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 昔、南の地にエルフの血を引く一族があった。見目麗しく、機知に富み、武術にも長けていた一族は、『臣下に迎えれば忠実最強の戦士となり、妃に迎えれば英知美麗極まりなし』と謳われたが、しかし、豊かな土地を欲したドルディア国に攻め入られ、一夜にして亡国となる。



「ホイホイホイ! 行ったぞ、ネイロ!」

 鬱蒼と茂る森の中、右手の方から獲物を追う若者の声が聞こえる。

「そのまま追い立てろ、ダリ! 左左左!」

 ネイロと呼ばれた若者が左手の森の中から返すのが聞こえ、二人の声が確実にこちらへ近付いて来るのを確認した青年は、手にした小弓の弦を引き絞ると、森の外の藪の影で獲物が飛び出して来るのを待った。

 背が高くてほっそりしているが、服の下の筋肉は適度に鍛えられている。腰に帯びた長剣と高級そうな衣服とで、それなりの家柄なのが一目でわかる。髪の色はこの国では神聖な色とされている銀で、海の底のような深い蒼の瞳が印象的だ。小弓の弦に据えられているのは矢ではなく小石で、これを野ブタやイノシシの眉間に当てて仕留める。小弓を教えてくれたのはネイロだったが、十八歳になった今では誰にも負けない自信が青年にはあった。

「行きましたよ、ハロルド!」

 ネイロの声がして、突然森の下生えがザザザッと音を立てて揺れる。小弓を構えて今にも指を離そうとしていたハロルドは、しかし、すんでのところで構えを解いた。

「ポニー?」

 飛び出して来たのは黒毛の小さな馬だった。子馬のようだが、たてがみが長く、黒いサラサラした毛が大きな瞳の間にかかっている。子馬はハロルドから五メートルほどの所で立ち止まると、棒立ちになって自分を見詰めている人間を大きな瞳で見詰め返した。

「綺麗だなぁ」

 そのあまりの美しさに、ハロルドは思わず感嘆の声を漏らす。弓を足下に置いてそっと右手を差し出すと、子馬はゆっくりと瞬きしてから数歩小さく歩み寄った。

「おいで。何もしないから」

 そっと囁くように言い、柔らかく微笑む。子馬はジッとハロルドを見詰めていたが、不意にパッと身を翻すと、再び森の中に飛び込んでしまった。

「あッ?」

 その瞬間、額にかかっていた黒いたてがみが風になびく。チラリと見えた白い影は、紛れも無く生えかけの角だった。子馬と入れ違いに森の中から飛び出して来た二人の従者は、呆然と立ち尽くしているハロルドを見つけると、ちょっと驚いたように目を丸くしてから慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか、ハロルド?」

「珍しいな、ハロルドが仕留め損なうなんて」

 真っ先に怪我が無いかを確認したのが、黄色い髪で右目を隠した小柄な青年ダリで、冷やかすように笑いながら慰めの言葉を掛けたのが、茶色い髪に長身のネイロである。ハロルドは自分よりもいくつか年上の幼馴染たちを見遣ると、まだ呆然としたまま呟いた。

「凄いぞ、ネイロ、ダリ。俺はユニコーンを見た」

「はあ?」

 途端にネイロが素っ頓狂な声を上げる。しかし、ダリはパッと破顔すると、嬉しそうに微笑んだ。

「それは凄いです。ユニコーンを見た者は幸せになれると聞いたことがあります。きっと願い事が叶いますよ」

「願い事か……」

 途端にハロルドの笑顔が曇る。しかしそれも一瞬で、足下の弓を拾い上げて二人を振り返った時には、もういつもの屈託の無い笑みに戻っていた。

「城に戻ろう。そろそろ午後のお茶の時間だ。きっと母上が探していることだろう」

 口笛を短く吹いて、少し離れた場所で草を食んでいた愛馬を呼び寄せる。三人は馬に跨ると、丘の上に立つ白い小城に向かって先を競った。



「ヴァランと申します。王の命令で貴方様をお迎えに上がりました、ハロルド王子」

 城に戻ると見知らぬ使者が待っていた。短い黒髪に黒の上下をかっちり着込んだ三十代半ばくらいの男で、ハロルドの姿を見とめると形ばかりの礼をする。その横で、薄菫色のドレスを纏い、緩やかに波打つ黄金色の髪を腰まで垂らした母シルフィーヌが、心配そうに両手を握り合わせて立っていた。

「ただいま戻りました、母上」

 ハロルドは母親に歩み寄ると、頬に口付けてから使者を振り返る。

「いきなり急だな。何かあったのか」

 父王からの使者が来るのは年に二度、母と自分の誕生日の時だけである。既に正妻がいた王は、新しい側仕えが自分の子を身篭ると、すぐにこの辺境の別邸に追いやった。そして、親子の誕生日にだけ高価な宝石やドレスや豪華な焼き菓子を使者に持たせて寄越すのだ。しかし、父王がこの城を訪れたことは一度も無い。城には執事をはじめ、召使いやコックや庭師もいて生活に不自由は無かったが、父王に会ってみたいという気持ちはいつもあった。と同時に、母を顧みない父王を恨んでもいた。しかし、なぜか母は父王を恨んでいるようには見えず、そればかりか、今でも顔すら見せに来ない父王のことを慕っているように見受けられるのだ。ハロルドには母の心が理解出来なかった。

「詳しいお話は王にお尋ねください。とにかく、お早めにお支度を」

 ヴァランはそう言うと、一瞬言葉を切ってから続ける。

「もう戻れないとお思いください。そのお心積もりでどうぞ」

「……どういうことだ」

 途端にハロルドが顔色を変える。すぐ傍で母親も息を呑むのが聞こえた。

「そのお心積もりで、と申し上げただけです。服も調度も従者も向こうで揃えます。貴方様は御身ひとつで結構。五分だけ待ちます。私は馬車におりますので」

 ヴァランはハロルドの問いに無表情に返すと、足早に部屋を出て行く。残されたハロルドは戸惑ったように母親を振り返った。

「どういうことなのですか、母上」

 事情の説明を請うと、シルフィーヌは一瞬躊躇ってから、意を決したようにハロルドを見上げる。

「私の部屋にいらっしゃい、ハロルド。渡したいものがあります」

 そしてそう言うと、急ぎ足で自室に向かった。ハロルドは釈然としないながらも、仕方なくその後に続く。シルフィーヌはハロルドを自分の寝室に招き入れると、天蓋付きベッドの脇にある大きな鏡台の前に息子を呼んだ。

「ここへ、ハロルド」

 そして、鏡卓から小さな箱を取り出すと、中から小さな無色透明の石が下がったペンダントを取り出す。

「これは?」

 ハロルドは差し出されたペンダントを受け取り尋ねる。

「この石は『精霊石』と言って、とても大切なものです。あなたが成人した時に渡すつもりで、今まで預かっていました。これをお守りと思って肌身離さず。きっと貴方を守ってくれるでしょう」

「今生の別れのようなことを言わないでください、母上」

 ハロルドは母親の言葉に思わず笑った。

「すぐに母上も城にお呼び致しますので、待っていてください」

 そう言って柔らかな頬に口付けると、シルフィーヌが微かに微笑む。

「さあ、お行きなさい。あまり待たせてはいけません」

「はい」

 ハロルドは頷くと、ペンダントを首に掛けて服の中にしまう。そして、もう一度シルフィーヌの頬に口付けると、母親を残してその部屋を後にした。


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