三話 食卓の戦いのち、「さくら、さくら」
崩壊は一瞬だった。
刃が触れたそれは、金属のカン高い澄んだ音を響かせた。
うっ。
わたしは必死で抵抗し、刃がまた…
「アリス?あなた、顔色が悪いわよ?やっぱりお部屋で寝ていたほうが…」
はっ!?
おかあさまがじっと見ていた。いや違う、じっとりと見ていた。
「えっ?大丈夫だよ…」
何が悪いと言えば、アイツだ…銀色のキラキラ光るアイツが悪い!
「ほらカトラリーもって唸ってないで、大丈夫なんだったら、しっかり食べてちょうだい」
そう、そのカトラリーだっ!
「アリス?そのおにく、きってあげようか?」
むむむ、セレス…優しいと見せかけて、わたしのお肉を持っていく常習犯めっ!
「大丈夫だよ…あ?え?セレス?わたし大丈夫って言ったあ!あ、こら鶏肉返しなさい!」
「セレス…それは、とてもはしたないわ。おかあさま、前から言っているでしょ?学院に入学すると、とたんに困るわよ?」
「はぁい、ごめんなさい…もぐもぐ…」
でも、お肉は返却されずに、しっかりとセレスの胃袋におさまった。
むききき…
テーブルの上が戦場とはこれいかに。でも、さすがに、わたしはあれはやらない…マナー的に。
中身に愛子がブレンドされた今となっては…さすがにマナー的には…
…
だ、
だが…しかし、このままでは示しがつかぬのではなかろうか!
大人として!
そうだ…
大人なら自分のしたことには代償があることも教えなければっ、教育的に!
「うりゃスキありっ!」
素早くかっさらう。
見よ、この妙技!
ふふん、ゆで玉子もーらいっ!むぐむぐ…
「あ、アリスっ!好きなものをさいごにとっといたのに…」
え?なんで?目尻に粒の涙をためてセレスが半べそだ。
「アリスまで…」
あ…
マズイ…マズイよ。
おかあさまの髪が風も無いのにユラリとしたら、ご立腹の合図だ。
「セレスお嬢様…アリスお嬢様も、きちんと奥様に向けて、お謝りになってほしいと、このミランダは心から思います」
横から給仕をしていたメイドのミランダは、腰に手をあて、すっと背を反らしてわたしたちを睥睨している。
「その鶏肉も、玉子も隣村の領民が半日走り回って仕留め、採取したものだそうですよ?」
「はぁい…」
うん…そうだね…ここは日本じゃない。お肉は狩猟による恵みのある時でないと食べられないもんね。
こうなったら、おかあさまからカミナリを落とされる前に、素直に謝るしかない。
というか、何回もカミナリにやられてはかなわない。
せっかく家の中なら、部屋に籠っていなくてもいいってなってたのに…
「「ごめんなさい」」
ハモった。
おとうさまが、隣の集落まで出かけている時はだいたいこんな調子である。
☆
わたしの自制心が崩壊してしまったお昼ご飯の後に、おかあさまから輝石板の容量いっぱいまで、単語の書きとりと、自分たちの食器を洗うことを言い渡された。
輝石板は、先にお目見えしたおかあさまの物だけではなく、おとうさまの所蔵品もわたしたちに下げ渡されることを、おかあさまが約束された。
それぞれに専用の輝石板を持つことになったのだけど、おとうさまは良いのだろうか。
「なんでアリスはご飯のときに、うなってたの?」
セレスがごしごししながら聞いてきた。
ちなみにセレスとは、
「次にゆで玉子が食卓に並んだら、半分セレスにあげるから」と和解済みである。
「あのカトラリーの音が、鉄琴みたいで…演奏したい気持ちをがまんしてたの」
「…テッケィンてなに?アリス、なにいってるかわかんないよ?それに、えんそうって、今までしたことないよね?」
今は並んで、竹のような植物の茎を使った導管の口から、チロチロ水が流れ続ける厨房の水場で、お皿を洗っている。もちろん足下には踏み台が置いてある。
わたしは左手で物を掴めないので、桶に水を張って、その中で竹を解して作ったブラシで、ざっくりと洗っていた。
むぅ、この左手も何とかせねば…
隣でセレスが仕上げていく。
「あー、うん…わかんないよね…鉄琴は楽器のことだよ…なんとなく演奏できる気がしたの」
セレスと会話しながら、水場の上の窓ごしに景色を眺める。
開け放たれた窓から、うっすらと初秋の黄色の小花「ジュピタル」の良い香りもする。
水場のある屋敷の裏手は「里山」と呼ばれる雑木林で、少し奥に進むと人の手が入っていない楢や紅葉樹の混成した深い森になる。
たぶん以前は「森」の部分にも手が入っていたはず。
今は、その葉が色づき始める季節にさしかかってる。今年は塩害もない。
その色づき始めた森の谷あいから、竹の導管を何本も繋いで水場まで湧水を引き込んだおかげで、わたしたち一家は水汲みの苦役から解放されている。
「カトラリーががっきになるの?」
「うーん、たぶんだけどね。足りない音階もあるかもだけど、ちゃんと並べて叩いたら、うちのカトラリーでも演奏できるかもしんない」
「オンカイ?」
「ド…の発音だと通じないか…『ドゥ』『レェ』『ミィ』『ファ』『スォ』『ラァ』『シ』『ドゥ~~』ってやつ」
こちらの世界の発音と、日本語の発音は違うので、それっぽく音階を当ててみた。
うちのカトラリーは、艶のある銀色で、材質は銀かと思ってたけど、銀では響きようのない、とても澄んだ音の鳴る謎金属で出来てた。
「あ、『おんかい』ね。がっきってものすごく高いってきいたことあるよ。しょうかいのイザベラさんが言ってた」
既にお気づきだろうけれど、うちは爵位はあっても、中身は自由民(平民のことを皇国ではこう呼ぶ)と、ほとんど変わらない。姫とは名ばかりの庶民の暮らしだ。
「うん。その楽器も『レナート』と『フェリーファン』と『ドンガ』ぐらいしかないし。わたしが演奏出来るかもなのがドンガぐらいなんだよね…」
それぞれ、
レナートがギターに酷似した8弦の楽器で、フェリーファンはフルートに似た木管楽器、ドンガはドラムのことだ。
「ふぇりーなんとかがおとうさまのがっきだよね?」
「そうそう…あれが吹けたらいいのにね…それにしても、おとうさま無駄にスペック高いよね…」
「すぺっくって?」
「あ、ごめん。能力のこと」
そうなのだ。
この男爵領を賜ったのも、海の向こうの軍事帝国が攻めてきた時に、おとうさまが土魔法を使って一夜にして長い防壁を築き、侵略軍の足止めをしながら果敢に戦って、多くの民を守ったことが理由らしい。
「…えいゆうだって、みんな言ってるよね?すごくのうりょくが高いって。でも…いつもおひげぼーぼーでねむそうな顔してるのにね…クスクスッ」
いやセレス?おとうさまが耳にしたら泣くよ?
「たしかに眠そうだけど、わたしたちもだからね?」
朝の支度時に鏡を前にして、改めてアリシティアの顔に再会したけれど、セレスと同じように、ほとんどお人形みたいな造作なのに、わたしだけ目はちょっと垂れてる。何て言うか気合いが入っていないと、見ようによったら眠そうにも見えるのだ。
「えー?そんなことないよ?」
「まあ…セレスはおかあさま寄りだもんね…」
セレスはもう少し目元は凛々しくて、髪色は銀に、少しだけ淡いブロンズが混じる。
わたしはというと、おとうさま寄りで髪色も光沢のある銀。基礎魔力量が大きい者ほど色素が薄くなる傾向にあるらしく、わたしは瞳の色素も薄く、かなり赤い。
おとうさまは、魔法と剣で戦う魔法剣士で、その瞳は燃え盛る炎のようにさらに赤い。
まあ遺伝の話はそれとして、この中途半端に火がついた演奏熱をどうしてくれよう…
いろいろ考えていると…
一つ思い出した。
愛子時代に「さぬかいと」で石琴をつくったこともあったっけ…
あ、糸か!糸があれば鉄琴もどきならできるかも!
「セレス?これでカトラリー括れないかな」
ドラ○もんの取り出し効果音の幻聴は聞こえたりしない。
「え?アリス?今どこから出したの?え?え?え?糸なんてもってなかったよね?」
それはそうだろう…
だってたった今、収納からだしたもん。
「え?もってたよ?」
と、しらばっくれつつ…
とりあえず食器洗いを終わらせ、セレスにお願いして、長めの麺のばしみたいな棒に、ティースプーンの小さなものから順番に括ってもらった。
それを、水場に一脚だけ置いてある椅子の背もたれと、洗い物台…石造りのシンク?の間に渡して、カトラリーがすだれのように糸で何本もぶら下がった状態にした。
「これ…おかあさまとミランダが見たらぜったいおこるとおもう…」
セレス、なにげに弱気。
「少し試すだけだから、すぐ元に戻せば大丈夫!」
わたしはウキウキして、即席の鉄琴もどきを、スプーンの柄のほうで軽く弾いてみた。
てぃん、と澄んだ音がする!
「あ、これは上の『ドゥ』の音だ…じゃこっちは?」
少し低い、てぃーんと音がする。これは「レェ」だ。
セレスに聞こえないぐらいに小さく、口の中で鍵言を呟く。
「アリシティアの名において、野の神『ウィスラノート』に我が魔力を捧ぐ。大地の力を持って掌に触れし物を助けたまえ。…硬化」
あらかじめ糸の長さは目算で決めておき、響き具合を「硬化」の土魔法で調節して、音階をあわせた。
なぜか薄く、カトラリーが光っているが、このさい気にしない。
これで演奏できるから!
もう、楽しくなってしまって、夢中で奏ではじめた。
やっぱり日本人の心を持つわたしとしたら、最初は「さくら さくら」でしょう。
今秋だけど。
てぃん、てぃん、てぃーん、てぃん、てぃん、てぃーん…
結論からいえば、セレスの声がしないことに、早く気づくべきだった。
「あら?アリス?楽しそうね?その曲はなに?とても素敵な響きね?」
「そうでしょ!わたし、すっごく………え?」
後ろを振り返ってはいけない。うああああ…
心の中で悲鳴をあげつつ、おかあさまから逃走をはかろうとしたら、首根っこをガシッとつかまれて、足だけがから回った。
「ぐげっ」
変な声がでた。
その拍子に、土魔法が解除された勢いで、吊るしてあったナイフが、ブツッと糸の束縛を振り切って床に落下…
どすっ、どすっ!
「うひゃ!」
床に突き刺さり、穴が空いたことと、勝手にカトラリーで遊んだことで、おかあさまに連行された。
セレスは、水場への入り口から、ちょっとだけ顔を出して見ていた。
要領の良い姉である。
☆
「アリス?正直に話しなさい。…あなた魔法を使ったわね?」
何と答えたものか…
ここは質問でかえしてみる…
空気が張りつめていて、ちょっと怖い。
「おかあさまは…何故そう思われたのでしょう…」
わたしの目が泳ぐのは仕方ない。だって、真剣なおかあさまはこわいもん。
おかあさまは、すうっと目を細めた。
うっ…
座っている椅子の上で、右手で左手の拳をぎゅっと握る。
ここはダイニングの隣にあるおかあさまの錬金工房だ。
六畳くらいの広さの部屋の壁には、ところ狭しと様々な薬草や、花が吊るされている。
窓側の作業台の前に、二脚の椅子を真向かいに置いておかあさまと向き合っていた。
ぎゅっと拳を握っているのを見ていたおかあさまは、ふうっ と息をはいた。と同時に張りつめていた空気が霧散した。
「怒っているわけではないの。…いえ、陛下から賜った魔銀のカトラリーを玩具にしたことは叱るべきだけど…」
まさかの魔銀!
一旦区切ってから、おかあさまは続ける。
「子供のころに見よう見まねで、火矢の魔法を使って、お父様の大切にしていた愛馬を傷つけたことがあるの」
泳いでいたわたしの目は、おかあさまに固定される。
「火矢の魔法…」
「そう、火矢の魔法よ。この世界は、正しく鍵言を紡ぎ、それに見合う魔力を正しく流しさえすれば、魔法は発動してしまうの。その者の判断や、成そうとしていることが、正しくても正しくなかったとしても…アリスはそれがどういう事か理解出来ているのではなくて?」
おかあさまは遠い目で、少しだけ寂しそうな顔をした。
おかあさまが、実家の話をすることなど、前回のアリス生でも数えるほどしかなかった。そこに何か深い訳があるのはわかる。
「理を学び、己を律する心を育て、内神様の御心に寄り添うこと」
これ知ってる…魔法学院に入る時に一番最初に習う、魔法学院の三訓の一つだ…
「学院に入るまで魔法を使う時は、そばに大人がいる時だけにするとアリスは約束できる?」
おかあさまの言うことは、ひどく当たり前のことだった。
「はい…約束します。おかあさま…ごめんなさい」
「謝らなくていいの…アリスはとても賢い子だわ…将来あなたは魔法学院と貴族院の、どちらかに入学することになるの」
「はい…」
「あなたには魔法の才能も、音楽の才能もある。魔法を中心に伸ばすなら魔法学院、音楽の才能を伸ばしたいなら貴族院ね」
まさかの人生の選択である。
貧乏男爵家にとって二人の娘をどちらか一つに送り出すだけでも大変なことだと、わたしにだってわかるよ…
「わたしは…」
音楽の道に進む。それは甘美なことで、うっとりするぐらい、とても、とても幸せなこと…
でも…それを選択したら、特効薬が作れるかわからなくなる。
学院の薬学科に今世もいるはずのメリアンヌ教授に師事しなければ、前回のアリス生の知識だけでは心もとない。
ここで、魔法を伸ばす道を選んだところで、音楽の道が閉ざされるわけではない。
生きてさえいれば。
楽器は、なければ創ればいいし…そのためのお金がないのなら稼げばいいじゃない!
一つの決意をもって、わたしはおかあさまに応えた。
「わたしは魔法学院にいきたいです!」
「わかりました。アリスには明日から私が座学を教えます。いつも私たちを見てくれている内神様に胸を張れるように、しっかり学んでちょうだいね」
「はいっ!」
そして、後から呼ばれたセレスもその流れに巻き込まれ、魔法を伸ばすことをうっかり選択したらしく、明日からの座学を前にして「アリスのせいだー!」と、半眼で睨まれたことは言うまでもない。