怒り
1週間後ーー。
今日はいよいよ、心音さんのお見舞いに行く日だ。
心音さん宅までは、かなり離れており。
電車を乗り継いで、そこから更に歩いて、ようやく辿り着く距離だ。
そのせいか、気づけば自宅を出てから、2時間が経っていた。
ただ、これほど時間が掛かるのは、最初だけかもしれないが。
電車を降りて、住所を見ながら、住宅地を探す。
そして、“三島” という表札を見つけた。
ここで間違いないはず……。
心音さんの家は2階建ての一軒家だった。
それにしても、急に見知らぬ人が、訪問してきたら、どう思うだろう?
そもそも、僕みたいに警戒して、心音さんに会わせてくれなかったら?
どうしよう、緊張するな……。
1度深呼吸してからチャイムを鳴らす。
『はい。どちら様ですか?』
『あの……。心音さんの……友人の、佐々木と申します!
お見舞いに来ました』
出来るだけ、怪しまれないように振舞った。
けど、僕は嘘をつくのが苦手だ。
だからもしかしたら、警戒されているかもしれない。
『お待ちください』
この反応は……警戒されていないのだろうか?
いや、追い返されることだって、あり得る。
当然、この一言だけでは、判別できなかった。
でも、怪しまれないようにしないとな。
そう思い、平然を装うことにした。
そして、お母さんが出て来た。
それから、微塵も怪しまずに、快く迎え入れてくれた。
ひとまず、怪しまれずに、安心した。
そして事前に買っておいた、見舞い品の花束を手渡す。
「こちら。心音さんが、お気に召すといいのですが……」
「まぁ。心音のこと、よくご存じなのね。
あの子、この色が好きなのよ!
きっと、喜ぶわ」
見舞い品に選んだ花は、ピンクのガーベラである。
種類は、花屋さんのチョイスで。
色は、教え子たちのオススメである。
それから、心音さんの部屋に案内される。
「部屋は階段を上ってすぐなのよ。
それにしても、まさか心音に、異性の友達がいたなんて。
知らなかったわ。
でも、私に遠慮して言えなかったのかもしれないわね。
顔立ちが良い友人がいるなんて言ったら。
私が嫉妬するとでも思ったのかしら?」
「ハハハ。
病院で知り合いまして」
愛想笑いをしてから、更にリアルな嘘をつく。
「あら、そうなの?
じゃあ、あなたもご病気で?」
「いえ、僕は友人のお見舞いで。
もうすっかり、元気なんですけど」
「そうなのね」
怪しまれない為とはいえ、心が痛い。
そして、1度嘘をつきだしたら、
更に違和感なく嘘をついている自分に驚く。
「どうかしました?」
「いえ、何も」
“階段を上ってすぐ”
と言っていたが、僕には長く感じた。
「あなたに会えて心音も喜ぶと思うわ」
部屋のドアを開けながら、お母さんが言う。
「どうぞ」
中に入り、部屋中を見回す。
部屋には奥行きがあった。
入ってすぐの左側には。
天井まで届きそうなくらい大きな、茶色い本棚があった。
そして中には本がぎっしり入っていた。
それからその奥には、本棚の1/3くらいの大きさの白い棚があった。
中には、小さなアルバムや本が入っていた。
おそらく、本棚に入りきらなかったのだろう。
棚の上には、ウサギとクマのぬいぐるみと。
その真ん中に鏡が置いてあった。
いかにも、女の子の部屋という感じだ。
そして、1番奥には、大きな窓が1つあった。
窓は、すりガラスになっている。
心音さんのベッドはその窓際に、窓と平行に配置されていた。
心音さんは、頭を右側にして眠っている。
そしてベッドからはたくさんのチューブが出ていた。
このチューブが重症であることを物語る。
右側は無地の白い壁で、入り口寄りの真ん中にカレンダーを張っていた。
そして、丸い折り畳み式の、ピンクのテーブルを壁に。
折りたたんだ状態で、立てかけていた。
お母さんは先に入り、心音さんの方に歩いて行った。
「心音。佐々木さんが来てくれたわよ!」
僕は、お母さんの声に反応し、部屋から視線を心音さんにもっていく。
奥のベッドに心音さんが眠っている。
そんなことは分かっている。
きっと僕じゃなくても、ある程度、病状を知っていれば、
誰でも分かるはず。
でも入ってすぐ、部屋に視線を向けたのは。
心音さんを直視できなかったからだ。
部屋中を見回したときに、1度は見ているはずなのに。
見ないようにしていた。
でもお母さんの一言でようやく向き合うことが出来た。
だが、想像以上に重症だったことに、ショックを受けて。
僕は固まってしまった。
重症だとは聞いていた。
けどここまでなんて思わなかった。
そして自分の覚悟が甘かったことに気づく。
あんなに会いたかったのに。
ショックで逃げ出したくなった。
でも逃げちゃダメだ。
今、逃げたらここまで来た意味がないじゃないか。
それに逃げるなんてかなり失礼だろ!
心の中で自分を奮い立たせる。
それから、ゆっくりとベッドに歩み寄る。
近づくにつれ、視野が広がる。
次第に、チューブと繋がった、いろんな機器が見えだす。
そのことが更に、辛さを倍増させる。
お母さんは、僕とすれ違いながら、部屋を出て行った。
すれ違い際に何か言ってた気がした。
けど、今の僕の耳には何も入って来なかった。
そしてベッドの真横まで行き、正座した。
それから、心音さんの手を持ち上げて。
握手するように心音さんの手と自分の手を握らせた。
そして、心音さんの手を僕の両手で包み込む。
あの時の心音さんと同じようにしたらきっと……。
ショックを受けてはいたが、まだその思いは残っていた。
その思いがあって、使命感に駆られたからこそ。
前に進めたのかもしれない。
『僕は重症に戻ってもいいので、どうか心音さんをもう一度、
回復させてください!』
目を瞑り、心の中で唱えた。
しばらくして、恐る恐る目を開けるが。
……何も起きていなかった。
「心音さん。
僕のこと、見捨てないでくれて、ありがとう。
それなのに僕は、何もしてあげられなくて……ごめんね。
でも、奇跡は起きるって、信じているからね!」
僕はどうしても諦めきれなかった。
「奇跡なんて信じちゃダメよ」
すると、後ろから声がした。
声に驚き、ゆっくり手を下ろして、振り返る。
「ごめんなさいね。
盗み聞きするつもりはなかったんだけど、聞こえたから」
当然、声の主は、お母さんだった。
どうやら、僕にお茶を持ってきてくれたみたいだ。
お母さんは、壁に立てかけていたテーブルを組み立てながら、話を続ける。
「心音は、生まれつき心臓が悪くてね。
小さな体で大きな手術を何度も受けて。
その度に“この手術を乗り越えたら治るから”ってごまかしていた。
だけど、実際には全然治らなくて。
逆に年を取るごとに悪化するばかりで。
それでも諦めずに、奇跡は起きるって信じていたの。
それから願いが通じたのか、ある日を境に、徐々に回復しだして。
ついに、走れるようにまでなったの。
だから奇跡が起きたんだって、本気で信じていた。
心音もかなり喜んで、毎日楽しそうだった。
それなのに、神社に参拝した翌日から、急に行方不明になって。
病気のこともあるし、かなり心配していたのだけど。
なかなか見つからなくてね。
でもある日、見知らぬ病院で倒れていると連絡があって。
調べたら、回復前の状態に戻っていたの。
それも回復前より、悪化して。
それから、1度も意識は戻っていないの。」
神様から聞いた通りだ。
きっと、心音さんが倒れた一方で僕は……。
出会ったばかりの僕より、家族であるお母さんはかなり辛いだろうな。
「その日から、神様を恨むようになったわ。
どうして、回復したままじゃダメなの?
なんで心音ばかり、また辛い思いをしなければいけないの?
もう充分、頑張ってきたのにってね。
奇跡は、1度しか起こらないっていうじゃない?
だから、心音はもう……」
「諦めてはダメです! また奇跡は起こります。
信じていればきっと」
「諦めていませんよ。
だから、辛さを押し殺して。
心音の前では必死に笑顔をキープして。
献身的なケアを……」
話している途中で急に、お母さんは、泣き崩れる。
「大丈夫ですか?」
心配になり、駆け寄るが。
「何も知らないあなたが。
軽々しく、奇跡は起きるなんて言わないで!」
怒鳴られてしまった。
「すみません。でも、僕はそんなつもりじゃ」
「……この前、余命宣告されたの。
それから、本人の希望通り、自宅療養に切り替えたのよ。
自宅なら、もしかしたら、回復するかもしれないって思ったけど。
全然変わらず、逆に心音を見ているだけで、辛くなる。
もう2度と、笑顔を見ることも、声を聞くことさえ出来ないかもしれない。
その事実を身に染みて感じて更に辛くなるのよ」
お母さんが泣きながら、ゆっくり話し出す。
それは、さっきまで怒っていた人とは、思えないほどに。
「……すみません。僕、何も知らなくて」
「本当はここで、こんな話はしたくないんです。
心音の前では、出来るだけ、平穏で居たいので。
だから、わざわざ来ていただいて、悪いんですけど。
今日のところは、お引き取りください」
「……分かりました。では失礼します」
深々と頭を下げてから、部屋を出る。
そして、玄関で一礼して、家を出た。
反省とショックからか僕の足は重い。
そして、俯きながら、とぼとぼ歩く。
それから、ふと顔を上げると、左側に公園があった。
引き寄せられるようにその公園に入る。
公園内のベンチに座り、しばらく反省する。
僕の軽率な発言でお母さんを傷つけてしまった。
お見舞いどころか、怒らせてしまった。
何としてでも、救いたい思いが、前面に出すぎてしまった。
なんであの時、引き下がらなかったのだろう?
後悔しても遅いのは、分かっているけど。
どうしよう……。
そんなことをひたすらグルグル考えていた。
だが、いくら考えても、答えは出なかった。
その後、僕はもやもやしたまま、帰宅した。