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「あの女の息子を迎えに行かせたというのは本当ですか、王!」
夕暮れを過ぎて夜の帳が下りる頃、ハーバザード国の王妃レライエが凄い剣幕で夫の居室に飛び込んで来た。
今宵のレライエはブラウンの髪を高く結い上げ、お気に入りの青いドレスを身に纏っている。ほっそりとした白い首には、新しく求めたと思われる見事な宝石をふんだんにあしらった首飾りが眩く輝いていた。しかし、せっかくのその美しい装いも、鬼のような形相に仁王立ちでは台無しである。彼女の後ろでレライエ付きの侍女たちがオロオロと手をこまねいているのを見て、ハーバザード国王ハザウェルは内心で溜息をついた。
銀に近い灰色の髪に同色の瞳。四十になったばかりの外見はまだ若いが、その威風堂々とした姿はまさに一国の王のものである。
「あれももう十八だ。いくら妾腹とは言え、自分の息子をいつまでも野放しにしておくわけにもいくまい。それなりの教育もしなければならんしな」
ハザウェルの言葉に、途端に王妃がギリッと歯噛みする。そして、凄い形相で自分の夫を睨み付けると、後ろを振り返って大きく手を振り、侍女達を下がらせた。
「わかっているとは思いますが、この国が今のように平和でいられるのはわたくしがいるからです。わたくしの祖国ドルディアの後ろ盾が無ければ、この国なぞあっという間に周辺諸国に攻め込まれてしまうのですからね」
もともと気候も厳しく、資源にも恵まれていなかったドルディア国は、周辺の国々に攻め入り、侵略することで富を増やしてきた。そのやり方は残忍で、ドルディア国に占領された国々では王族はことごとく殺され、比較的裕福な商人などは財産を奪われて厳しい税を課せられただけで済んだが、貧しい民は奴隷として売り飛ばされた。もちろん、気候も穏やかで作物も豊富に実るハーバザード国は真っ先にターゲットにされたが、ハザウェル王はドルディア国の姫を妃に迎えることで戦乱を回避したのだった。
(そうなれば、周辺諸国ではなくドルディアこそが真っ先に攻めて来るであろうに)
ハザウェルは胸の内で苦く笑う。そこへ、使者の帰城が家臣によって告げられた。
「ヴァランか!」
途端にレライエが踵を返す。そして、足早に部屋を飛び出すと、靴音を響かせながら廊下を遠ざかって行った。
「やれやれ……」
レライエがこのまま大人しく引き下がるとは思えない。一人になったハザウェルは思わず大きな溜息をつく。シルフィーヌとその息子のことを思えば、このままあの辺境の城で過ごさせてやるのが一番なのはわかっているのだが、それでもハザウェルはこの国の王として、どうしてもハロルドを呼び寄せる必要があった。
(オレを許してくれるか、シルフィーヌ……)
ハザウェルは再び深い溜息をつく。記憶の中にある美しい異国の姫の面影は、いつも静かに微笑んでいた。