すぐ恋に落ちる先輩と塩対応の後輩
私、リゼット・デュカスが通っているのは、貴族の子女に対して8歳から18歳まで一貫教育を行う王立学園だ。
今日は天気も良く、ランチのサンドイッチは好物の卵とチキンで、中庭で和やかな昼休みを過ごそうと訪れたところ、運の悪いことに四阿で3つ先輩のジルベール・モリアに捕まった。
「聞いてよ、ぐすっ、運命は貴方じゃなかったの、とか言って、僕の話もろくに聞かずに、うっ、お別れしましょうって」
男性か女性かわからない中性的で綺麗な顔を台無しにして、グスグスと盛大に泣きべそをかいて、愚痴り続けている。
空は晴れ渡っているのに、ここだけ曇天のような気がしてきた。
せっかくのサンドイッチも美味しさが半減してしまう。
「また振られたんですか」
ハンカチを手渡しながら、今年に入ってから何度目の失恋報告だっけ、と指折り数える。
「結局、今回もお相手の真実の愛とやらを見つけるお手伝いをしたってことですね。役に立てて良かったじゃないですか」
「リゼット、君ひどくない?失恋して傷心の先輩には、もっと優しくしてよ……」
長い指先でハンカチをつまみ、洟をかむ。
「それ私のなんですけど」
「ん、ありがとう。……返す?」
「……いりません」
洟付きのハンカチを返されても困る。
この先輩、見た目は文句なしの美形で、どんな動作でも優美なのだが、中身が残念すぎる。
とにかく惚れっぽいのだ。
そして100%振られて、こうして後輩に絡む。
どうしてこんな人に懐かれてしまったのか……入学したばかりの頃、初対面で親切に話を聞いてやったことが悔やまれて仕方がない。
よほど話を聞いてくれる相手がいないのか、どこにいても私を見つけ出し、飽きることなく行われる失恋報告の度に『そうですか』『辛かったですね』『次がありますよ』の3フレーズを繰り返し、今に至っている。
「辛かったですね、でもまた次がありますよ」
いつものフレーズをほぼ棒読みし、生産性の無いこの失恋愚痴り大会を切り上げようとする。
「好きな人がいないリゼットには、僕の辛さがわからないんだ」
はらはらと泣く姿は美しいけど、付き合いきれない。
もう昼休みが終わってしまうのだ。
「女々しい僕のことは嫌?」
「嫌ではないです。ジル先輩は鬱陶しいだけで」
「ひどい!」
傷つくなあ、と胸を押さえているが本当に傷ついた訳ではない。ふざけているのだ。
たっぷり小一時間、泣いて愚痴って、少しは気が晴れたようだ。
「好きな人がいなくても生きていけます」
「一人は寂しいよ?運命のパートナーが欲しいじゃない」
3歳も歳上の18歳男性のくせに、夢見る乙女のようなことを言う。
「運命のパートナーはいませんけど、婚約者ならいますよ」
昼食のあとを片付けながらそう言うと、突然テーブルの向こうから乗り出してきた先輩に両手を掴まれる。
「どういうこと!?僕聞いてないよ!」
「いま言いました」
捕まれた手をそっと離しながら、立ち上がって歩き出す。
「抜け駆けだ、ずるい、僕は失恋したのに」
「婚約は家の都合なので、そんなこと言われても」
「相手は誰?僕も知ってる?」
「知ってどうするんですか」
教室に向かう途中、矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。
「そりゃ、挨拶に行くよ。僕のかわいい妹をよろしくって」
「妹じゃないですし、誤解を招くのでやめてください」
「君の兄は僕の友達で、だから君は僕の妹みたいなものじゃない」
「兄は間に合ってます」
親しみを持ってくれるのは嫌じゃないのだが、どうにもしつこい。
「どうして嫌がるの?僕はね、いつも親身になって話を聞いてくれる君にも幸せになってもらいたいんだよ」
そっと手を取り宥めるように言ってくるが、さっきまで大人気なく泣いて愚痴っていた人が先輩風を吹かせてきても、説得力に欠ける。
「私のことはお構いなく、ちゃんと幸せになります」
「僕が認めた相手じゃないとだめだからね?後で教えて。絶対だよ?」
念を押して、しつこい先輩は教室への分かれ道を騒がしく去っていった。
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「リゼ、ジルに何を言ったんだ」
放課後、私の教室にうんざりした顔をした兄のエリオットがやって来た。先輩を連れて。
連れてこなくてよかったのにな……。
「何って、いつも通り失恋の話を聞いていたら幸せの押し売りをしようとするので、私には婚約者がいるって言いましたよ」
すかさず先輩が口を挟んでくる。
「僕に黙って婚約するなんてひどいでしょ?」
「……ジルがどの立場から物言いをつけているのか分からないが、ひどくはないし、まだ正式に婚約したわけじゃないだろう」
「婚約者候補も婚約者も似たようなものじゃないですか」
帰り支度を整え、昇降口へ向かう。
我が家は辺境伯で領地が遠いため、学生の間は街屋敷に住んでいる。学園からは大した距離ではないので、運動も兼ねて徒歩で通学することにしている。
貴族らしくない、という人もいるが、馬車だと毎日渋滞に巻き込まれるので時間がかかるのだ。
「なんだ、まだ候補なんだね」
先輩は、少しほっとしたような様子だ。
「何回かお会いして、お互い問題ないという結論です。次に会う時は正式な申込みになると思いますよ」
「決めるのが早いんじゃない?君、まだ15歳だよ?運命の相手に出会うかもしれないのに」
よほど他人の婚約を阻止したいらしく、私の肩を掴み、がくがく揺らしながら、熱い持論を展開してきた。結構、力が強い。
……うぇ、あんまり揺らすから気持ち悪くなってきた。
「おい、ジルやめてやれ。リゼが吐きそうになってる」
見かねた兄が助け舟を出してくれ、なんとか難を逃れる。
「で、その候補って誰?」
先輩は、私から離したその手を今度は兄にくるりと向けて、にじり寄っている。
「相手はドミニク・グラニエ……伯爵家で、確か俺たちのひとつ下じゃなかったかな?」
揺らされそうになった兄が慌てて、情報を漏らしてしまう。
「ふぅん、グラニエ伯の」
あ、いま先輩の瞳が、ちょっと妖しく輝いた気がする。
「先輩、会いに行ったりしないでくださいね」
「えー、行くに決まってるじゃない」
やはりだ。先輩は挨拶を諦めていなかった。
「兄様、止めてください」
「……善処はする」
「それダメなやつですよね?」
そんな風にわあわあ騒ぎながら歩いていたら、いつの間にか屋敷に着いていた。お茶でも飲ませて、余計なことをしないように説得しようと思っていたのだが、
「それじゃ、また明日ね」
先輩は、やけに爽やかな笑顔で去っていった。
……ああ、明日はろくなことにならなさそうだ。
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ジル先輩が恋に落ちる相手は、女性に限ったことではないらしい。
というのも、昼休み、瞳を潤ませて物憂げなため息をつきながら、
「リゼットごめんね……僕の運命を見つけたかも……」
と、恋に落ちた報告があったのだ。
相手はよりによって、私の婚約者候補だという。
そういう展開アリなのか、というのが正直な感想だ。
「何があったんですか」
恋に落ちた瞬間に立ち会ったらしい兄に聞いてみる。
「……転びそうになったところを、咄嗟に支えてくれたんだが、その優しさと逞しさに惚れたそうだ」
乙女か。
ちょっと優しくされて接触しただけで恋に落ちるとか、いくらなんでもちょろすぎやしないか。
学年の違う婚約者候補に偶然出会うわけはないだろうし、わざわざ挨拶に行ったんだろうな、きっと。
兄妹で顔を見合わせてため息をつく。
そんな私たちの気持ちも知らずに当事者の先輩は、
「僕、男も恋愛対象になるなんて知らなかった。世界って広いんだね」
などと、麗しい顔で眠たいことを言っている。
その様子は、ほんのり頰を染めて、色気たっぷりである。
なるほど、頭がお花畑の残念な男性であっても、この顔で迫られたら、男女問わず落ちてしまうに違いない。
私の婚約者候補も、時間の問題だろう。
「また、だめかなあ」
思わず漏れた呟きに、兄が反応した。
「またって、何が」
「婚約ですよ。話がある度にだめになるじゃないですか」
すると、少し驚いたように小さい声で、
「……知ってたのか」
と、難しい顔をする。
「そりゃ、自分のことですからね」
今回は初めてのパターンだからどうなるかわかりませんけどね、と呟きを付け加える。
兄は思うところがあるようで、まだ何か言いたげにしていたけれど、そろそろ時間だ。
さて、と立ち上がる。
「午後の授業がはじまりますよ、行きましょうか」
2人を促して教室へ向かった。
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程なくして、ドミニク・グラニエとジルベール・モリアが大変に仲の良い様子でよく一緒にいる、という噂が流れてきた。
その仲の良さは、友人の域を超えているとかなんとか。
その噂が広まるにつれ、我が家にはグラニエ家より正式にお断りの申し入れがあったそうだ。
曰く、「息子が不治の病に罹った」とのこと。
物は言い様だ。
そういうわけで、私の婚約者探しは振り出しに戻った。
正式な婚約直前のお断りということで家族には心配をかけてしまったようだが、婚約自体は急ぐ話でもないし、私は別段気にしていない。
それよりも先輩に相手がいる間は絡まれることがなく平和なので、呑気に学園生活を謳歌できることが嬉しい。
しばらく平穏な日々が続き、今日も今日とて和やかな昼休みを過ごすべく中庭に向かっていたのだが、運の悪いことに四阿でグスグスと泣きべそをかいている先輩に捕まった。
「少しだけ、意見を言っただけなんだよ?キスをするときに、もうちょっと丁寧にして欲しいって」
「そうですか、辛かったですね」
貴重な昼休みを無駄にできないので、サンドイッチを食べながら、定型文で返事をする。
「……ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「大丈夫、次がありますよ。……ええと、どこまで言いましたっけ」
「聞いてないよね?ひどい!」
ぼろぼろ涙を流しながらこちらを責め立てるので、ハンカチを渡してやった。
「もうそろそろ、運命の相手探しは諦めたらどうですか」
顔をぐりぐりと拭いている先輩に、意見を述べる。
あんな風に顔を拭いたらハンカチに洟ついてるだろうな……。
「……だって、リゼットは僕の運命にはなってくれないでしょう」
しばしの沈黙の後、ハンカチで顔を覆ったまま先輩がそう言うので、答える。
「運命にはなれませんけど、幸せにしてあげますよ」
「えっ?」
ぽかんと呆けた顔をこちらに向けている。
間の抜けた表情をしていても、綺麗なのはすごい。
「そんなに驚きます?」
「……驚くよ……。リゼットは僕のこと嫌じゃないの?」
前にもこんな会話をしたような。
「嫌じゃないです。ジル先輩は鬱陶しいけど、好きです。そうじゃなかったら、こんな愚痴に付き合いません」
「……待って!突然の展開で頭が追いつかない」
リゼットが僕を好き?本当に?と、ぶつぶつ呟き始めたので、テーブルに乗り出して両手を掴む。
「だいたい、先輩だって私のことが好きでしょう」
先輩が好きになった女性たちは、別の相手と真実の愛を見つけていた。その相手はもれなく、私の婚約者候補達。
先輩に愛を囁かれ、その残念さ加減に愛想を尽かした頃に偶然出会った相手と真実の愛を掴む……何度も繰り返されるそんな偶然はあり得ない。
何らかのお膳立てがある上での茶番なのだ。
何度もそんなことがあれば、さすがに私だって気付く。
このお膳立てをしている人物は、私に婚約してほしくないのだろうと。
私の婚約の内情を知り得ているのは、兄が情報源に違いない。そして、兄の周囲で私に関わりがあり、好意を向けてくるのは、先輩だけだ。
そうなれば後は自明の理である。
むしろ、なぜバレないと思ったのか。
「そんな、こんな風に君から言われるなんて予定外だよ。他の逃げ道を潰して、僕からちゃんと好きだよっていうつもりだったのに、ひどい!」
そっちの方が計画的で普通にひどい。
「ひどくていいです。で、どうしますか?」
掴んでいる両手をぐい、と引っ張って顔を近づけた。
「丁寧にすればいいんですね?」
そう言って、先輩にキスをした。
唇を離して顔を見れば、耳まで真っ赤に染まっている。
多分、私の顔も同じぐらい赤くなっていると思う。
恥ずかしさを誤魔化すように、精一杯で微笑んだ。
「ああもう……大好きだよリゼット、僕の運命!」
「しっかり現実で幸せにしますから、夢見る乙女発言は自重してください」
騒ぎ立てる先輩に、釘を刺す。
すると綺麗な顔でふんわり微笑んで、
「そういう君も好きだな」
と、今度は先輩からキスをしてきた。
なんだ、やればできるんじゃないですか。
この日、私に婚約者ができた。
もう、失恋報告は聞かなくて良くなりそうだ。