#1 ヤクザと遅刻と異能力
春の朝。それは始まり。澄み渡った青い空にブラシでこすったような白い雲。風が住宅地を通り抜け、鳥の歌い声と子供たちの笑い声を運び、爽やかな景色に桜の花びらを散りばめる。歩き行く人々の誰もが心なしか明るい表情だ。
そんな素晴らしい始まりを迎えた蝶々町の、ある一軒家。その2階の部屋を覗いてみると、ベッドと薄い布団に挟まれて眠る青年がいた。この青年もやがて窓の外からの小鳥のさえずりに起こされる――
ジリリリン‼
――というわけにはいかなかった。朝から耳を貫く目覚まし時計の叫び声。窓の外で小鳥が落ちた。爽やかも何もあったものではない。
青年はしばらく目を閉じていたが、やがて顔をしかめ、目をゆっ……くり開け、布団をどかしつつウィーンと起き上がり、枕元の目覚まし時計を少し乱暴に止めた。そして何を思ったか、目覚まし時計を耳に当て、実に明瞭な発音で「もしもし」と言った。
……。
青年はしばらくその姿勢で硬直していたが、やがて顔が「?」になり、耳の目覚まし時計を目の前に持ってきた。ようやくそれが何か理解したようで、顔が「納得」になる。そして時間を確認した。
「……25時L分」
おや、異世界に迷い込んだか。いやいや、迷い込んだのは青年の脳みそだ。目覚まし時計が上下反対だ。
「ああ、……7時52分」
やっとこさ正しい時間を把握し、ぐ~っと伸びをして、大きなあくびをした青年は、気だるそうにベッドから下り、そしてもう1度時計を見た。7時52分。
「……7時52分⁉」
青年は事の重大さに気付いたらしい。すぐに慌て始めた。しかし、そんな中途半端な時間に設定したのは、誰あろうこの青年である。
洋服ダンスからシャツだの何だのを取り出す青年の背は平均より少し高め。中肉中背。髪は明るい茶髪で、窓から差し込む太陽の光で橙色にも見える。その少し長めの髪には寝癖がついている。細面の顔に相変わらず気だるそうな顔。寝起きだからではなく、これが青年のいつもの顔。目が少々鋭いが、夕暮れ色の瞳に宿るのはやる気の無さ。
そうこう紹介している間に学ランに着替えたこの青年はポテトという。別に冗談ではない。ポテトというのが、この物語の主人公のお名前である。パワフル違和感だが、慣れてもらいたい。
大体、このポテト、前は勇者だったのだ。待ってブラウザバックしないで。前作「勇者ポテトの大冒険」で勇者をやっていたという意味で……待ってウィンドウ閉じないで。前作読んでなくても大丈夫だから。ね?
そうこう言っている間にポテトは通学鞄を持って階段を下り、リビングへ入った。テーブルについているのは2人。左でテレビの天気予報を見ている若い綺麗な女性は母・タルト。右で、新聞を読まずに折り畳んで巨大紙飛行機を作っているちょびヒゲの暇人が父・ソルトだ。
こんな名前の奴しかいないのかと聞かれると困ってしまう。一応まともな名前の人もこれから出てくるし、こんな名前にも皆様はそのうち慣れる……と思う。覚えてもらうためにしばらく母タルト、父ソルトと書きますね。
「母さんおはよう」
と言って、キッチンの方へ向かうポテト。「朝ごはん食べないの?」と母タルトの美声。ポテトは「時間無いからランチャーパック食べながら行く~」と答え、弁当をひっつかんだ。
再びリビングに戻ってきたポテトだが、急に父ソルトが立ちふさがる。ポテトは露骨に顔をしかめた。
「……何? 『父さんだからここは通さん』っていうギャグ?」
「違う‼ 父さんにおはようくらい言ったっていいじゃないか」
ポテトは「おはようくらい」のところで父ソルトの横を通過、部屋の隅のカゴの中のセキセイインコのミントに向かって元気に
「おはよう!」
「オハヨー」
「何その父さんよりインコの方が大事アピール⁉ 大体、入学式の翌日から遅刻する高校生がいるか‼」
「まだ遅刻と決まったわけじゃないよ」と手をヒラヒラさせるポテト。流石にカチンときたらしく、父ソルトは声を荒げた。
「父さんなんかな⁉ 会社7時30分に始まるんだぞ⁉」
「いや父さん遅刻確定じゃん‼ なに紙飛行機作ってんの‼」
ポテトは腕時計を見て「ヤバい」と呟き、
「それじゃあ行ってくるね」
「気を付けるのよ~」
「は~い」
母タルトに見送られて家を飛び出し、ランチャーパックを口にくわえて走り出した。
さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。前作は読んでいなくて結構、メタとカオスはご了承。高校で巻き起こるのは、ハチャメチャ学園コメディか、はたまた激熱異能バトルか。これから始まる物語は、学生ポテトの高校生活――
× × ×
家々の塀の間を駆け抜け、横断歩道を横切り、学校への道のりを風と共にひた走るポテト。彼が肩に掛けた通学カバンから「ジン♪ ジン♪ ジンギスカーン♪」と音楽が流れてきた。ポテトは速度を緩めずにスマホを取り出し、画面を確認した。
『着信中・・・いきりオタク』
電話に出る。
「おー田中、どうした?」
<どうしたはこっちですよ。今どこです? まさか入学式の翌日から遅刻なんて伝説残しませんよね?>
「大丈夫。まだ遅刻と決まったわけじゃない」
<やっぱり……。間に合ってくださいよ?>
「うい」
電話を切ったポテトはスピードそのままで曲がり角を曲がり――誰かと正面衝突してしりもちをついてしまった。顔を上げると、
「いてて……」
小さな手で押さえたおでこ。その下から覗く黒い瞳。桃色のチョークの粉をサッと吹きかけたような頬。慌ててセーラー服の埃を払って立ち上がった可憐な少女はポテトの方を向いて「ごめんなさい!」と言って頭を下げ、その拍子に長い黒髪が風に揺れた。
ポテトの心臓が高鳴った。
ここまでがポテトが一瞬で考えた予想。実際はこうだ。
「ッて~」
大きな手で押さえたひたい。その下に黒いグラサン。ナイフで切ったかのような傷跡のある頬。ゆっくりと黒スーツの埃を払って立ち上がった怖そうなお兄さんはポテトを見下ろして「ァんだこらァ……?」と言って凄み、その拍子にスーツの内側の拳銃が見えた。
ポテトの心臓が(違う意味で)高鳴った。
ヤから始まりザで終わり、間はクの、由緒正しき職業のお方だ。スーツの襟に輝く金色の紋章にストレートに「悪」の1文字。蝶々町をテリトリーにしている、悪名轟く「悪玉組」に違いない。
ポテトは入学式の翌日からヤーさんに出会ってしまったのだ。
絶体絶命の状況だが、ここでポテトの脳内を見てみよう。
どうしよう……。遅刻しちゃう。
前作で勇者をやっていただけある。良く言えば動じない。悪く言えば、ヤーさんのいるこの状況でこんなこと考えるくらいには危機感が足りない。焦りが足りない。
しかしヤーさんをどうにかしなければいけないことに変わりはない。選択肢は「ヤーさんを吹っ飛ばすorヤーさんに謝る」。
ポテトは、まあみんなそうするだろうけど、後者を選んだ。つまり地面に頭を着けて土下座し、「誠に申し訳ございませんでしたっ‼ 最早取り返しはつきませんが、出来る限りの誠意をお見せしますので、何卒、何卒今度ばかりはお目こぼしを……っ‼」と、裏社会の謝り方を完璧にやってのけた。
高校生にしては立派な謝り方にヤーさんも少し驚いたようで、「おう、謝り方は分かってんじゃねェか……俺も忙しい、今日は見逃してやる」と言った。これなら大丈夫そうだ、とポテトは胸をなでおろした。
その時、どこからともなく飛来した巨大紙飛行機がヤーさんの頭にクリティカルヒットした。
(あんのくそ親父……‼)
「~~‼」
ヤーさんは言葉にならない叫びを上げ、怒りと恥で顔を真っ赤にし、拳銃を取り出した。いくらヤーさんといえども、拳銃を取り出すなんてことは珍しい。そんな機会は、他の組との抗争か、警察との戦闘か、頭に紙飛行機が飛んできた時くらいしかない。
ポテトはすぐさま立ち上がったが、ヤーさんの方が速い。よっぽど頭にきたのだろう、ヤーさんはためらわずに引き金を引いた。
ズドン
ポテトの胸に銃弾が直撃した。
学生ポテトの高校生活、ここで涙の完結‼ ……終わる終わる詐欺は前作で飽きるほどやった。さっさと次に進もう。察していると思うが、ポテトは死んでいない。
それどころか無傷。ポテトの胸から弾が落ち、地面でカランと音を立てた。ヤーさんは一瞬呆気に取られたが、「硬質化の異能か‼」と叫んでさらに2発撃った。う~ん、最初から実に急展開だ。
ポテトが手を前に出すと、金の光が瞬き、カキン! と銃弾を防いだ。ヤーさんは今や怒りではなく恐怖の表情。さらに発砲する構えだ。
(面倒だな……拳銃はたき落とすくらいなら大丈夫か?)
ポテトは異能を繰り出そうとしたが、そこで急に体を後ろに引っ張られた。
「ん゛」
叫ぶ間もなく視界が暗転。通学路の景色や音が消え、水の中を泳ぐような感覚の後、突然周りが明るくなった。どうやら別の場所に移動したらしい。明暗チカチカしたのでしばらくフラフラしたが、ポテトには隣にいるのが誰か分かった。
「おはよう、田中」
「おはようじゃないですよ」
ポテトの隣には、黒い前髪を丁寧に分け、円い眼鏡をかけた小柄な男子がいる。黄金色の目を呆れがちに細め、「ヤクザに恨まれたらどうするんです?」と言った。ポテトはそれには答えず、虚空に向かって
「コイツは田中。前作では僕の家来として冒険に同行していた。重度のオタクだけど外聞は保っていて、キッチリした性格だから信用できる。作者のTw〇tterのイラストを見て、金髪のイメージをもっている人もいるかもしれないが、一応黒髪だ」
「どこに話しているんですか? ていうか家来なんかじゃありませんから」
田中はさらに、ヤクザが悪玉組だったか金沢組だったか聞いてきたので、ポテトは悪玉組だと答えた。すると田中は困った顔になり、「悪玉組の方が物騒なんですよ……」と呟き、そして腕時計を見てハッとした。
「ポテトさん」
「まだ遅刻と決まったわけじゃ」
ギーンゴーンガーンゴーン
遠くから、無情にチャイムが鳴り響いた。
× × ×
「さっきのは田中の異能だろ?」
遅刻が確定した瞬間、急ぐ気をなくしてスキップなど始めたポテトを田中は急かす。
「そうですよ、影の中を移動する異能【隠キャ】。そんなことは後で話しましょう。遅刻しても早い方が良いに決まってます」
「異能使えば?」
「影が繫がっている範囲でしか移動できないんですよ。走りますよ‼」
少し走るとすぐに校舎が見えてきた。青空に映える白亜の3階建て。校庭をぐるりと囲んだ木々の緑の綺麗なこと。そして桜に抱かれる立派な校門。そこに人が立っていた。さらに近づくと、その人物は低めの声で「ポテトぉ、遅刻か‼」と怒鳴ってきた。
背は高く、引き締まった体つきだ。白い短髪の下に、陽が昇る前の空のような色の瞳が見える。この目は優しくも鋭くもなるのだが、今は真一文字に結ばれた口と共に、非常に険しい眼差しである。顔には少しおかしなところがある。耳が鋭く、そして頭から左右に赤みを帯びた短い角が生えている。
そう、この男は魔王だ。名前は、魔王だ。犬に犬と名付けるようなものだが、まあ忍耐忍耐。
ポテトは再び虚空に向かって説明。
「こいつは魔王。前作で魔王のくせに僕と冒険した。魔王らしく豪快で大雑把だが、重要な部分でぎっくり腰になったりする残念なやつだ。で、魔王、何で先生みたいな格好してるんだ?」
「そういう設定なんだよ」
スーツにネクタイ。確かに魔王というよりは教師に見える。
「だから魔王先生と呼べよ。……てか遅刻だからさっさと入れ」
「……なあ、魔王先生、この校門どうにかなんないの?」
校門の間には、なぜか改札がある。改札。
「そういう校則だから仕方ないだろ。教員も1日100円払ってるんだ」
「月3000円キツクね?」
田中がさっさと改札を通ってしまったので、ポテトも続こうとした。
ブーッ
『残金が不足しています』
「魔王先生、これぶっ壊してもいーでーすかー(棒)」
オタクが「影の中を移動する」能力をもっている図、けっこう危ないような気がしますね。