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「連載版」「地味で退屈な女」と婚約破棄されたので、鍵束と管理簿だけ置いて静かに去りました。……禁書庫が開かないのは私のせいではございません  作者: 夢見叶
第1章 禁書庫が黙った翌朝

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第2話 赤字の2文字が、静かに刺さる

 手の中の7つの鍵が、冷たかった。


 廊下を歩くたびに指の腹に食い込む金属の重さが、いつもより鮮明だった。持ち方が変わったわけではない。今日の私が変わったわけでもない。ただ、これを最後に握るということを、私はもう知っている。


 禁書庫管理官室は、王宮の最も奥まった一角にある。日中でも陽が差さず、石灯台の光だけが部屋の隅を照らしている。着任した初日に「暗いところですね」と口にしたら、先任の管理官が「文書は光で傷む」と一言だけ返した。それ以来、暗さを不便と思ったことはなかった。


 扉を開けた。


 誰もいなかった。当然だ。私以外に、この部屋を訪れる者はほとんどない。5年間、そうだった。


 執務机の前に立ち、手の中の鍵を置いた。


 音を立てないように、鍵の腹から先に。1つずつ、丁寧に。並べ終えると、7つが机の上に等間隔で収まった。夕方の光の外で、金属だけがわずかに光を拾っていた。


 次は管理簿だ。


 棚から7冊を取り出す。貸出記録、封印履歴、温湿度管理、修繕台帳、照会対応録、鍵番号照合簿、刻印状態記録。5年分の記録が、ぎっしりと詰まっている。1冊ずつ机に並べ、背表紙を指の腹でなぞった。


 こういう仕草を、私はいつからか無意識にするようになっていた。背を指でなぞると、どの台帳かすぐわかる。表紙の傷み具合で年代がわかる。どのページに何が書いてあるか、大体は記憶の中にある。


 6冊目の表紙の右端に、小さな折り癖があった。


 私が付けた癖ではない。5年かけて、いつの間にか生まれていた癖だ。誰が触れたわけでもなく、ただ台帳がそこに在り続けた痕跡だった。よく見なければ気づかない。私以外には気づかないだろう。


 ……気にしても仕方がない。台帳は引き継ぐ。次の管理官が使うものだ。


 引き継ぎ注記の束を広げ、ペンを手に取った。


 3ヶ月。新任の管理官が魔力刻印を習得し、錠前7つすべての鍵照合を完了するまでの所要期間だ。これは私が経験から算出した数字であり、魔力量や習熟度によって前後する。書くべきことは書いた。残すべき注意書きはすべて残した。


 赤いインクで追記する手が止まった。


 引き継ぎ注記の最後のページに、挟んであったものがある。半年前に提出した上申書の写しだった。正式な提出書類は決裁を経て返却されているはずだが、私は自分の分として写しを取っていた。


 決裁欄に、赤字がある。


 筆跡は斜めで、短い。2文字だけ。


 ――不要。


 見慣れた文字だった。見慣れすぎていて、最初はもう何も感じないと思っていた。だが、今日この引き継ぎ注記と並べて見ると、少しだけ意味が変わって見えた。


 後任不要、と彼は判断した。3ヶ月かかると書いた上申書を、読みもせずに突き返した。


 (……そうか)


 つまりこの「不要」は、3ヶ月という時間も含めて不要だということだった。私が計算した数字を、彼は存在しないことにした。


 私はその紙を、引き継ぎ注記の束の中に静かに戻した。


 次の管理官が見つければ、見つけるだろう。見つけなくても、私には関係のないことだ。


 辞表を封書に入れ、封蝋を押した。


 炎で熱した蝋が固まっていく様子を見ながら、これで全部だと思った。鍵。管理簿。引き継ぎ注記。辞表。5年間この部屋で扱い続けたものが、机の上に整然と並んでいる。


 私は自分の引き出しを開けた。


 中に残っているのは、インクの予備と筆の交換品と、折りたたまれた1枚のメモだ。新任だった頃に先任管理官から受け取った、鍵の扱い方の覚え書き。私はそれをそっと元の場所に戻した。


 引き出しを閉める。


 「名前まで置いていくほど、私は器用ではありません」


 声が出た。誰に言うつもりもなかった。口から出てしまった言葉は、誰もいない部屋に吸い込まれた。


 感情の別れ、というものは、きっとこういう形ではないのだろう。泣いて、怒鳴って、後悔して、それでもう1度だけと願う。そういうものなのだろうと、本の中では読んだことがある。


 でも私には、それをする気力が残っていなかった。残っている気力は全部、この引き継ぎに使い切った。


 机の前に立ち、全部揃っていることを最後に確認する。7つの鍵。7冊の管理簿。引き継ぎ注記の束。辞表。


 全部ある。全部置いた。


 「……引き継ぎは以上です」


 誰もいない部屋に向かって、私は言った。


 言い終わって、少し間があって、自分で小さく咳払いした。誰もいないのに、律儀なことだと思った。


 扉を閉めるとき、石灯台の光が揺れた。


 廊下に出ると、靴の音だけが響いた。7つの鍵を握っていない手が、思ったよりも軽くて、少しだけ奇妙な感じがした。


 「私の仕事は、終わらせました。……最後まで」


 それだけが、私の誇りだった。


 回廊を歩きながら、出口の方角へ進んだ。振り返らなかった。


 明日、誰かがあの部屋の扉を開ける。管理簿を手に取る。引き継ぎ注記を読む。そして7つの鍵を手に持って、禁書庫へ向かうだろう。


 そのとき、扉がどうなるかは――


 私はもう考えないことにした。


 王宮の出口が見えてきた。その先には、夕暮れの空がある。


 明日から私は、ここにいない。


読んでいただき、ありがとうございます。


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