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「ヴァラン」
会食が行なわれる広間へと廊下を歩いていたヴァランは、横合いから声を掛けられて立ち止まる。見れば、右手にある廊下の先のドアが少しだけ開いており、白い手が自分を手招きしていた。ヴァランはこっそり溜息をつくと、そのドアへと進路を変える。
「ヴァラン」
スルリとドアをくぐって後ろ手に閉めると、すぐに白い手が首に絡み付いて来る。急いでその手を外そうとすると、それより早く赤い唇がヴァランのそれを塞いだ。
「レライエ様」
ヴァランは赤い唇から逃れると、しな垂れかかる身体をそっと押し返す。普段から愛想は無いが、いつも以上に素っ気無い恋人の態度に気付いたレライエは、きつく眉を寄せるとヴァランを見上げた。
「ヴァラン?」
「お戯れはもう……王も怪しんでおられます」
ヴァランは静かな声音で言うと、自分の首に絡み付いている手をやんわりと引き剥がす。
「王が?」
レライエは思わず吹き出すと、再びヴァランの首に腕を回した。
「あの夫はもう二十年もわたくしに触れようともせぬのに?」
政略結婚と言うよりは、ハーバザード国をドルディア国の配下に置くための婚姻である。もとより、二人の間に愛は無い。契約通りにレライエが第一皇子を身籠ってからは、寝室の行き来すら無かった。
「とは言え、貴方様がハーバザード国の王妃であることに変わりはございません」
ヴァランは絡みついてくる腕を解きながら静かに言う。その言葉に、レライエの動きがピタリと止まった。
「では、ヴァラン。ハザウェルを殺すがよい」
「……ッ」
ヴァランが微かに眉を寄せる。レライエはニンマリと微笑むと、熟れた身体を密着させてヴァランの耳元に唇を寄せた。
「ハザウェルを殺せばわたくしの息子が即位する。わたくしが国母となれば、誰もわたくしのすることに文句は言えまい?」
「しかし、イリヤー様は……」
レライエの言葉にヴァランが返す。その途端、レライエがサッと身体を引いてヴァランを睨んだ。
「……それ以上言ったら、可愛いお前でも容赦はしないよ」
「申し訳ございません」
一瞬前とは打って変わったレライエの剣幕に、しかしヴァランは慌てることなく涼しい顔で謝罪する。そして、これで話は打ち切りとばかりにドアノブを掴んだ。
「それではわたくしはこれで。会場のセッティングを確認しておかねばなりませんので」
「仕事熱心なことだな」
レライエは腕を組んでその背を眺めていたが、ふと思い出したように口を開く。
「そう言えば、朝からイリヤーの様子がおかしい。何か知っておるか」
一瞬の沈黙の後、ヴァランはドアノブから手を離すとレライエを振り返った。
「今日付けで第二王子の教育係に任命されました」
「……なんだと?」
途端にレライエが瞳を険しくする。組んでいた腕を解くと、眦を吊り上げてヴァランを睨んだ。
「ハザウェルか……ハザウェルだな!」
「はい」
レライエの詰問に、ヴァランは短く答える。レライエはギリリと歯噛みすると、ズイとヴァランに詰め寄った。
「許さぬぞ、ヴァラン。お前は第一王子イリヤーの教育係。イリヤーの為に働き、イリヤーの為に命を捧げるのがお前の務めぞ!」
「残念ながら……」
レライエの言葉に、しかしヴァランは『否』と答えて畏まる。
「ヴァラン!」
すっと背を向け、ドアを開けて出て行く後ろ姿を、レライエは燃えるような目で睨んだ。