにかく何か言い訳せねばと焦ったその時、ハッハッハと楽しそうな男の笑い声がして、誰かが小宮殿に入って来た。

「あまり苛めるな、レライエ。ハロルドが目を白黒させているではないか」

「王!」

 レライエが急いで椅子から立ち上がり、ドレスの裾を摘んで一礼する。ハロルドも慌てて立ち上がろうとすると、ハザウェルが手を上げてそれを制した。

「よい。そのままでおれ」

「国王陛下におかれましては、今日もご機嫌麗しく……」

「うむ」

 国王はハロルドの言葉に鷹揚に頷くと、二人の間に腰掛けた。

「楽しいティータイムを邪魔してすまぬな。ハロルドが一人で歩いて行くのが見えたので、庭でも一緒に散策しようかと思って追い掛けて来たのだが、まさかレライエと待ち合わせとは思わなかったのだ」

「いえ……すぐに侍女にお茶の用意をさせますので」

 国王の言葉に、レライエが眉を寄せて宮殿を振り返る。どこかで待機していたらしい侍女達が足早にこちらへと走って来るのを眺めて、ハザウェルはレライエに視線を戻した。

「ハロルドの縁談の話だが」

「何かご不満でも」

 レライエが更に眉をキツく寄せて尋ねる。ハザウェルは笑顔で、うむ、と答えて頷くと言った。

「不満と言うのではないがな。ハロルドには既に許婚がおる」

 ハザウェルの言葉に、一瞬沈黙がおりる。

「はあッ?」

 次の瞬間、レライエとハロルドは同時に声を上げた。

「どういうことですか、王!」

 嘘だったら容赦はしない、という気迫でレライエがハザウェルを睨みつける。ハロルドもポカンと口を開けて父王を見た。

「これはハロルドの母親が決めたことで、オレもよくは知らん。年は一つ上だと言っていたから、もう十九になるな」

「十九……」

 ハロルドは父王の言葉にぼんやりと返す。しかし、すぐにハッと目を見開いた。

(もしや、これは自分への助け舟では?)

 許婚と言うのは真っ赤な嘘で、レライエの思惑からハロルドを守る為に咄嗟についたのかもしれない。すると、同じことを考えたらしいレライエがキッと目尻を吊り上げた。

「わたくしは認めません!」

「認めない、とは?」

「ハロルドはわたくしの息子になったのです。ハロルドの妃はわたくしが決めます!」

「おいおい」

 レライエの剣幕に、ハザウェルが苦笑混じりに言う。そしてハロルドを振り返ると、何か悪戯でも思い付いた子供のようにニヤリと笑った。

「そうだ、ハロルド。いい機会だから姫に会って来てはどうだ」

「えッ?」

 ハロルドは父王の言葉に驚いて瞠目する。

「いくら親同士が決めた許婚とはいえ、顔も知らないでは良くないだろう。行ってきちんと挨拶して来るがよい」

「しかし……」

 ハロルドは困惑して父王を見る。すると、レライエが突然パシッと扇で手の平を叩いて言った。

「わかりました」

 怒りを抑えたその声音に、ハロルドはギョッとして王妃を見る。ハザウェルもゆっくりとレライエに視線を戻し、面白そうに次の言葉を待った。

「その姫をここへ連れて参りなさい、ハロルド。わたくしが直々に会います」

「ええッ?」

「ただし、期限は一週間」

 レライエはそう言うと、ハザウェルにゆっくりと視線を移す。

「本当にそのような姫がおるのであれば、簡単なことであろう。のう、ハザウェル王?」

 ニンマリと笑う王妃の顔に鬼気迫るものを感じ、ハロルドは背筋に冷や汗をかく。しかし、王は鷹揚に頷くと、楽しそうに笑った。

「それはいい。オレも是非会ってみたいしな」

「……ッ?」

 ハロルドは目を白黒させて父王を見る。レライエはキリリと奥歯を軋ませると、すっくと立ち上がって侍女たちを振り返った。

「部屋に戻ります!」

 そしてそう言うと、挨拶もせずにズンズンと足音も荒く小宮殿を出て行く。お茶を淹れていた侍女たちは大慌てでハザウェルの前にカップを置くと、二人にペコリと頭を下げてからその後を追い掛けて行った。

「あんな嘘をついてどうなさるおつもりですか、父上……」

 それを呆然と見送ったハロルドは、思わず大きな溜息をつく。

「何の事だ」

 ハザウェルは心外そうに言うと、息子を見て笑った。

「さっきの話は本当のことだ。お前には許婚がいる」

「ほ、本当なんですか?」

 ハロルドは驚いてハザウェルを見る。

「シルフィーヌは何も言っていなかったのか。まあ、それも無理は無い。それを言えば、お前の出生にまで遡るからな」

 ハザウェルはそう言うと、カップに手を伸ばして侍女の淹れた紅茶を一口含んだ。

「折角の茶も、こうバラの匂いがキツくては香りがわからんな」

 そして、顔を顰めてそう言うと、カップを置いて再び口を開く。

「お前の母はアルフヘイムの出だ」

「え?」

 アルフヘイムはドルディア国に滅ぼされた小国である。ハーバザードよりも南に位置し、領土は狭いが作物も豊富で豊かな国だったが、突然攻め入って来たドルディア軍に占領され、噂では王族はことごとく殺されて、民も奴隷として他国に売られたと聞いている。

「では、母上は……」

「王族の唯一の生き残り、王の末姫だ」

 父王の言葉に、ハロルドは瞠目した。

「ところで、精霊族の血を引く一族の話を聞いたことがあるか、ハロルド」

 突然話題が変わり、ハロルドは意表を突かれながらも頷く。

「伝説の亡国のことですね。確かハーバザードよりも南にあったと言われている」

「あれは伝説ではない」

「えッ?」

 ハザウェルの言葉に、ハロルドは驚いて父王を見る。

「その国は『ジブリエル』と言って、王族は特に文武両道に優れ、見目も麗しい一族だった。アルフヘイムは、そのジブリエルと同盟を結んでいた。どちらかが他国に攻め込まれた時にはもう片方が救援に駆けつける約束になっていたが、しかし、二国は同時に襲われた。アルフヘイムもジブリエルもどちらも小国だ。軍事力の強化に全力を注いでいたドルディアに敵うはずもなかった」

「では、ジブリエルも……」

「滅んだ」

 ハザウェルは淡々と答えると、冷めてしまった紅茶を再び口に運んだ。

「アルフヘイムとジブリエルは常に王族間で婚姻を結んでいた。ドルディアに滅ぼされる寸前にも、ジブリエルはシルフィーヌが腹に宿したばかりの子に自国で生まれたばかりの赤子を娶わせる約束をしていたらしい」

「え……?」

 ハロルドは驚いて父王を見る。ハザウェルは頷くと、空になったカップを皿に戻した。

「ドルディアに攻め込まれた時、既にシルフィーヌはお前を身篭っていた。まあ、いわゆる人妻だな」

 ハザウェルが下世話な物言いをして笑う。ハロルドはその言葉にあんぐりと口を開けた。

「ドルディアが両国に攻め入った時、シルフィーヌは出産の為の里帰りの途中だった。お陰で難は逃れたが、彼女は帰る先を失った」

「では……」

 ハロルドは驚愕して言葉を失う。

「そうだ。国境付近に不審な馬車がいると聞いて駆け付けたオレは、そこで供を一人連れただけの無防備な姿で泣き崩れているシルフィーヌを見つけた」

「そして父上は母上を妾と偽り、別邸に匿ったのですね」

 ハザウェルの言葉にハロルドはようやく得心する。だからハザウェルは母のいる小城に来なかったし、そして母もそんなハザウェルを命の恩人として感謝し敬っていたのである。長いこと感じていた疑問が今解けた。

「お前の許婚も、きっと素晴らしい美姫に育っているに違いない。どうだ、行く気になったか、ハロルド」

 揶揄うように覗き込まれたハロルドは、しかし眉を寄せて父王を見返す。

「しかし、ジブリエルもアルフヘイム同様、ドルディアに攻め込まれた時に王族を全て殺されてしまったのではありませんか」

「処刑されたリストの中に赤子はいなかった、と言ったら?」

「……ッ!」

 ハロルドはハッとして息を呑む。ハザウェルは小さく頷いた。

「その姫もどこかで震えて泣いているかもしれん。あの日のシルフィーヌのようにな。だからハロルド、お前は何としてもその姫を見つけ出すのだ。期限は一週間。一週間で姫を見つけて口説いてここに連れて来い。それが出来たら、その時はこの国をお前にやろう」

 ハロルドはハザウェルの言葉にハッとする。今の話が全て本当だとしたら、自分はハザウェルの血を引いていないということになる。なのにハザウェルはハロルドを自分の息子だと皆に言い、あまつさえ王宮に呼び寄せた。しかも、姫を連れて来ればこの国をやるとまで言う。その真意がわからなかった。

「何故そこまで……と言う顔をしておるな」

 ハザウェルが困惑するハロルドを見て楽しそうに笑う。

「大丈夫。オレにも下心はある」

 そしてそう言うと、すっくと立ち上がった。

「すぐに発つがよい。馬と食料を用意させるから持って行け。遠慮は要らん」

「ありがとうございます」

 父王の言葉にハロルドは頭を下げると、宮殿に戻って行く後ろ姿を複雑な胸中で見送った。


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