シュレーディンガーの猫 (2) - 量子力学的確率 -
前回、量子力学における存在確率とは、「粒子を『観測したときに』ある場所に粒子を見出す確率」の、『観測したときに』が余計だったと話しました。
『観測したときに』とはなんでしょう。私は観測して、貴方は観測していない、とか、訳の分からないことになります。観測装置も観測者も、自然の一部である以上、観測者を特別扱いすることはありません。観測される粒子と観測装置と観測者の相互作用が、一連の「観測」という物理現象です。
猫と観測者、周囲の環境が何らかの相互作用をして、その結末は量子力学的な確率で決まります。観測という粒子間の「相互作用」が結果に影響を与えます。
「観測」という言葉は、自然現象というよりも、人の意思が言葉の意味に入ります。大事なのは、観測ではなく、相互作用です。
では、シュレーディンガーの猫はどうでしょう。基本的に、猫に生死の二択しかないのなら、この二つは重なり合います。そして、周りの何か(壁やガス)と相互作用して、その重なり具合は変化します。特定の誰かの観測で決まる訳ではありません。
「実際の猫」はどうでしょう。猫を完全に記述するには、あらゆる猫の状態とその状態が発現する確率を考慮しなくてはいけません。生死の二択だけで猫という自然現象の状態を記述できません。少なくとも猫を構成する原子の数とその組み合わせだけの状態を考える必要があります。
さて、膨大な数があると、確率の「平均値」の確からしさは上がります。コインの表裏がでる頻度は、10回よりも、10,000回やった方がより、表が出る確率が0.5に近づきます。同様に10個を同時に投げるより、10,000個を同時に投げた方がより、0.5に近づきます。
猫を構成する原子とその組み合わせも膨大なので、猫がとりうるありふれた平均的な状態になります。生と死は、量子力学的な確率の足し引きの対象になりません。原子の集合体がとりうる状態が確率に足し引きされます。
投げたコインが見えないようにすると、コインは表と裏のどちらかに確定していて、重ね合わせは不要です。コインを構成する粒子は量子力学に従いますが、コインの表のでる確率0.5は、コインを構成する粒子の量子力学的な確率は無視できる、と近似します。コインの表裏のでる確率は、ランダムに回転飛行したコインの着地状態の確率で決まると考えて差し支えありません。
同じように、猫の生死も確定しているが、私たちが知らないだけ、という解釈が主流です。
とはいえ、シュレーディンガーは非常に用意周到でした。彼の思考実験では、量子力学的な確率で放射線が発生し、それによって毒ガスが放出されることで、猫の生死も量子力学的に決まるという主張です。放射線の発生と非発生が重なり合うことがこの実験のポイントです。したがって、猫の生死も量子力学的な重ね合わせの状態であれば、重なり合うことになります。
しかし、私の意見としては、猫は膨大な数の原子から構成されているため、その生死は「事実上」確定していると考えます。私たちがその状態を知らないだけです。
いずれにしても、量子力学の存在確率を観測と結びつけたボーアとハイゼンベルクが、このような面倒な問いを生みました。もう一度述べますが、観測とは自然の営みの一つです。
また、シュレーディンガーも猫の生死を問うのはタチが悪いです。私の挙げたコインの問題で、コインに磁石をつけて、放射線が出たら表、出なければ裏が出る装置を考えた方が良かったと思います。猫がかわいそうで、書いていて泣いてしまいます、、。
コインや猫のように膨大な粒子からなる系も、注意深く設計すれば、量子力学的な確率に従う系がつくれます。極低温の超伝導や超流動、つぶれたブラックホールがあります。また、光や放射線が放出される確率も量子力学的な確率です。




