平和の監獄③
男の足は前へ前へと進んでいく。どうやらアルド王国に向かっているようだった。
彼も先の老婆たちのように平和を求めてやってきたのだろうか。
歩ける足を持っているというのに。走れる足を持っているのに。生きるすべを持っているのに。彼らにはそれがなかったのに。平和を、安心を求めるのは傲慢だとは思わないのか。
それでも男は歩いた。
死体の台地を何キロも歩き続けた。
震える足を引きずりながらも歩き続けた。
そう彼もまた戦争の被害者なのだ、たとえ安心を求めたところで非難されることはない。だが、彼のその風貌は生に絶望し、希望を失ったように見えるが、そこには何か特別な思いがあるようにも見えた。
なぜ彼はあの国を目指すのか。
なにが彼を突き動かすのか。
突然、男の足が止まった。
どうしたのだろうか。
「おい、隠れてないで出てこい」
男が闇に言い放つと死体の中から何人もの男が出てきた。
先の老婆たちとは違いなんとナイフを持っている。
旅人を襲う盗賊だろうか。
空気が凍る。
男たちは何やらひそひそと話しているようだった。
すると、盗賊の一人がナイフを向けながら距離を詰めてきた。
「お前さ、死にたくなかったら持ってるもん全部よこしな」
さすがの盗賊もいきなり斬りかかるような暴挙には出なかった。
なにせ、相手は隠れている自分たちを闇の中で見つけたのだ。達人か彼かの戦争に参加した戦士か、とにかく黒のマントに身を包むあの男はかなりの戦士に違いないのだ。
だが、
「それは無理だ」
そこまでは賢かった。
「アン?お前、これが見えないの。ナイフだよ」
男の首元に突き付ける。
ナイフは少しサビていて刃こぼれ一つない。
しかし、盗賊は思いもしなかったのだ相手がそれほどの戦士おとこならば、
「見えてるさ」
ナイフなど恐るるに足らぬことを。
刹那。
山賊の首が宙にはねた。
戦士おとこの手にはナイフが握られていた。
彼はまた、迷いなく足を前へ伸ばした。
山賊は予感した死というものを、だからそれを否定したくて一人が、
「やっちまえッ!!!!!!」
そう怒鳴るように言った。
仲間の死に動転している彼らに知性は残っていなかった。
そして、掛け声とともに山賊は一斉に駆け出した。
そして彼らは二度と目を覚ますことはなかった。
「ふー」
一つ息をつく。
その手にはもうナイフはなく殺人の感触を握るだけだった。
「‥‥‥」
ただ、そんなものから逃れたくて彼は手を震わせた。
アルド王国に辿り着くまでに幾度も彼は血に濡れた。そのたびにやはり手を震わせて、やがて嗚咽を漏らすようだった。
そうして辿り着いた国は壁で囲われていて城門すらない。
これじゃ本当に監獄だと彼は思った。
入口がないなら仕方ない。彼は足に力を入れジャンプすると、その六メートルにもなる城壁に軽々と飛び乗った。
びゅうびゅうと風が鳴いている。
真夜中、戦争の後の空に月は見えない、この地球ほしを照らす星の輝きすらももはや数えるほどしかない暗闇だった。しかし、男が見下ろすこの国は人工的な光で明るく彩られている。
男はマントをたなびかせ、薄明りを背にギリリと歯ぎしりをした。
国王ドー・キュラーはこの国によそ者が紛れ込んだことを察知していた。
彼は独り、暗い暗い王の間の椅子に座っていた。
王の間には窓がなく入り口から壁の両側にずらりと並んでいる松明だけで明かりを確保しているようだった。しかし、今この部屋では椅子の両側にあるかがり火のようなものに火が灯っているだけだった。
「よそ者か」
おそらくキ・ュ・リ・ア・の・兵・士・だな。だが、一人だけでこの私を殺せると思うなよ。それがいかに思い上がった行為だと思い知らせてくれよう。
「ふふふ」
「おや、ご機嫌ですね。どうなさったのです」
「ん。ブラムか」
ドー・キュラーの側近であるブラムがいつのまにか彼の目の前に立っていた。
「よそ者だ。おそらくキュリアの兵士であろう。ほかの三騎士をここ王の間に呼べ」
「承知」
ブラムはそう言い残すとすっと闇に消えた。
また独り。彼は目を閉じた。
瞼の裏に浮かんでくるのは今までの苦悩、これからの未来、そう野望の果て。
そうだ、この国の王位を継いでようやっと見えてきたのだ。しかも、この世さえも今はこのドー・キュラーに味方している。私がいったいどれだけ待ち望んできたことか。
「私の邪魔はさせんよ」
ふははと悪趣味に笑う。
火の光で写された影がまるで悪魔に見えた。