レティシアの野望
「マレーヌ嬢は頻繁に王子の元を訪れ、親交を深めているようだぞ。お前も出遅れるでないぞ」
そうルーベント公爵に急かされたレティシアは、衛兵に金を渡して、密かに王宮に入り込み、王子の寝所に忍び込もうとしていた。
確かにこのままでは、王子の心はマレーヌに傾いてしまいそうだと思ったからだ。
マレーヌ自身は王子の妃になりたいわけではないようだが。
宰相は強く推しているし。
マレーヌが妃の座を拒否しても、宰相か他の大貴族が、第二、第三の妃候補を連れてくるだろう。
そもそも、自分のような、美貌と魅力的な肉体以外にはなにもない貧乏男爵の娘など、まともな方法では他の御令嬢には勝てそうにもない。
そんなことを思いながら、そっと王子の寝所に近づこうとした。
さすがに寝所を守る衛兵の買収はできなかったが、王宮の侍女を買収して、騒ぎを起こし、そちらに向かわせたのだ。
だが、すぐに代わりの衛兵が来るに違いない。
今しかないっ、と寝所の扉を開けようとしたレティシアの手を誰かがつかんだ。
がっしりとした腕。
剣術により、鍛え上げられたと思しき鋼のような強さを持つ指。
宰相アルベルトだった。
たまたまなのか。
いつも見張っているのか。
自分やルーベント公爵がなにかしそうな気配を感じてなのかは、わからないが。
ともかく、深夜にもかかわらず、アルベルトはそこにいた。
「なにをしている……」
その暗い瞳に見つめられた瞬間、レティシアは自分が凍えるような北の大地にある監獄に入れられた心地がした。
処刑されて死ぬより、凍死する方が多いと噂の監獄だ。
現実に心が戻ったとき、なんか今、三十年くらい経過した気がする、と思ったレティシアはおのれの頬を押さえてみた。
今のアルベルトのひと睨みで、急激に美貌が低下した気がしたからだ。
「な、なんでもございません、宰相様。
ちょっと部屋を間違えまして」
と自分でもそんな莫迦な、という言い訳をしながら、頭を下げたとき、別の冷たい視線を感じた。
振り向くと、マレーヌが廊下の角からこちらを覗いていた。
いつもの愛らしい面影はそこにはない。
監獄で凍死するのを待つどころか。
凍った湖に今すぐ突き落とし、凍死させるぞ、くらいの迫力ある表情だった。
王子の寝所に忍び込もうとした自分を責めているのかと思ったが。
いや、おそらく、冷たい瞳が素敵な宰相様、とやらが自分の腕をつかんでいるせいだろう。
いやいやいや、宰相様より、あんたの視線の方が怖いからっ、
と怯えたレティシアは二度と王子に色仕掛けで迫ることはなかった。
マレーヌが別の娘に退けられないよう。
暇さえあれば、アルベルトは王子を見張っているようだった。
そして、そのアルベルトをマレーヌが見張っている。
怖すぎる。
……宰相様ではなく、マレーヌがっ。
そもそも、あんた、あの夜中にどっちから現れたのよっ、とレティシアは思っていた。
やはり、王宮なんて、恐ろしい場所。
私のような貧乏男爵の娘が来るようなところじゃなかったんだわっ、
と思い知ったレティシアは、ある日、気がついた。
王子を見張っているアルベルトを見張っているマレーヌをさらに、屈強な戦士のような従者が見張っている。
怖いっ。
なにかやったら、全員に襲いかかられそうだっ。
アルベルトも王子も、マレーヌもルーベント公爵もマテオも知らないところで。
密かにレティシアは王子妃になることを断念していた。




