表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
量子力学がやりたかった私の話  作者: ばーでーん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/29

シュレーディンガーの猫 (1) -混乱のもと-


今回から、3回、量子力学の解釈についてお話しをします。


 量子力学の観測問題はあたかも、哲学の様相を呈します。もちろん科学ですが、諸説あります。ここに書いたことは、私の私見です。


 全ては、ハイゼンベルクとボーアの確率解釈の「説明」から混乱が始まりました。もちろん、量子力学の構築期にあっては仕方ないことでした。

 この文に目を通していただいた方は、量子力学においては粒子に波動性があることをご存知かもしれません。聞いたことはあっても、わからないという、あなた!心配要りません。こんなイメージだれもできません。

 ここで話したいのは、波動(の二乗)が粒子の存在確率を表すということです。この説明を最初にしたのはボーアとハイゼンベルクです。

 「存在確率」とはなんだ、となります。ボーアとハイゼンベルクは、「粒子を『観測したときに』ある場所に粒子を見出す確率」だとしました。ハイゼンベルクは、さらに数学的考察から、粒子のある場所とその速度を同時に確定できない、ことを証明しました。これをハイゼンベルクの不確定性原理といいます。

 上の説明の『観測したときに』が余計でした。観測の有無に関わらず、頭の中の思考実験でも、粒子は確率的に存在して、不確定性原理も、観測によらずに成り立ちます。

 この『観測したときに』の説明から、シュレーディンガーの猫の登場になります。猫が死んだ状態と生きた状態が重なり合って、観測によって確定するのか?という話になる訳です。



 被観測粒子も観測粒子もどちらも対等な自然の一部です。量子力学的な確率は、観測というよりも、被観測粒子と観測粒子の相互作用により波動が変化して、結果的に存在確率も変化します。

 ニュートン力学(あるいは、その相対論的補正の古典力学)は、量子力学の確率が確定的な値に収束する極限であることを意味します。

 一方で、多世界解釈という考え方があります。これは確率的に実現されなかった世界が別にあり、私たちの世界とは別に分岐していく解釈です。この解釈では、デコヒーレンスにより、分岐した世界は互いに干渉せずに、相互作用しません。デコヒーレンスとは、量子系が環境と定義する系と相互作用することで、異なる量子状態が互いに干渉しなくなる現象です。私はこの解釈はとりません。理由はいろいろありますが、検証方法が提示されていないからです。他の量子力学的状態も干渉はしますが、事実上無視できると、私は考えます。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ