それぞれの道
王子の執務室を出たあと、アルベルトはいつものようにマレーヌを見下すように見て、言ってきた。
「どうやら、この話はなかったことになりそうだな」
そうですねとマレーヌは、ホッとして微笑む。
「まあ、よく考えたら、お前はあまり、お薦め商品ではないよな」
そう切って捨てられるが。
その口調も冷ややかな瞳も好きだな、とマレーヌは思っていた。
「それで……」
それで? とマレーヌが見つめると、
「それで」
ともう一度言ったあと、アルベルトは咳払いした。
「王子との婚姻が上手くいかなかった娘は、礼儀として、他の有力な貴族に紹介するという習慣が我が国にはあるのだが」
「そうなのですか?」
「ルーベント公爵の連れてきた娘は、その制度、断ったようなのだが」
レティシアは、もう別の自分の道を見つけたのかもしれないな、と思ったとき、アルベルトはマレーヌを見下ろし言った。
「このような娘を他の者に押し付けるのもあれだ」
そこで、アルベルトは沈黙する。
期待と緊張でバクバクしながら見上げるマレーヌをいつものように蔑むように見ながら、アルベルトは言った。
「……私がもらおうか」
赤くなったマレーヌは俯き、小さく言った。
さ、差し上げます、と。
振られてしまったな。
というか、アルベルトめ。
自分が気に入っていたのなら、何故、私のところに連れてきた?
と王子はもっともな疑問を抱きながら、王立図書館に来ていた。
王宮の近くで一番静かそうだったからだ。
「あら、エヴァン、ごきげんよう」
そう話しかけてきたのは、シルヴァーナだった。
好みのタイプではないが、相変わらず、美しい。
知的で品の良い目で笑い、シルヴァーナは言う。
「もう学生ではないのだから、人前で名前で呼ぶべきではなかったわね」
「いやいや、いいのだ。
お前たちにまで畏まられたら、息を抜くところがなくなるからな」
「シルヴァーナ様、これ、二階に持って上がりますね~」
若い娘がシルヴァーナに声をかける。
シンプルなドレスなので最初はわからなかったが、ルーベント公爵が連れてきた娘、レティシアだった。
さまざまな娘を連れて、大貴族たちが現れるが。
この娘は、ちょっと困り顔で現れたマレーヌの次に嫌そうに挨拶してきたので印象深かった。
レティシアは、こちらに向かい、ぺこりと頭を下げて行ってしまう。
その後ろ姿は別人のように生き生きしていた。
「いいな、好きなことがやれて」
ちょっぴりそんな感傷的なことを言ってしまったが、シルヴァーナにはあっさり、
「あら、王子がお好きなのは、国民の笑顔を見ることでしたでしょう?
充分お好きなことをやれる立場にあると思いますが」
と言われてしまう。
そのとき、館長が現れた。
こちらに向かい挨拶したあとで、シルヴァーナに言う。
「この間希望のあった本だが。
ちょっと本年度の予算では手が出ないかなという話になったよ。すまないね」
シルヴァーナは、えーっ、という顔をしたあとで、ふと気づいたようにこちらを見た。
「王子、マレーヌと結婚されるのですよね?」
えっ?
そうなのですか? という顔をする館長の前で、王子は渋い顔で言った。
「いや……マレーヌは宰相と結婚するようだよ」
「あらそうなんですか」
あっさりだな……と思った自分に、シルヴァーナは、
「残念だわ。
マレーヌが王妃になるのなら、予算を都合してもらうか、あの本買ってもらおうと思ってたのに」
と愚痴る。
そして、ちょっと小首を傾げたあとで言った。
「そうだわ、王子。
私と結婚しませんか?」
「は?」
「害のなさそうな我が家の娘と結婚したいのでしょう?
私はいかがですか?」
と視察に出た先で出会った野菜売りのおばさんのようなことを言う。
「私が好みでないのは存じております。
私も王子は好みではありません」
ハッキリ言うなあ、と思ったが、賢いシルヴァーナは、
「ですが、意外と結婚というのは、好みでない者同士のほうが長く上手くいくものなのかもしれませんよ。
相手にそんなに期待してないので、嫌なところが見えてきてもガックリこないですしね」
と言う。
「まあ……そんなものかもしれないな」
「熱くお互いを求め、燃え上がった二人はすぐに鎮火するもの」
王子、私と結婚しましょう、とプロポーズされる。
「だから、本買ってください」
とシルヴァーナは館長の手にあった本のメモをとり、渡してくる。
笑ってしまった。
「お前はいつもわかりやすくてよい」
そう言ったあとで、王子は言った。
「しかし、熱く相手を求め、深く愛し合っているカップルが上手くいかないというのなら、アルベルトたちは上手くいかないな」
そうかもしれませんね、と言いながらも、それは別にどっちでもいいようで、シルヴァーナは、ぎゅっと本のメモを自分の手に握らせる。
上からレティシアが覗いて笑っていた。
さて、深く愛し合っていると王子たちに認定されたマレーヌたちだが。
案の定、愛が深いが故に、帰りの馬車で、早々に揉めていた。
「戴冠式のときのことは覚えている。
お前は私が見つめても、他の人間のように青ざめ、目をそらしたりしなかったから」
だが、お前の記憶は少し違う、とアルベルトは言った。
「お前と私が初めて会ったのは私の叔母上の婚儀のときだぞ」
「えっ? そうでしたっけ?」
「お前は、だあだあ言いながら、叔母上のベールをつかもうとして、乳母に慌てて連れて逃げられていただろう。
何故、私の方しか覚えておらぬのだ」
「……だあだあって。
それ、赤子じゃないですかね? 私」
覚えてないですよ、むしろ、よく覚えてましたね、とマレーヌが言うと、
「何を言う。
あんな天使のように可愛い赤子は他にいないと思って眺めておったのだ。
それからもお前を観察していた。
いつまでも幼な子のようなつるつるの肌をして愛らしい。
そんなお前の成長を見守らない者などこの世界にいるはずもないっ」
……ほ、誉め殺しでしょうか、とマレーヌは赤くなる。
いや、目線は相変わらず、罪人でも見るかのように厳しいんだが……。
「まあ、ともかく、王子の結婚が決まらねば、私は結婚できぬ」
あくまでも王子の忠臣であろうとするアルベルトはそう言った。
「そうですねえ。
あっ、お姉さまはどうですか?
きっと良い妃となり、王子を支えてくれるのではないかと思うのですが」
「そうか。
だが、お前の姉もお前と一緒で強情そうだ」
「ではまず、姉たちをどうにかしないとですね」
と笑うマレーヌたちは、すでに姉と王子の結婚話がまとまっていることを知らなかった。
遠ざかる王宮を振り返り、マレーヌは思う。
来るときには、こんな幸せが待っているなんて思わなかったな、と。
……いや、宰相様は相変わらず無表情なんだが。
でも、この顔が好きかも、と横に座るアルベルトを見て微笑む。
マレーヌと視線を合わせたアルベルトはいつものように渋い顔をした。
なにか迷っているようだった。
かなり迷って。
そして、困って。
それからそっと――
マレーヌの手を握ってきた。
なにか私に恨みでもあるのですか。
地獄に突き落としたいという感じの顔で見てますけど、と苦笑いするマレーヌからアルベルトは視線をそらし、馬車の窓の方を向く。
そのまま、こちらに顔を向けることはなかったが、ぎゅっと強くマレーヌの手を握ってきた。
マレーヌは微笑み、そっとその手を握り返す。
「……もう私たちは駄目かもしれないな」
唐突にそんなことをアルベルトは言い出した。
「えっ? 何故ですか?」
今、思いが通じ合ったばかりなのにっ、と思うマレーヌにアルベルトは言う。
「先ほどお前は私の冷たい目線や突き放したような口調が好きだと言っておったが。
愛を自覚した今、愛しいお前を見下すような目で見たり、なじったりする気にはなれないのだ」
愛想を尽かされてしまうやもしれぬ、と心配するアルベルトだったが、振り返った彼の視線は、充分、氷のようだった。
マレーヌはつい、笑ってしまい、
「なにがおかしい」
とさらに睨まれる。
「いえなんでも……あの、私、きっと宰相様が一生大好きです」
そのとき、マレーヌは信じられないものを見た。
アルベルトがちょっとだけ口の端を上げたのだ。
微妙な変化ではあったが、笑ったように見えた。
感激してマレーヌは叫ぶ。
「笑った顔も大好きですっ。
宰相様ならなんでも好きですっ」
「やめぬか、この痴れ者がっ。
お前のその深い愛の言葉を聞いた男が、そのように自分も愛されてみたいと願い。
お前をさらおうと画策するやもしれんっ。
マレーヌよ。
それ以上、可愛らしいことを言ったり、花のように笑ったりすると、一生監禁するぞっ」
そんな二人のやりとりを聞いていたマテオは、馬車の横を並走しながら、ふうー、と深い溜息をつく。
莫迦莫迦しいうえに、熱すぎたからだ。
馬車はユイブルグ公爵家へと向かっていた。
二人の婚姻を認めてもらうために――。
二人を乗せた馬車はガタゴト揺れながら、鮮やかな緑に覆われたユイブルグ公爵家の森へと進んでいった。
完




