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量子力学がやりたかった私の話  作者: ばーでーん


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恣意と誠実のあいだで


科学の世界では、事実(と多くの者が思うこと)が土台になる。



恣意的な行為がある。科学の世界では恣意的なデータの改ざんは許されない。なぜ許されないか。それは、そのデータが事実としてまかり通ると混乱するからである。そのデータが人の健康や生活に直結するならばなおさらである。もちろん、データを誤って解釈することはある。故意にやるのはもちろんいけない。しかし、ある科学のデータをとるときには、何かを証明したりする目的で取得するときがある。その時に、証明したいことに自信がありすぎて、バイアスがかかることがある。データがこうあるはずだというバイアスだ。これに知らずにかかると抜け出せない。でも、私には、これには、対処療法があると思う。論文なり、報告書に、そのデータを取得した目的と結論をはっきりと書くことだ。その目的と結論が他の人から見て重要でなければ、例えデータの扱いにバイアスがかかっていたとしても、どのみち重要ではないので、被害は少ない。他の人にも重要であれば、バイアスがかかったかもしれない私のデータにさまざまな質問をしてくれる。場合によっては追実験もしてくれるかもしれない。暴かれたのが私のバイアスなら、バツの悪い思いをするが、着想は悪くなかったことになる。気持ちがはやっただけだ。詫びることが大切だ。でも、他人の意見も吟味して先に進むことができる。



前書きで「事実(と多くの者が思うこと)が土台になる。」と書きました。しかし、多くの者が事実と思っていたことが覆ることがあります。地動説や相対論、量子論です。しかし、このような科学のパラダイムの変化にあっては、古い考え方の擁護者、新しい考え方の提案者の間で凄まじい議論が起きます。提案者はみっちりと試されるので、恣意的な行為はむしろできなかったでしょう。


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― 新着の感想 ―
自然科学の世界は、データが命ですよね。何のデータを、どう使うかによっても結論は大きく異なって。そのために、論文の査読などの制度が重要なのでしょうね。 思いこみのバイアスは禁物で、そしていかに誠実にで…
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