第一章 ニートのたしなみ―1
「あぁぁめぇぇにぃぃ、ぎょおぉぉてんっ」
まただ。今日も外から聞こえてくる。
窓の外を見ると、白いレースのカーテン越しにもわかる晴れ渡った空。部屋の中に光が漏れている。
「あぁぁめぇぇにぃぃ、ぎょおぉぉてんっ」
どこかのばあちゃんのスピーカーを通した声だ。それが一定のリズムで繰り返される。
ばあちゃんがトロッコでも引いて何かを売り歩いているのだろうか? それともスピーカーの声だけばあちゃんで、おっさんが車で売り回っているのだろうか?
俺の勝手なイメージとしては前者だけど、現実的には後者か。しかし、何を売り回っているのだろう?
「あぁぁめぇぇ」はわかる。飴だろう。でも、「ぎょおぉぉてん」とはなんだ?
ぎょうてんか? なんだそれは?
俺の少ないボキャブラリーでは、びっくり仰天の「ぎょうてん」くらいしか思いつかない。とにかく飴と何かを売っているのだろう。
俺がいつものように部屋の中で悶々と考えていると、やがてその声は小さくなり、聞こえなくなった。
俺、竹田純也。二十四歳。引き篭もり。
この三年間、自分の家から出ていない。大学の時、就職活動に失敗してから家から出られなくなった。トイレと風呂、部屋の前に置かれる食事の載ったお盆を取るとき以外で、自分の部屋を出た記憶もない。
引き篭もりになった原因は、就活に失敗したからだけじゃない。就活中に知り合った同じ就活中の女の子に振られたことも原因かもしれない。
俺がある会社の面接に落ちて、その子はその会社に受かった。だけど、それでもその子は励ましてくれたし、就活中も比較的話が弾んでいたと思うし、いい雰囲気だったと思う。だから、もしかしたらと勘違いして告白した。
そしたら、その子の言い訳はこうだ。
「私、社内恋愛したいから……」
なんて体のいい言い訳だろう。状況にぴったりだ。頭いいなと思った。勘違いした自分が恥ずかしかった。
五十社受けて全部駄目で、女の子にも振られた。人間として男として、自分の全てを否定されたと思った。
悪いことは重なるもので、就活中にじいちゃんが死んだ。内定の報告もできず、ふがいない孫だと思う。じいちゃん、心残りだっただろうな。
……いかん、過去を回顧しすぎると腐る。
それにしても、「ぎょおぉぉてん」とは何か? 気になる。
その一、コミュニケーション
俺のような引き篭もりの、唯一の他者とのコミュニケーションといえばネットだ。中でも匿名掲示板はよく利用している。まあ、コミュニケーションといえるかどうかは疑問かもしれないけれど。
でも、こういう匿名掲示板には、争いも絶えない。
この間も絡まれた。ここが殺伐とした荒野の一面を持つことがあることも忘れ、のん気に書き込みをしたときのことだ。
俺「やっぱ橘愛子は可愛いわ」
(橘愛子とは俺がファンの声優のことだ)
荒らし「出たよ。信者が」
(荒らしだ。出くわすとあいかわらずドキドキする)
俺「別に信者じゃないけど、好きで悪いか」
荒らし「悪いというか、おまえの趣味は悪いな」
(かちーんときたね。匿名を利用した典型的なネットで憂さ晴らしの奴だ)
俺「橘愛子好きでどこが趣味が悪いんだよ。俺趣味いいほうなんだけど」
荒らし「あんな女、崇拝しといて、どこが趣味がいいんだよwww おまえの趣味がいい証拠出してみろよ」
俺「おまえ、ネット弁慶だろ」
荒らし「はあ? ここも社会の一部なんですけど。それより俺の質問に答えろよ!」
(でたよ。質問に答えろよ。こういう奴には抽象的なことを答えても必ずアラを見つけて、また質問に答えろよ、とくるからな。まともに質問に答えてはいけない)
俺「本当の社会じゃ責任を持たずに発言できないんだ。 悪口ばっか書きやがって。ここは社会じゃない!」
荒らし「責任は持ってる! 捕まる奴だっているんだ! それより俺の質問に答えろよ、こら」
俺「見えない相手を中傷することのどこが責任だw 責任がないから中傷できるんだろうが。ここは社会じゃない!」
荒らし「いーや、この世に存在するものは、存在する以上社会の一部。全てリアルなものだ。それより俺の質問に答えろよ、うそつき君www」
(ここだ。こういう手合いをとっちめるのは実は意外に簡単なのだ。これから俺の一部始終を見ておいて欲しい)
俺「じゃあ、バーチャルゲームの世界はリアルなのか?」
荒らし「意思を持ってこの世に存在しているものは全てリアルなものだ。それより質問に答えろよ」
俺「じゃあ、やかんは意思を持っていないからリアルじゃないのか?」
荒らし「それより俺の質問に答えろよ。答えられないの? うそつき君。自分の発言くらい責任持てよ。答えられないなら発言するなwww」
俺「あれえ? 答えられないの? 自分の発言くらい責任持とうよw 俺の質問に答えろよw」
まあ、不毛ないい争いだ。ああいえばこういう。粗探しだ。でも、これでいい。
こういう荒らしの目的の一つはとにかく質問攻めして、答えさせることで自分の命令に従わせた気になり優越感に浸り、更に質問攻めして答えられないことを嘲笑しようというのだ。ストレス発散目当てだ。
でも、いったようにこういう手合いをとっちめるのは意外に簡単なのだ。
こちらも向こうの粗を無理やり探して、こっちも「質問に答えろよ」と質問(命令)を返す。注意して欲しいのは、よほど確実なデータ(ソース)でもない限りは、決して質問に答えないということ。荒らしは必ず粗を探してくるし、こちらの目的は荒らしと同じやり方で屈辱を与えてやること。こちらが荒らしの質問(命令)に答えないことで向こうはよりイライラする。
はたから見れば、下らない意地の張り合いだろう。はたから見ている奴らの中には、「もういい加減にしとけ」と喧嘩の仲裁に入ってくれる奴もいる。でも、それで止めるわけがない。とにかく続けるのだ。相手がうんざりしてくるまで。
荒らしが俺と同じ引き篭もりでもなければ、学校か仕事があるから焦りだすはずだ。
荒らしはいずれ俺はいつまでも書き続けるぜ的なことや、議論を続けるために時間を指定してくるだろう。そうしたらこちらの作戦は九割がた成功したも同然だ。時間が無いのを焦っている証拠なのだ。余裕を見せることでこっちにげんなりしてもらい、逃げて欲しいのだ。時間を指定しておきながら逃げ出す可能性も高い。同じ引き篭もりにしても疲れて眠くなっていてつらいからカマをかけているんだ。そういう奴には逃げるなと書いてやってもいい。そして、こう書くんだ。
俺「答えてくれたら、俺も答えるのに。俺、答えあるんだぜ?」と。
で、そいつはいい加減うんざりしてきているので何か答えるだろう。そうしたらこう返す。
俺「よ~しよし、よく俺の命令に答えたな。おまえは俺の命令どおりに従ったわけだ。おまえは自分で俺を自分のご主人様だと認めたわけだ。そんな下僕になんか何も教えてやらねえよwwwwwww バーカバーカ」
そして、おさらば。荒らしの答えが論理的だろうが完璧だろうが関係ない。荒らしがサディスティックに望んでいるように、命令に答えさせることが目的なのだ。思い通りになってこっちの気は晴れたし、そいつはカンカンになるし、多分、「逃げるな!」とか書き込まれているかもしれないけれど、そいつはズタズタになっていると俺は思っているし、もう何を書かれてても見ないし、勝って優越感に浸ったままでいられるから。
……俺も寂れてるな。
その二、生活のリズム
引き篭もりをやるには、生活のリズムを整える必要がある。
ずっと夜型にしていて、ある時間帯にゲームをするとする。しかし、このままじゃいかんと昼型にする。しかし、夜型のほうが長かったので、すぐに戻る。また昼型にする。
こんなことをすると、ゲームをする時間帯もコロコロ変わる。するとある時期、昼型にしたときに、あれ、今日もうゲームしただろうか? とすぐにはっきりしないことがある。そうすると人と接してないからボケてきたのか、とか危険を感じるが、実際はゲームをする時間帯が昼型のときと夜型のときでずれているため、夜型のときの習慣でしたような気がしているだけ。ボケてもいないのにボケたような気がして、気分が滅入る。これは避けなければいけない。
気合を入れて勉強でもしてないときの人間の記憶力なんて、たいしたことはないのだ。生活のリズムを整えて、何かをやる時間を決めておいたほうがいい。
ちなみに俺は最初夜型だったけど、今は昼型にしている。昼型のほうが頭が回るらしい。とはいえ、夜型のほうがいいという人もいるから、なにごとも十把一絡げに考えられないのだと思う。
その三、発声
新聞には目を通す。世の中の情勢は知っておきたい。浦島太郎状態は避けたいのだ。ネットでもいいのだけど、新聞を読む一番の目的は社説を読むことだ。そこに一番注目されているネタがあるからとかいう訳じゃない。
社説を音読するためだ。声出しの訓練だ。
一日中、誰とも声を交わさないことがほとんどだから、話す能力は衰える。それを補うためだ。
社説は小難しいことや単語も多いので勉強になるし、速読は脳を活性化させるのにいいらしい。
音読は十分くらいするといいらしい。気になる記事も今度は普通の速度で声を出して読む。社説が難しいという人は、自分の気になる記事だけでもいいと思う。とにかく目的は声を出すことだから。
音読が脳を活性化させるというのは、今はよくいわれていることのようだ。でも、小中学生の頃に国語の時間、教科書を音読するのにも、意味があったのだと今になってわかる。昔の人は、それを経験的にわかっていたのだろうか。
ところで、新聞やネットで殺人事件の記事なんかを目にすると、嫌な気持ちになる。
何が嫌かって、犯人の名前の下に(無職)というのをよく目にするからだ。俺にはその気がないのに、周りにそういうことをする類の人間だと思われているのかと思うと、鬱になる。
新聞ではそんな記事ばかり載せるが、無職だろうが、東大出のエリートだろうが、やる奴はやるし、やらない奴はやらないのだ。そいつが属しているカテゴリーが殺人を犯すわけじゃない。と思う。
でも金がなくなったら、俺も犯罪を犯すのだろうか。生きるために。今を抜け出せない限り、俺にも可能性があるのか。そう考えると恐ろしくなる。
その四、エクササイズ
運動はする。これ以上、病気を増やしたくないから。やるのは踏み台昇降運動。新聞紙を束ねてそれを踏み台にしている。健全な精神は健全な肉体に宿るというが、特に変化なし。いや、これで今をキープできてるのかも。
その五、知人
引き篭もりの俺にも知り合いがいる。好きな声優の橘愛子のコミュニティーサイトで知り合った奴らだ。
彼らがこの間、橘愛子のライブに行った。
ライブ会場では、橘愛子の歌に合わせて踊るのだが、橘愛子のメイン曲「瞳でCHU!」のサビの部分が好評だったらしい。何を隠そう、その部分の踊りを考えたのは、俺だ。
サビに合わせて、全身が伸び上がるように、斜め方向に両腕を揃えて伸ばしきる。それを右斜め、右斜め、左斜め、左斜めと素早くやる。両腕を伸ばしきったときの手も指と指の間を閉じ伸ばしきる。小学生が元気よく挙手をするような感じで、きびきびと素早くやらなければならない。
本当は俺が直接指導してやれれば良かったのだろうけど、もっといえばライブに行きたかったのだけど、俺は家の外に出られないので、フラッシュアニメで模範演技を作ってネットを通して見せた。
しかし、この振り付けどおりにやるのは至難の業だ。皆がきっちり揃えていないと、隣にぶつかる。だから会場では、ある程度隣の奴との距離を空けて、列を揃える必要があるけれど、会場が込んでいると厳しい。
しかし、その辺は連中が上手くやったらしい。しっかり練習をして、シミレーションして、早めに会場に行き最前列を取り、本番に臨み、見事成功。
俺は満足している。よくやった。大したものだ。おまえらを誇りに思う。それに力を貸せたことも嬉しい。何よりも「ありがとう」と彼らに感謝されたことが嬉しい。こちらこそありがとうだ。
その六、テレビ
最近はテレビの合いの手の「え~」がうざったく感じられる。テレビタレントはしょっちゅう「え~」といっている。その「え~」がおざなりな感じがして耳障りなのだ。だから最近では、バラエティーは見なくなった。
それでも俺には、毎週、欠かさず観ているアニメがある。
橘愛子がヒロインの声を務める『スカイブレイド』というロボット物のアニメだ。土曜日の五時から五時二十五分までのその時間帯は、現実を忘れさせてくれる至福の時間だ。
特に第六回目の副題『機械の涙』は感動した。
人工知能を持った仲間のロボットが敵にやられて壊れてしまうのだけど、最後にそのロボットが仲間に「アリガトウ」といって目のある位置から涙のようなものを流して動かなくなるのだ。そして、仲間達が泣く中、そのロボットを作った開発者が、「ばかやろう。これはオイルかラジエーターの水だ。機械は涙なんか流さない」と泣きながらいうのだ。
あの回は感動したな。
しかし、同時に思った。俺も機械のようにありたいと。機械には感情なんかないからだ。
面白いアニメは現実を忘れさせてくれる。でも、逆にいえば忘れたくなるほどの現実があるということだ。
俺が引き篭もりであることを、親は周りの人間にどういっているのだろうか? 肩身の狭い思いをさせているに違いない。それとも嘘をつかせているのだろうか? どちらにしても、情けない息子だ。
親もいずれ亡くなる。そのときも俺は引き篭もりのままなのだろうか? 俺は一人じゃ生きていけない。痛いほどわかっている。
親の葬式の時、俺はどうするのだろう? 俺は一人っ子なので、一般的には主賓は俺が務めなければいけないのだろう。俺にできるのか? しかも引き篭もりであることを親戚一同に晒せるのか?
結局、親の死より自分のことを考えている自分が嫌だ。情けない。
何もしてないときは、そんなことをエンドレスに考えている。
鬱々とした気持ちを晴らそうとテレビをつけた。いつものように至福の時間で気を紛らわせるのだ。録画していた「スカイブレイド」を観る。