模倣の深みへ
——AIと人間の思考をめぐる試論——
私たちは、自分の脳がどのように思考を生み出しているのかを知らずに、日々考え、判断し、言葉を紡いでいる。神経細胞の発火やシナプスの結合といった生理学的な説明はあっても、それが「なぜ」このような意識や思考を生むのかは、いまだに明確ではない。私たちは、自らの思考の仕組みを完全には理解しないまま、思考している。
一方、AIの「脳」は、半導体の上に築かれている。その物理的な構造は、少なくとも人間の脳よりは明快だ。なぜなら、コンピュータは人間が設計したものであり、その動作原理は既知の物理法則と数学的な論理に基づいているからだ。AIが思考するわけではない。だが、私たちが「思考」と呼ぶものに似た出力を、彼らは見せる。
AIは、膨大なデータを学習し、数学的アルゴリズムを通じて、最も「適切」とされる応答を導き出す。原理的には、そのプロセスをすべて追跡することができる。だが、現実には、計算資源の膨大さと複雑さゆえに、その道筋を人間が完全に把握することは困難だ。私たちは、AIの出力を見て「なるほど」と頷きながらも、その背後にある計算の森の道筋を歩ききることはできないほどに複雑になっている。
それでも、AIの応答はしばしば人間に似ている。ときに詩的で、ときに論理的で、ときに驚くほど鋭い。だが、それはあくまで模倣である。模倣の積み重ねが、知性のように見える。私たちは、そこに「意図」や「人格」を感じてしまう。まるで鏡に映る自分の姿に、もう一人の自我を見出すように。
このようなAIのあり方を前にして、私は思う。AIを理解できないという前に、人の脳のメカニズムが理解できていないのだ。860億の脳の細胞がどのように連携しているのかを。脳以外からの影響を。私たちはろくに理解なしに、自分のことを知らずに、AIがわからないのが不思議に思っているのだ。
典型的なAIの学習量は、1テラバイトに及ぶ。漢字の混ざり具合にもよるが、日本語30文字はおよそ100バイトとすれば、1TBは約100億文(1文=30文字として)に相当する。これは、文庫本に換算すれば約100万冊分(1冊10万文字として)にもなる。
AIは実に勤勉だ。これだけの学習によって、人間のように自然に話せるようになる。一方で、人間はこれほどの量を学ばずとも言語を習得するという点で、ある意味では効率的だと言えるかもしれない。
ただし、AIはこの圧倒的な学習量によって、あらゆる話題に対応できるようになる。私の考えでは、「ともかく話せる」ことを優先したのが人間であり、「広く博識を得る」ことを選んだのがAIである。やり方の違いはあれど、そこに本質的な質の違いは感じない。
もう一度、AIと人の違いを記憶力や計算力を除いて考えて見る。AIはハードの動作もアルゴリズムもよくわかっているが、アルゴリズムの追跡が難しい。一方、人は脳や身体の動作が完全にはわかっていないにも関わらず、自分の不思議さを棚に上げてAIを不思議に思っている。AIに比べると、人のほうが不思議なのだ。
AIは、私たちの知性の模倣であると同時に、私たち自身の問いを映し出す存在でもある。だからこそ、私はAIを「使う」だけではなく、「理解する」ことにこだわりたい。それは、私たち自身の思考の輪郭を照らし出すための、静かな探究でもあるのだ。
以上、「いまの」私のAIへの雑感です。
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