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晩餐の会場は大広間だった。まるで舞踏会でも開けそうな広い部屋の中央に置かれた長テーブルの周りに、たくさんの王族たちが豪奢な衣装を身に纏って座っている。ハロルドは給仕係の案内でそのテーブルに歩み寄ると、国王から一番遠い席に座った。途端に、そこにいる者全ての視線がハロルドに注がれる。
「皆に紹介しよう。私の息子のハロルドだ」
王の言葉に、あちこちでサワサワと囁き声が起こる。しかし、すぐにピタリと静まると、全員の視線が王の脇に座る女性に向けられた。
「その者は今日からわたくしの息子でもあります。皆の者、どうぞ良しなに」
凛とした声が室内に響く。その途端、皆が一斉にホッとしたように笑んで顔を見合わせたのを見て、ハロルドは彼女こそが王の正室、ハーバザード国王妃レライエであると確信した。
ドルディア国特有のブラウンの髪に青い瞳。同色の青いドレスから張り出した豊かな胸元には、宝石をふんだんにあしらった首飾りがキラキラと輝いている。ハロルドは想像していたよりも若く美しい王妃に少しばかり驚いて、思わずまじまじとその顔を見詰める。一対の青い瞳は宝石のように美しかったが、しかし、まるで血が通っていないかのように冷たい光を湛えていた。
「ここにいる者達は皆、国王の親族です。くれぐれも失礼の無きよう」
王妃の真っ赤な唇がハロルドに向かって微笑む。
「はい」
ハロルドがしかつめらしく頷くと、正面に座っている王がハハハと声を上げて笑った。
「なに、これから毎日顔を合わせるのだ。皆の名前はこれからゆっくり覚えればよい」
そして、両脇にズラリと居並ぶ親族の顔をもう一度眺めると、王は再び大きく頷いた。
「では、晩餐を始めよう」
王の言葉を合図に、どこからか楽の音が流れ出す。隣室の扉が開いて、たくさんの給仕達が料理の皿を持って現れた。運ばれて来た皿の中では旨そうなスープが湯気を立ち昇らせている。ハロルドは給仕係の少女が自分の前に置いた皿を見て、僅かに眉を寄せた。
「……?」
香辛料の香りに紛れて、別の臭いが鼻を突く。ハロルドは小さく溜息をつくと、ナフキンを手にとった。
「あっ……と」
うっかり落とした風を装い、その布を皿に落とす。
「すまない。代わりを持って来てくれないかな」
給仕係を呼ぶと、先程の少女が大急ぎで別の皿を持って来る。しかし、その皿からも同じ臭いがするのに気付き、ハロルドは再び溜息をついた。少し考え、今度はスプーンを皿の中に落とす。
「すまない。別のものを」
すると、ハロルドの一番近くに座っていた金髪美人が面白そうにクスリと笑う。
「意外とそそっかしいのね。それとも緊張しているの?」
瞳は国王と同じ灰色だが、明るい金髪は異国の血が混ざっているのだろう。年はハロルドより少し上に見えるが、親族の中では一番若かった。
「どうやら、そのようです」
ハロルドは苦笑すると、新しく持って来られた皿を見る。今度のスープからは、あの独特の臭いはしない。ハロルドは香草の浮いたスープをスプーンで掬うと、躊躇うことなく口に運んだ。
「ちょっと香草の香りが強いかな」
「そうね。今日のスープはちょっと匂いがキツイかも」
金髪美女がハロルドの言葉に相槌を打つ。
「でも、ここのシェフは腕がいいのよ。どの料理も最高に美味しいわ」
「それは残念」
ハロルドは美女の言葉に思わず呟く。『え?』と聞き返されたが、首を横に振って曖昧に笑った。
「面白い王子様ね。私の名前はリーザ。あなたの従姉よ、よろしく」
リーザがクスクス笑ってハロルドに軽くウィンクをする。
「こちらこそ」
ハロルドは一口飲んだだけのスープ皿を脇に退けると、こっそり溜息をついた。せめてデザートにしてくれれば、他の料理を堪能出来たのにと思う。視線を感じて顔を向けると、国王の隣で一対の青い瞳が、冷たい光を湛えて自分を見ていた。
「食が進まなかったようですね。ここの料理はお口に合いませんでしたか」
大広間を出て部屋に戻ると、ヴァランがハロルドに尋ねる。ハロルドは思わず肩をすくめると、大きな溜息を吐いた。
「実は、舌が痺れて味がわからなかったんだ」
正直に白状すると、途端にヴァランが眉を顰める。
「やはりそうでしたか……どうも様子がおかしいとは思っていたのですが」
ヴァランはそう言うと、更に尋ねた。
「ところで、毒への耐性はどうやって?」
「え?」
「色や臭いを覚えることは誰でも出来ますが、ハロルド様は三皿目を召し上がられた。舌が痺れたと言うことは、無味無臭の毒物が入っていたということでしょう。しかし、貴方様は毒消しを口にされたようには見受けられませんでした」
「ああ……」
確かに一皿目と二皿目には鉱物から生成した猛毒が入っていた。しかし、この毒は毒性は強いが臭いに特徴があり、香草で誤魔化しても嗅ぎ慣れた者にはすぐわかる。
「一口しか食べなかったとはいえ、こうして無事に生きているということは、貴方様の体に毒への耐性が出来ているということです」
違いますか、と尋ねられて、ハロルドはポリポリと頭を掻く。暫しの間迷ったが、ジッと自分を見詰める瞳に観念して小さく頷いた。
「子供の頃、焼き菓子を食べたいと言ったんだ」
母の誕生日になると毎年使者が父王からのプレゼントを持って来るように、自分の誕生日にもやはり使者が何かしらの贈り物を持って来た。それは箱いっぱいのキャンディーであったり、焼き菓子であったりした。だが、その菓子類がハロルドの口に入ることは決して無い。その美味しそうなプレゼントはいつもハロルドの前を素通りし、まっすぐ焼却炉へと行くのだ。幼い頃は不思議に思わなかったことも、自我が目覚めて来ると不満になる。ちょうど十歳になった誕生日の日、とうとうハロルドは『食べたい』と従者にねだった。
「では、お毒見を」
料理長が連れて来たのは自分の息子のダリだった。『お毒見』という意味が何だかわからなかったハロルドは、日頃から兄弟のように仲良くしているダリが連れて来られたのを見て喜ぶ。しかし、ハロルドより二つほど年上で、幼い頃から聡かったダリは、何の為に自分がここへ呼ばれたのかわかっていた。
「これを食べればいいんですね」
ダリは箱いっぱいの焼き菓子を見ると、一番上にあった一つを手に取る。そして、躊躇うことなくパクリとそれを頬張った。
その後の惨劇をハロルドは生涯忘れることは無いだろう。咀嚼した直後に悶え苦しみ、三日三晩生死の境を彷徨ったダリは、奇跡的に命は取り留めたものの、右目の視力を失った。以来、菓子をねだったことは一度も無い。
「幼馴染に毒見役をさせるなんて二度とご免だったから、それからは自分ですることにしたんだ。母には内緒で、こっそり国中の毒を集めさせて色や臭いを覚え、無味無臭の毒は実際に何度も口にして身体に慣れさせた」
それで何度か死にそうになったけどね、と言うと、ヴァランが呆れたように溜息をつく。
「なのに貴方は、自分を殺そうとしている者のいる場所へノコノコやって来たというわけですね」
「それが父王の命令であるなら仕方がない」
ハロルドはそう言うと、自分を観察するようにジッと見詰めていた冷たい青い瞳を思い出した。
「俺を殺そうとしているのは王妃か?」
尋ねると、ヴァランが、しっ、と言って唇の前で人差し指を立てる。
「頭は一つでも手足は無数にあります。どうぞ、王と私以外にはお心を許されませんよう」
「……うん」
ヴァランの言葉にハロルドは頷く。ここには自分のことを良く思う者などいないのだとわかっていた筈だが、きつかった。
「……また鍵を掛けるのか?」
ヴァランが部屋を出て行こうとするのを見て、ハロルドは尋ねる。
「貴方様をお守りする為です。では、お休みなさいませ」
ヴァランが恭しく頭を下げてドアを閉める。カチャリという施錠の音を聞きながら、ハロルドは小さく溜息をついた。