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この世には知るべきではないことがある
───暗い寝室 目が覚めるが体は動かない
金縛りだ
最近はよくなる
いつものことだと目をつむり そのまま寝ようとする
遠くから声が聞こえる
「──ァ・・! ──ァ・・!」
よく聞き取れない
「おぎゃぁ・・! おぎゃぁ・・!」
赤ん坊の泣き声だ
鳴き声は徐々に大きくなる
近づいてきている・・・
私は怖くなってきた
「おんぎゃあ!! おんぎゃあ!!」
ついに 鳴き声は耳元まで迫り その大音量に鼓膜が破れそうになる
ハッと目を開けると 私の首の両側に二人の赤ん坊が立っていた
斧を振りかぶり 邪悪な笑みを浮かべて・・・
斧は動けない私の首めがけて 振り下ろされる
刹那 私は金縛りが解けて 目を覚ました───
安田雄吾は若くして成功した経営者で それなりに裕福な身の上だった
この日 精神病棟を訪れたのは 古い友人のためであった
友人の名は橘智樹
彼とは学生時代からの友人で 腐れ縁だった
今は統合失調症で幻覚や悪夢に苦しめられており 社会復帰もままならない
そんな彼を心配してのことだった
入院してから3年 何度か見舞いには来ていたが 久しぶりに会う
面会室は小部屋になっており いつもそこで会った
「具合はどうだ?」
「・・・安田か 相変わらずだよ」
橘は力なく答える
「お母さん 癌なんだって?」
「ああ ステージ4らしい・・・ 余命はあと半年だとさ」
橘は 疲れ切って うんざりしたように言った
橘の父親は2年前に亡くなっている
当人が統合失調症で母も余命僅かという危機的な状況だった
安田は それを知り 何か力になれないかと 見舞いに来たのだ
「・・・何か手伝えることはないか?」
「何もない と言いたいところだが 実は話をきいてほしい」
「話?それくらいなら いくらでも」
「他には話せないことなんだ・・・」
橘はおもむろに話し始めた
「俺が子供のころ住んでた家があるだろ 安田も来たことある」
「九州の?」
「そう で今は新しい家を建てて家族はそっちに住んでる」
「だから そこを”旧実家”と呼んでるんだが・・・」
「この旧実家が異常なんだ」
「何が異常なんだ?」
安田が覚えてるのは 山の裾にある平凡で小さな2階建ての家だった
「子供のころから 金縛りにあったり 悪夢を見たりしてたんだが・・・」
「家を出てあちこちに住んでも あの旧実家に夢で呼ばれるんだ」
「夢で呼ばれる?」
「夢の中で 気づくと 旧実家にいるんだ」
「そして いつも不穏なことが起きる」
「不気味な敵と戦ったり 薄気味悪いことが起きる」
「今もそうなんだ 毎晩のように 夢であの家に呼ばれる」
「ただの夢だろ?」
安田は訝しんで聞いた
「夢なんかじゃない 現実だ・・・」
「その証拠に夢で怪我をすると 現実でも同じ個所が痛むんだ」
安田は病気のせいではないか?と思ったが 話を聞くといった手前 最後まで聞くことにした
「あの土地は忌み地なんだ ずっと古い時代には大穴があって
そこに人間の死体や 動物の死骸を捨ててたんだ」
「それをどうやって確かめたんだ?」
「確かめたというか霊視だ・・・」
橘は統合失調症になってから 自分は霊能者になったと思っている
安田もそれは知っていたので 先を促した
「それで?」
「そう 度々あの家に呼ばれ 悪夢を見るのが嫌になって 霊視したんだ」
「すると その大穴が見えてきた 古代の人間が死体を大穴に投げ込んでる映像が・・・」
「地下には祭壇や邪神像があり 悪魔崇拝のような儀式が 行われていた」
「そして あの家はいくつかの異次元・・・魔界につながってるんだ」
「魔界?」
「そのようなものだ 魔物が跋扈してる世界」
「その異次元から魔物があの家に流れ込んできてるんだ」
「そして 自分には あの土地を浄化する使命があるんだ」
橘はまくしたてるように言った
「・・・」
さすがに安田も言葉なく押し黙った
「・・・おかしなことを言ってるのはわかっている しかし そうとしか言えないんだ」
「それで・・・ 今 俺は神々との縁もあって 土地の浄化を手伝ってほしいと頼んだんだが 魔物が強すぎて助けることはできないと言われてて・・・」
「こんな話を信じてくれとは言わない ただ 伝えておきたかったんだ おまえには・・・」
橘は力なく呟くように言った
安田は学生時代からのつきあいで橘のことをよく知っている
橘は気分屋で怠け者だが 思考は論理的で 性格は誠実 嘘が嫌いな人間だということを
だとすると 橘は言葉の通り それらを見たのだ
たとえそれが精神病による幻覚だったとしても そこだけは信用できた
しかし 太古の儀式だの 魔物だの 神々だのを 受け入れるつもりはなく
かといって 否定することもできず
安田は思案の末 一つの提案をした
「じゃあ その旧実家 俺のほうで調査してやるよ」
橘は驚いて何も言わなかった
調査結果が出れば 橘も納得するだろう
そして彼が少しでも前に進めればいいと 安田は思ったのだ