シュレーディンガーの猫 (1) -混乱のもと-
今回から、3回、量子力学の解釈についてお話しをします。
量子力学の観測問題はあたかも、哲学の様相を呈します。もちろん科学ですが、諸説あります。ここに書いたことは、私の私見です。
全ては、ハイゼンベルクとボーアの確率解釈の「説明」から混乱が始まりました。もちろん、量子力学の構築期にあっては仕方ないことでした。
この文に目を通していただいた方は、量子力学においては粒子に波動性があることをご存知かもしれません。聞いたことはあっても、わからないという、あなた!心配要りません。こんなイメージだれもできません。
ここで話したいのは、波動(の二乗)が粒子の存在確率を表すということです。この説明を最初にしたのはボーアとハイゼンベルクです。
「存在確率」とはなんだ、となります。ボーアとハイゼンベルクは、「粒子を『観測したときに』ある場所に粒子を見出す確率」だとしました。ハイゼンベルクは、さらに数学的考察から、粒子のある場所とその速度を同時に確定できない、ことを証明しました。これをハイゼンベルクの不確定性原理といいます。
上の説明の『観測したときに』が余計でした。観測の有無に関わらず、頭の中の思考実験でも、粒子は確率的に存在して、不確定性原理も、観測によらずに成り立ちます。
この『観測したときに』の説明から、シュレーディンガーの猫の登場になります。猫が死んだ状態と生きた状態が重なり合って、観測によって確定するのか?という話になる訳です。
被観測粒子も観測粒子もどちらも対等な自然の一部です。量子力学的な確率は、観測というよりも、被観測粒子と観測粒子の相互作用により波動が変化して、結果的に存在確率も変化します。
ニュートン力学(あるいは、その相対論的補正の古典力学)は、量子力学の確率が確定的な値に収束する極限であることを意味します。
一方で、多世界解釈という考え方があります。これは確率的に実現されなかった世界が別にあり、私たちの世界とは別に分岐していく解釈です。この解釈では、デコヒーレンスにより、分岐した世界は互いに干渉せずに、相互作用しません。デコヒーレンスとは、量子系が環境と定義する系と相互作用することで、異なる量子状態が互いに干渉しなくなる現象です。私はこの解釈はとりません。理由はいろいろありますが、検証方法が提示されていないからです。他の量子力学的状態も干渉はしますが、事実上無視できると、私は考えます。




