私の妃になって欲しい
「あー、もう全然駄目な感じなんですよ~」
「……君は、毎度、私の元に宰相の愚痴を言いに来ているのかな?」
アルベルトに連れられ訪ねた王子の執務室で、隣国の文書を翻訳して書き写しながら、マレーヌは言った。
「いやいや。
お仕事もお手伝いしてるじゃないですか~」
姉ほど語学に堪能なわけではないが。
隣国の言葉は自国の言葉と似ているので、専門的な用語が入っていない限り、正確に訳せる。
「まあ、なかなか助かってはいるよ。
君は有能だし。
気を使わなくていいから。
マレーヌ、やはり、私の妃とならないか?
それもまた、仕事だと思えばよいではないか」
いや、夫婦となるからには愛も欲しいですね、と思いながら、マレーヌはバリバリ訳していた。
大きな窓からの日差しを背に浴びながら、王子は検閲済みの陳情書を読んでいたが。
顔も上げずに訊いてくる。
「ところで、君は宰相のどこがそんなに好きなの?」
「あの容赦無くなじってきそうなところですかね?」
なるほど、と王子は深く頷いた。
「私ごときでは、到底、君を満足させられそうにないとよくわかったよ」
と。
マレーヌはデスクから顔を上げて言う。
「でも、そんな王子様だから、みんな好きなのです」
王子も顔を上げた。
「誰とも軋轢を起こさぬよう、上手く立ち回れるうえに、おやさしい。
そんな王子様だから、みな慕っているのです。
あなたは、ほんとうに、この国の王にふさわしいお方です」
「……そう言われても、嫁になろうかという女に愛されぬようではなあ」
「私でなくとも、たくさん候補の女性はいるようではないですか」
次々、大臣たちが娘を連れてきていると聞きましたよ、とマレーヌは言う。
「みな、王子を支える良い妃になられると思いますよ」
王子は微妙な顔をする。
エヴァン王子が次の王で間違いないとは思うのだが。
他にも有能な王子はいるし。
王は我が子でなくとも、能力があれば、次の王に推しそうな人だ。
力を持ち、頭が切れる王子の従兄弟たちも大勢いる。
でも、利発で心優しく、民のことも国の将来のことも、バランスよく考えられるエヴァン王子に王となって欲しいと思っていた。
「君が私の妻となり、支えてくれればよいのに」
と言う王子に、マレーヌは言う。
「あっ、そうだ。
姉はどうですか?」
以前も訊いたが、また訊いてみた。
確か学園では仲がよかったと聞いていたからだ。
だが、王子は、
「……あれはちょっと」
とまた苦笑いする。
「幼き折から学園で一緒なのだが。
私はずっと使いっ走りにされていたので」
姉よ、王子になんてことをっ。
ざっくり気兼ねない姉のことは好きなのだが……。
幼なじみとはいえ、王子にも気兼ねなく振る舞うというのはどうなのだろう。
「だから、賢い女ではあるが。
あれを妻にすると、一生尻に敷かれそうで嫌なのだ……」
なんかすみません……とマレーヌは姉の代わりに謝った。
でもまあ、そんな風に臣下と普通の学友のように、ざっくばらんな関係を築ける王子だから、みんなに愛されてるんだよな、とも思っていた。
「そういえば、君はまだ学園に通っているんだよね?
お姉さんは、食堂で売っている、野菜のたっぷり入った蒸し鶏の焼きサンドが好きだから。
たまには買って帰ってやるといい」
学園で人気のあれですか……。
なんか今、ちょっと買ってこい、と姉に命じられている王子が頭に浮かびましたよ。
きっと、あれ買ってこい、と直接に言わずに、
「あれおいしいですよね」
「食べたくないですか? 王子」
と一応、相手は王子なので、遠回しに言っていたのだろう。
王子は身の回りの世話をする従者を学園には連れていっていなかったと聞いている。
ちゃんとみなに混ざって普通の学生のように過ごせるように。
自ら混雑に突進し、蒸し鶏のサンドを二人前買いに行く、人の良い王子の姿が頭に浮かんだ。
「なんか、ほんっとうにすみませんっ」
とマレーヌは青ざめながら、謝った。




